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そこに身体と感覚があるのなら

コロナ禍における欲望と葛藤

ああ、どこかへ行きたい。普段より大きな荷物をよいしょと抱えて、できるだけ遠くに行きたい。列車でも飛行機でもいい、目的地に到着してその扉が開いた瞬間、一歩踏みだし、深呼吸して、その土地の匂いをめいいっぱい吸い込みたい。

ああ、あの人に会いたい。一緒に食事をしながら大声で笑いあいたい。同じものを食べながら、これ美味しいね、これはちょっと辛いなあなどと言いながら、相手の空いたグラスにそっとお酒を注ぎたい。

こうした欲望が、これほどまでに色濃く、地球上を覆った時代があっただろうか。コロナ禍以降、すくなくとも私はこんなことばかり考えていた。

コロナウイルスに「フィールド」との直接的関わりを阻まれた人類学者としての葛藤は、このような私的な欲望とも地続きだ。フィールドワークという言葉は現地調査などと言い換えられることが多いけれど、実際のところそれは、少なくとも私にとって、そのような無味乾燥な言葉のニュアンスでは収まりきらない。「フィールド」という存在には、私の直接的な身体経験が、私的で濃密な記憶が、常にまとわりついている。

オンラインのもどかしさ

最近では企業の人々との協働プロジェクトに入り、探索的なリサーチの手法を開発するような機会が多いが、そのようなリサーチにおいても、現場で実施できないというのは、実にもどかしい状況だった。

初めて会う人びととオンライン上で行うワークショップや、zoomなどを用いた「対面」インタビュー。実際に会うことができずオンラインであることのもどかしさにも、もはや飼い慣らされつつある今の私たちである。もちろんオンラインならではの簡便さもあるし、むしろポジティブにこの状況を乗り切るべきだというのもよく理解している。記録やアーカイブのしやすさ、複数メディア・ツールの運用など、工夫できることもメリットもある。多様なアプリケーションやカメラの存在など、技術的に解消される部分もある。

それでもなお、私たちの日々の相互行為をすべてオンラインの世界に包摂することには明らかな限界があり、身体的な「何か」を掴みそこねているという確かな感覚がある。しかしその身体的な「何か」を明確に言語化するのはなかなか困難だ。それはまるでドーナツの穴の存在がくっきりと知覚されるのにその「不在」は永遠に掴みとれないような、そんな感覚に近い。このもどかしさは、たとえ先進技術によって臨場感を追求したところで、どこまでも残り続けるように思う。

ミチアロ島でのできごと

身体感覚について、私の認識の扉がひとつ開いたときの話をしよう。ポリネシアの島々のコミュニティについて研究を続けている中で、かつてクック諸島のミチアロ島という、人口は約200人しかいない小さな島に滞在していたことがある。初めて訪れたその島で私は1ヶ月ほどを過ごし、島の人びとと共に教会でクリスマスを祝い、集会場で歌いながら新年を迎えた。島の住人以外に、私のような訪問者は誰もいない環境のなかで、人びとはとても親切だった。

新年が明け、賑やかさの後にいったん静寂が訪れ、そのとき私は滞在先の大きな家にひとりだった。家主であるおばさんは家族がいる本島に帰ってしまい、「あとは自由に過ごしてね!」と颯爽と去ってしまったからだ。私は窓際のテーブルに座り、フィールドノートを書いていた。窓から見えるアボカドの木はたわわに実っており、何時間かに一度、熟した実がポトリと音を立てては土の上に落ちる。私はその音を聞くなり、近所のブタがそれを食べてしまわないうちにと、いそいそと庭にいき、木の根元を見回してその実を見つけてはそっと拾いあげ、家に戻って台所に置いていた。

そんなのどかな午後のことだ、誰かが勝手口をノックし、私に声をかけてきた。ドアを開けるとそこには見知らぬおじさんが立っている。私は少し身構えながらあいさつしたが、彼こそなんだか緊張しているようだった。そして少し伏し目がちにこう言った。「自分は裏の家の住人なんだが、今は友人達と一緒に飲んでいるんだ。君はこの家で1人で過ごしていて寂しいのではないかと思って...よければ遊びにこないか?嫌なら無理にとは言わないけれど、ほら新年に1人というのは寂しいだろう?」

