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太陽神信仰や雄牛信仰の痕跡が残るトスカーナ州ソヴァーナの小さな大聖堂

イタリア、トスカーナ州のとても小さな村ソヴァーナにある決して大きくはないこの教会は、「共同の」という言葉が前につき単独ではありませんが、カテドラル、つまり司教座が置かれている聖堂で、正式名称をConcattedrale dei Santi Pietro e Paoloコンカテドラーレ・デイ・サンティ・ピエトロ・エ・パオロ聖ピエトロと聖パオロ共同大聖堂と言い、日本語ならば大聖堂となります。

Concattedrale dei Santi Pietro e Paolo

なぜ、この人口100人強ほどの小さな村ソヴァーナの教会に、司教座が置かれているのでしょうか。それは、4世紀前半、パレルモの司教マミリアーノがソヴァーナに布教しに来た際、住民がいち早くキリスト教に改宗したことが評価され、すでに5世紀には司教座が置かれたためで、長い歴史があります。

コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認したのが313年。当時、ローマなどの都市部ではキリスト教信者が増えていましたが、田舎では、特に信仰心が篤かったエトルリア文明がもともと栄えていた場所では、キリスト教はなかなか広まりませんでした。実際、「村」を意味したラテン語のpaganusパガーヌスが、その後「異教徒」という意味になったのは、キリスト教に改宗した都会に住むローマの人から見た「村人」=「異教徒」であったからです。

それ故、紀元前古代ローマに征服されるまでエトルリア文明が栄えていたソヴァーナの住民が300年代前半に改宗したということは、とても早い改宗だったことがわかります。布教を行った聖マミリアーノの聖遺物は、今でもソヴァーナの大聖堂の中に置かれています。

聖マミリアーノの聖遺物

そんなソヴァーナの大聖堂の柱は、白と黒の縞模様ですが、一本だけ凝灰岩だけで造られた一色の柱があります。そしてヨーロッパ建築の柱と言えば、その柱頭にも目がいきます。例えば、ギリシア建築の鏡餅状のドーリア式や、渦巻き型のイオニア式、アカンサスの葉の形をしたコリント式が有名ですが、ソヴァーナのその一本だけ仲間はずれの柱には、旧約聖書のストーリーや動物の形が彫られた、とてもユニークな柱頭がつけられています。損傷が激しく、お粗末にも技巧が優れているとは言えないとある論文には書かれていましたが、その複雑さや配置は他に類をみない作品です。

誰がつくらせたかわからないこの柱頭。さらに何の資料もない中で、当時の流行や他の作品などから聖書のどの場面を表しているのか推測したMartina Giuletti氏の意見を紹介させていただく。
ここには、中心にアブラハム、両脇にその妻サラと奴隷のハガルが
それぞれ息子のイサクとイシュマエルを連れている。
他の縞模様の柱は四本の半円の柱が合わさったギリシャ十字型になっているが
この柱だけ柱と柱の間ににもう一本ずつ細い円柱がつけられている。
その円柱の上には、獲物を捕らえた鷲。
鷲は、古代ローマのシンボルでキリスト教においてはポジティブにもネガティブにも描かれる。
「旧約聖書」の「ダニエル書」よりライオンの洞窟の中のダニエル
その左は、サルが2匹。サルは、キリスト教において悪魔的であり原罪のシンボルとネガティブな印象が強い。先ほどの鷲から、このサルまでの部分は、キリスト教関係者ではなく
当時の権力者からの依頼か?
さらにその左は、モーセが紅海を割った奇跡と考えられていたが、現在は岩から水を湧き出させ、
イスラエルの民の喉の渇きを癒したシーンと考えられている。
アダムとイブ。喉を抑えている人物がアダムで、禁止されていたフルーツを食べたアダムへの罰が
喉仏(イタリア語や英語ではアダムの林檎)。12世紀中頃にはこのようなポーズでよく表された。
角度を変えて見てみると、アダムの左には、長いひだのある服を着た人物がアダムの肩を押している。天使がアダムをエデンから追い出している様子か?
その左は、激しく損傷しているが右の人物が腕の下に袋、服のベルトに何かをぶらさげ、穀物の束のような物を持っている。そして、中心の人物が手に動物のようなものを持っているように見えるため、「創世記」のカインとアベルだと考えられる。一番左は、先ほどのように長いひだのある服をきているため天使であろう。

とてもユニークな柱頭が残るこのソヴァーナの大聖堂ですが、実は、私が魅かれたのはこの柱頭ではありません。

ソヴァーナの丘の一番西端に建てられたこの大聖堂が位置する場所は、エトルリア時代にはアクロポリスであり神殿が建てられていました。そして、この大聖堂が建てられる前には、洗礼者ヨハネに捧げられた洗礼堂があり、現在の教会は、12世紀中ごろから13世紀中ごろにかけて造られたものです。そして、この教会の祭壇が向く方向に特徴があるのです。

ユダヤ教のシナゴーグは、聖地エルサレムの方向を向いて祈ることができるよう建てられていましたが、初期キリスト教においては、キリストの復活のシンボルである春分(秋分)の日の出の方向である東を向いてお祈りできるよう教会が建てられました。

新約聖書に東に向いてお祈りするようにとは明言されていませんが、「日の光が上からわたしたちに臨み」(ルカによる福音書1,78)や「もうひとりの御使みつかいが、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た」(ヨハネの黙示録7,2)などの表現があります。

