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屋久島に呼ばれてる話


今転換期がまた来ていると思う。

2020年の9月に
細かく言うと9/4 20:30ごろに、
代々木公園で、

「今あるものを見ていたい」

という言葉が出て、すっと腑に落ちた。

あまりに「それだ」と感じすぎて、そこからテンションが上がり続けて、

次の日のLDSのForumも、めちゃくちゃテンション高かったのは覚えてる。


そこから約1年と少し。

薬学部5年生になり、半年の実習を終え、
また「はたらく」ことや、社会の見え方も変わってきて、

LOVE旅(就活をそう呼んでみてる)もしてみたり。


そんな中で2021年の10月から、

コロナ禍と実習期間が重なり
2年間ストップしていた卒論研究をはじめた。

最初は「今を楽しむ!」と思い、
やるなら楽しんでいこうと思って続けられていたけれど、

思っているよりも嫌だったようで、

5年ぶりくらいに身体症状としてヘルプサインが出た。

何も外傷はないのに、皮膚がひりひりしだす。
記憶力が急激に落ちる。
現実感がない。
離人感が強い。
今までできていたことができなくなる。

そんなこんなで、
やっと限界まで来ると、
「もうやめよう」
という踏ん切りがつく。

研究は続けようと思っていたけれど、
叔母や、大学の教授や、相談員さんにたくさん話し、自分の卒論担当の先生に今の状態を話した。

1回目の電話では「社会ってそんなものよ。うまく力抜いて頑張ろう。」みたいな内容で終わってしまった。

このままじゃ伝わらないなあと思い、
今の状況を紙に書いて、読んでもらってから2回目の電話をした。

そうしたら、一旦研究をやめて、体調を優先することになった。


わたしにとっての優先順位は、
学業においては、
①進路選択、②国試勉強、③卒論
であったし、

生きていくことにおいては、
①今を生きること
②今を愛せていること、自分が選択していること
③自分の内側と繋がれている&外側に表現できていること
④具体的な行動(舞台に立つ、WSをする、学業をするなど)

という感じ。

具体的な行動はすごく大切で、
同時にひとつの手段でしかない。

今の自分にとっては、
卒論は「大学を卒業する」ことのためだけにやっていると意味づけした。

そこにさらなる意味を見出すことを
自分で手放した。


今エネルギーを使いたいのはそこではない。

同時に12/6に「今家を出るときかもしれない」
と言葉にしていて、

あれよあれよと1/11にははぐくむハウスにいた。

1ヶ月で衝動的にいつのまにかここにいる感覚。


限界がくると、直感が働きやすくなる。

さらに同時に「屋久島に行こう」もアクションになっている今。

ずっと言ってた「屋久島に行きたい」「屋久島に呼ばれてる」。

屋久島は一回も行ったことないし、そんなに詳しく話を聞いたこともない。

それでもなんか直感が言ってる。

行きなって。

自分でもぜんぜんわからん。

たいていこの感覚はいいやつだから、信じてる。

そしてその声が聞こえていても、行動に移さない時、移せない時はあるから、

今行けるなら行こう。



2022のテーマは「軽やかに決める」。


年末に体調を崩してから、

離人感をもちつつ、
衝動的な選択を重ね、
今この選択してるのほんとに自分?なんて感覚を持ちながら、

いつのまにか研究をやめ、
親とお金の相談し、
シェアハウスに身を置き、
屋久島に行く計画を立てている今。

また2022年も流れを感じながら、

軽やかに、笑いながら、わいわいと生きていきます。


自分の人生、自分が動かしてるのか信じられないような、
それでもやっぱり重ねてきた選択と行動は自分だったと日々思い出しながら、

今日も生きております。


熟考して、行動を決める。
がこれまでのやり方だったから、
ストレッチゾーンすぎて離人感があるのかなと思うけれど、

直感はこれだ!といつも言ってるので、そのまま突っ走ってみたいと思います。

これからもみなさん三谷奈津子と関わり合っていってもらえたら嬉しい限りです。

わたしもたくさんみんなの人生に関わっていきたいなと思います。

愛を循環させる存在であれ。


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