「本物の花の香りを身にまとうんだよ」

突然の誘いに私は少し戸惑ったが、彼の家のほうを覗くと、すっかり開け放たれたドアから陽気なギターの音と歌声が漏れている。せっかくなので彼らとお喋りしてみようと思い、結局私は彼についていった。そこには4人の男性達が会話と歌に興じていたが、私の姿を見るなり歓迎し、席を整え、ビールやジュースやスナック菓子を持ってきてくれた。そして彼らは私を質問攻めにした。なぜこの島にいるのか、この島についてどう感じているのか、興味津々だったのだ。私は彼らに、自分が人類学を学んでおりフィールドワークをしていること、長い時間をトンガで過ごしその知見を論文や書籍として出版したこと、今回は初めてクック諸島を訪れていることなどを説明した。彼らは納得し「そんな君が自分たちの島を選んで来てくれて嬉しい、ありがとう」と言うので、予想外の言葉に泣きそうな気持ちになったりもした。

その後も色々と話してみると、彼らのなかの1人が、実は日本に数年間滞在した経験を持っていたことも知った。高度経済成長期の華やかな時代、「ポリネシアダンス」の踊り手として、日本各地のリゾート施設やテーマパークを巡業していたというのだ。かなりローカルな地名や食べ物の話を懐かしがる彼を見て、日本とこの小さな離島の人びととの意外なつながりを驚き、その事実を一緒に面白がったりしながら、私たちの会話は弾んだ。そんな会話の最中に、さきほど私を誘いにきた男性がふと何も言わずに立ち上がり外に出て行ってしまった。どうしたのだろう?と思ったが、まあ何か用事があるのかもしれないと思い、そのまま会話は続いた。

しばらくするとその男性は家に戻ってきた。見ればその手には小さな白い花がある。そしてまっすぐ私の側に歩み寄り、こう言った。「君がその髪につけている造花を、今すぐこの花に交換しなさい。造花は何の匂いもしないだろう?そうではなくて、本物の花の香りを身にまとうんだよ。」そして手にしていた花をそっと私の手に載せた。その花は淡く甘い香りがした。

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視覚中心の感覚が揺さぶられるとき

そのとき私がつけていた髪飾りは、ニュージーランドかどこかで買ったもので、造花とはいえその質感などかなりよくできていたように思う。それでも彼にとって、造花は造花でしかなかった。「本物の花の香りを身にまとう」という何気ない言葉は、私にとっては衝撃的で、目の覚める思いがした。なぜなら周囲の人びとのように私は「同じような花を着けて」いるつもりでいたからだ。けれどそれは花を単に視覚的に捉えているだけの話だった。彼らにとって花とは、その見た目の華やかさだけではない、その香りを愛でるものだった。そして花を身につけるとは、その香りを身にまとうことだった。

ポリネシアの島々は、色とりどりの花に満ちている。その花をひとつひとつ摘み、丁寧に編み、人びとはレイを作り、首いっぱいにそれをかけて、大切な誰かを祝福したり、見送ったりする。そうやって自分がレイを首いっぱいにかけてもらった時に、初めてそのことはわかる。これは単なる視覚的な装飾ではないのだ、これは香りそのものなのだ、と。特に複数のレイが首に掛けられると、様々な花の香りが混じり合い、その濃厚な匂いにクラクラするほどなのだ。

今の私たちは、無意識のうちに視覚中心の世界を生きている。あるいは視覚と聴覚に日々の多くを委ねているともいえるだろう。直接その場にいなくても、オンラインであれば、「見える」し「聞こえる」ようになったのだから、ある程度の情報交換にも困らない。それでもまだ、私はどこかもどかしい。ミチアロ島でのできごとを思い出すたび、自分の感覚が狭く、偏っていることを恥じる。そして私が他者を理解しようとするとき、視覚や聴覚だけで何かをわかったつもりにならないようにしなければと、自分を強く戒める。そこに身体と感覚があるのなら。




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