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この切り立つ岩の壁に挟まれた通りは誰が何のためにつくったのか?

両サイドに切り立つ高さ20mにもおよぶ岩の壁に挟まれた通り。
一筋の空は見えるものの、大地の中に入り込み、洞窟の中に入って行くような感覚に襲われます。

Sovana (ソヴァーナ)の Via Cava di San Sebastiano 聖セバスティアーノの洞窟の通り

イタリア語では、via cava 「洞窟の通り」 もしくはtagliata 「切り通し」と呼ばれていているこのような通りが、イタリア中部トスカーナ州南部の町Pitigliano(ピティリアーノ)、Sovana(ソヴァーナ)、Sorano(ソラーノ)で数多くみつかっています。

この地方は、現在は穏やかなボルセーナ湖が何千年前に噴火したことによってできた凝灰岩によって形成されています。この「洞窟の通り」も、このやらわかな火山由来の岩石を掘って紀元前8世紀から6世紀頃につくられました。

つくったのは、古代ローマ以前に中部イタリアで栄えた文明を持っていたエトルリア人

長さはどれも400mほどですが、なかには1kmを超えるものも。幅は、1mから3、4mほど。幅が広い場合でも、急に狭くなり荷車などの通行が不可能な地点があったりします。ぐねぐねと曲がっている場合が多いのですが、まっすぐな通りもあり、そして2本の通りが平行に走っていることもあり。

でも、この通りはいったい何のためにつくられたのでしょうか?

ある考古学者によると高台から谷へ水を導く水路であったとか、干拓のためであったとか。しかし、20mもの深さの水路が必要なほど水があふれていたのでしょうか?そして、そのために機械もない時代に何千トンもの岩を手作業で掘ったのでしょうか。

もしくは、もともとは浅い溝だったのが、何世紀にもわたる時の経過とともに深くなったという人もいれば、侵略された時の避難通路だったという人や、さらには単なる通路だっという人もいて、正確な答えはでていません。

イタリアのアカデミーのレベルではこの「洞窟の通り」にどうやら大いなる価値を与えず研究されていないのか、または、とても大きな謎が隠されていて、その謎を私達一般人には教えたくないとでも思っているかのようです。

そんな中、地元でエトルリアの研究をされていたジョヴァンニ・フェオ氏によると、これらの「洞窟の通り」は、「聖なる通り」であったでそうです。それは、近くに必ずお墓やネクロポリスがあるからだそうです。

聖セバスティアーノの洞窟の通りを登ったところにあるエトルリア時代はお墓であった洞窟
中世にキリスト教の隠者の住居として使われていた

エトルリアの神々は古代ギリシャ、ローマの神々と似ています。しかし、古代ギリシャの最高神がゼウス、ローマ神話ではユーピテルと男神であったのに対し、エトルリアの最高神は、大地の女神Uni(ウニ)でした。そしてゼウス、ユーピテルにあたるTinia(ティニア)と呼ばれる男神は、最高神ウニの夫という立場でした。

そのため、エトルリア人は、母なる大地、ウニの住まいである大地の中に入り込む、深い半地下の洞窟をつくることには特別な意味があったのです。

古代ローマが繁栄することにより、エトルリア人が信じていた魔術的、神秘的な神々は排除され、男神を主神とした論理的な社会になりました。そのような社会に慣れてしまった私達の感覚ではわからない理由が、この洞窟の通りにはあるように思います。

現代の私たちは、科学の発達していなかった当時の宗教のことを野蛮だと決めつけることはできません。前述のジョヴァンニ・フェオ氏によると、この洞窟の通りやお墓では普通ではない磁場の強さを計測したそうです。通りの外では安定していた磁場が一歩中に入ると強くなり、それは通りを歩いている間中、続いたそうです。また、「洞窟の通り」は、地下の水脈の流れと同じ道筋を通っているそうです。

まだまだ謎につつつまれている「洞窟の通り」。

私のエトルリアへの興味もどんどん深まっていきます。

参考文献:Le Vie Cave Etrusche, Giovanni Feo, LAURUM 2007

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