16世紀頃まで祭壇が東を向くように教会が建てられますが、その後は、特に方角は意識されなくなったようです。故にその頃までは、まだ、多神教時代の名残である太陽神信仰の風習が残っていたのではないかと推測してしまいます。なぜなら、このどこよりも早く改宗したソヴァーナの大聖堂の祭壇は東ではなく北東を向いており、その方角は夏至の日の出の方向とピッタリと一致し、その日は天気が許す限り、朝一番の光が祭壇後ろに開けられた縦に細長い窓から聖堂内の奥の壁の中央までまっすぐに差し込むのです。

光が差し込むのは、聖堂内だけではありません。この聖堂の祭壇の下には、以前の建物、洗礼者ヨハネに捧げた洗礼堂から受け継いだと考えられている地下礼拝室がありますが、ここにも夏至の一番の日差しが入り込みます。(洗礼者ヨハネは、キリストの6カ月前に誕生したと考えられており、6月24日がその生誕の日と設定されお祝いされていますが、キリスト教以前はその日は夏至祭りが盛大に祝われていました。)

ソヴァーナの大聖堂のクリプタ(地下聖堂)

現在は、直接地上に出れるドアがありそこからも光が差し込みますが、この太くずっしりとしたかわいい列柱に支えられた丸い形の地下聖堂に入ると大地の子宮に入る感覚があります。この女性性である大地の子宮に、縦に細長く開けられた通路を通り、男性性のエネルギーが一番強い夏至の日に、まっすぐと日の光が入り込むように教会は設計されているのです。

さらに、この教会では、未だに夏至の日の出の時間にミサが行われているのです。ミサは、「最後の晩餐」の再現であるので、日が昇る時間にするのはキリスト教の本来の目的とはずれてしまい、太陽神信仰の名残であると思わずにいられません。

そして、この教会には、多神教時代の遺物と思われるような彫刻が数多く残っています。中でも気になるのは雄牛の彫刻。

ソヴァーナの大聖堂に残る雄牛の彫刻

雄牛は、多神教の農耕信仰と結びついており、繁殖力や肥沃さを象徴する存在です。

例えば、アルファベットの起源であるフェニキア文字において、その一つ目aleph(後にギリシャ語のαアルファとなる)は、雄牛という意味で、雄牛のような形をしており、雄牛は世界の起源を象徴する存在でした。(ちなみに旧約聖書が記されたヘブライ語は、フェニキア語の方言と言えるフェニキア語から派生した言葉でした。)

そして、雄牛は、古代エジプトでは女神ハトホルや肥沃の神アピスの姿として描かれ、ギリシャ神話では、ゼウスが美しい娘エウロペを誘惑するために雄牛に変身した話が有名で、彼らの間に生まれた息子の一人、ミノスはクレタ島の王となりました。エトルリアでも『雄牛の墓』と呼ばれる墓に、地中海の秘儀と雄牛を豊穣と繁殖の象徴とする神話を反映した場面が描かれています。このように雄牛が多神教世界において豊穣と繁殖の象徴であったことは、世界中のあらゆる古代文明の絵画や彫像に裏付けられています。

ソヴァーナの大聖堂には、他にも多神教時代のシンボルが残ります。扉の左下サイドあるのは、エトルリア文明において、多産、豊穣のシンボルであった二つの尾をもつ人魚の彫刻です。

ソヴァーナの大聖堂の入り口。教会の入り口は、通常、祭壇にまっすぐと向かえるよう祭壇の反対側に設けられているが、ソヴァーナの大聖堂はその位置に司教用の住居が隣接して造られたため、入口は北の側面に設けられている。(観光客用の入り口はこの西側に設けられたbook shop)
エトルリアの豊穣、多産のシンボルである2本の尾を持つ人魚
(現在、スターバックスもこの2本の尾を持つ人魚がシンボルだ。)

先ほど、旧約聖書の柱頭の説明で参考にさせてもらったMartina Giulietti氏は、この扉の回りにある彫刻は、信者が俗世の空間から教会という聖なる空間に入るにあたり信者に向けて発せられた道徳的な警告であると書いています。2本の尾の人魚は色欲、武装した騎士は高慢の罪を象徴しているといいます。そして、両手を上げた祈りの姿勢をした人物のレリーフが頂点に位置しているのは、罪の贖いのために従うべき正しい態度を示唆していると考えられると。

ソヴァーナの大聖堂、入口右下にある騎士のレリーフ
ソヴァーナの大聖堂、入口のアーチ部分に両手を上げて飛んでいるような人物のレリーフ

しかしながら、私には、この大聖堂が造られた時、まだ完全に否定することができなかった多神教のシンボルの彫刻を、大聖堂以前にあった取り壊された洗礼堂などから取り出し、そのまま大聖堂にこっそりと組み込んだのではないのかと感じられるのです。二つの尾を持つ人魚のデザインは、村の近くのエトルリア時代のお墓に残っています。それが、いきなり、村民にとって、色欲への警告に変化するとは考えづらいのです。

ソヴァーナの村は、エトルリア時代からローマ時代への移行もスムーズであり、小さく価値がなかったからでもあると思いますが、征服者であるローマに村が破壊されるようなこともありませんでした。そして、まるで聖徳太子が仏教を和をもって受け入れたように、キリスト教とも対立することなく、太陽信仰などの自然崇拝に和みを持って迎え入れ敬い、そしてそのおかげで、未だに太陽神信仰の儀式のような、夏至の早朝にミサを行っているのではないかと私は考えを巡らせています。


関連記事:
ソヴァーナに残る二本の尾を持つ人魚が彫られたエトルリア時代のお墓について

参考文献:
Sacri Segni, Ambra Famiani, effigi 2016
Il fregio capitellare istoriato nel Duomo di Sovana: problematiche e proposte per la lettura iconografica, Martina Giulietti, Debatte Editore 2015
https://www.varganbas.it/chiesa/orientamento_delle_chiese.htm


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Natsuko Tomi
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