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30代の複雑な分岐上にいる私が考える結婚や子育てやその他いろいろ

30代って難しい。特に女の30代、と思うのは私が女だからか。
以前、コロナに対する態度で細かく分断されてしまう私たちという内容の記事を書いたのだけど、30代という時期は自分の意思とは関係なしに分断されてしまう項目が山積している。

例えば、結婚しているか独身(離婚含む)か。それぞれ、結婚したいのにできない、したくないからしない、したけれどしなければよかった、などがあって、でもその中で自分の思い通りに進めているのは「結婚したくないからしない」人だけ。とはいえ、その「したくない理由」を掘ってみたら抜き差しならない事情があったりもする。

もう一つの例は子ども。これはまた一段とデリケートな話になって、子どもが欲しいのにできない、いらないから作らない、いらなかったのにできた、など様々で、さらには子育てする過程でもいろいろ分岐が生じる。

それぞれ、大体の場合、本人の意思とは無関係にその立場が決まってしまう。そして、そのあたりの話は非常にデリケートで、ある人にとっては世間話であってもある人にとっては傷口を抉る話になってしまって、それを慮りすぎるとただの世間話をするのも億劫になってくる。

私の立場としては、ざっと以下の通り。

30代で結婚
結婚した年に妊娠して、翌年緊急帝王切開で出産
完全母乳
育休延長して自宅保育中、来年度春から保育園予定
1歳の息子はよちよち歩きまっさかり、発語はまだ、離乳食食べムラあり

これだけでも、地雷が山ほどある。それは私を攻撃するものだったり、誰かを攻撃するものだったりする。けれどその攻撃に鈍感なのか敏感なのかは人によって、なんでも攻撃と受け取ってしまう人もスルーできる人もいる。

私が結婚した当初、職場の女の先輩から「早めに生んだ方がいいよ~体力きついよ~」と何度か言われた。その女の先輩は未婚で子どもはいない。私はそこまで子どもがほしいと思っていなかったので、「そうですね~」と流していた。つまりスルーできていたのだけど、もし私が不妊で悩んでいたり、晩婚で焦っていたりしたらこの言葉は見過ごせなかったはずだ。(逆に先輩の立場を思うと、その話題に乗っかりすぎても拒否しすぎても傷つけはしまいか? と心のどこかにざわざわしたものもあった。)

早めに妊娠したいな、という思いでぽこんと妊娠できるわけではないし、母子ともに無事で出産したいな、という願いが必ず叶うわけではない。祈っても願っても、医学の力を借りても、なるようにしかならないことだから、本当に扱いの難しい話題だ。

完全母乳というワードも取り扱いが非常にデリケートだ。きっとこれも、母乳でいきたい人が全員母乳を選択でき、ミルクを選ぶ人はそうする、ということができたなら、カチンときたりもやっとしたりすることはないだろう。

いろいろ対処のしようはあるとしても、100%解決する方法がない以上、自分の思うようにならない場面が生まれてきて、それが自分の周りにぽんぽぽぽんと出現して装備しているのが30代の女であるように思う。

自分の思うようにならなかった方に進まざるを得なかったときには、ものすごく切ない感情を抱えることになる。不妊だった友達は、治療が続くにつれて周りの妊婦さんを直視できなくなって、憎しみすら感じてしまう自分が嫌になったと言っていて、母乳が思うように出ずに悩んでいた友達は、お母さん失格みたいな気持ちになると言っていた。それを聞いている私は、自然妊娠して母乳を続けられていて(そのことだって私の願いが叶えられた結果ではなくて運なのだけど)、いつもとても居たたまれなくなって苦しくなった。

母乳を早々に断念せざるを得ずに完全ミルクになった友達と会って、それまでと同様にそれぞれ授乳するとき、「いいね~おっぱい飲めて~」と友達が息子に話しかける。「はーいあなたはミルクですよ~」と哺乳瓶を振っている友達に、私は何と返せばよかっただろう。たぶん他意はなくて、卑屈になっているとかそういうわけでもなかったのだと思う。けれど私はそれ以降、なんとなく会うのがつらくなっていって、コロナの流行もあって今は少し疎遠にしている。

不妊治療の人が望む自然妊娠、母乳がうまく出ずにミルクになった人が望む完全母乳、それらが望むようにいかなかった人たちは当然傷ついているわけなので、自然妊娠や完全母乳であることを極力隠すようになった。私は運がよかったのかもしれないけれど、ズルをしたわけではないしマウントをとりたいわけでもない。でも誤解されたくないから口をつぐむ。それはそれでなんだか切ない気持ちになるものだ。

今、友達が数人集まったとして、いろいろな話題が誰かを傷つけやしないかと頭をよぎる。さらに、そう懸念していること自体が、また誰かを傷つけるきっかけになるのではと思い、察せられないようにと気を配る。そういうことが予想できるから、コロナ禍のせいでなかなか会えないね~と言い合える今、正直少しほっとしているところもある。

もしかしたら、よく聞く「ママ友」関係というのは、こういう30代のしがらみというかそれまでの交友関係に生じるもやもやを遠ざけるためのシフト先なのだろうか。とりあえずママ友ならば既婚(離婚していることもあるが)で子どもがいる分岐の人で、同じ保育園などに通っていればそこの条件も同じだから地雷が減る。なるほど、そこは気楽かもしれない。

今は渦中にいるので翻弄されているところがあるけれど、あと10年も経てば落ち着いてくる部分もありそうだ。結局今は、何にせよ「そうなる可能性」が誰にでもあって揺れているから難しい。この文自体も誰かを傷つけるだろうか。

私はといえば、子育てに使っている時間分、職のキャリアは失っているわけで、私がそこに重きを置いていないだけで結構もったいないことをしているのだろう。経済力についてはないものねだりが多いから、夫の稼ぎで悠々自適とか、バリバリに働いて昇進して年収アップであるとか、そういう分岐を進んでいる人には羨ましさがある。でも、職に関してはある程度自分の意思が通じるところや努力が報われるところがあるから、上記の話題とは少しずれる気もする。

相手の気持ちは私にはどうすることもできないから、せめて誰かが何気なく話した世間話のあれこれに勝手に傷ついたり憤慨したりすることのないようにしたい。試行錯誤しながら、相手が傷つかないだろう返答も考えていきたい。複雑な分岐上にいる私にできることは、結局それくらいなのかもしれない。

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