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日本に染まる西洋の歌たち 後日談その6(完)

昨年12月に行ったコンサートの後日談を綴るこのnote。
ちょーっとお時間いただいてしまいましたが、ようやく後半プログラムへ!

リートをメインに…というなんとなくのイメージはあったものの、どういうラインナップにしていくかは二人で相談していくなかで自然とカタチになっていきました。

今回焦点のひとつにすることにしたのは、
【翻訳】。

当時西洋音楽が浸透していくには、「日本語で歌える」ということが大きな課題だったんだなと気づいて。
文部省唱歌が世に出たのも明治44年がスタートですから、調べていくうちに、まだまだ音楽自体に馴染みが無い時代から、みんながあたりまえに音楽を楽しめる土壌を作った人々の想いに私たちも寄り添いたいと、思うようになりました。

「野ばら」とか「歌の翼に」なんかは、私もよく日本語で演奏することがありますが、その詩を書いた人のことはほとんど知らなかったんです。
あらゆる音楽が溢れている現代。
ゼロ地点を想像すると、自分たちの当たり前が崩れて新たな視点が現れる瞬間、ハッとさせられます。

合唱音楽の普及に努め、牧師でもあった津川主一(歌の翼に)。
音楽誌の編纂やワーグナーを日本に紹介したことでも知られる近藤朔風(菩提樹)。
音楽之友社を設立した堀内敬三(アデライデ)らのお話や、和訳として歌をご存知の方も多い「春への憧れ」「恋はやさし野辺の花」も演奏しました。

それから、もはや日本の歌なのでは?!
というくらいおなじみの「蛍の光」を、ハイドン編曲でお聞きいただけたのも、とても好評で嬉しかったです^^
閉店の音楽とは思えないほどきらきらした曲になるんですよね、これはまた歌いたいなぁ。


日本の近代音楽史に触れた前田邸でのコンサート。
私たちにとっても、とても充実したひとときとなりました。
終演からしばらく経ちますが、いまでもあの素敵な内装と温かい時間を時折思い出します。

今年も、ご縁がありますように。。

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