見出し画像

芸術家ではないわたしが、芸術のためにできること

「芸術=Art」ものすごく広い言葉である。
わたしの愛書である『岩波国語辞典』でその言葉を調べてみる。

げいじゅつ【芸術】
文芸・絵画・彫刻・音楽・演劇など、独特の表現様式によって美を創作・表現する活動。または、その作品。

岩波国語辞典(第八版)

わたしは芸術に触れるのが好きで、毎月必ず美術館に行く。大々的に広告を打ち出しているような著名な芸術家の大きな作品展も好きだし、小さなギャラリーでひっそりと開催されているような個展も好き。最近はほとんど行っていないが、オーケストラやピアノリサイタルなど、音楽鑑賞ももちろん好き。

芸術家の多くは活動や作品を通して、必ず「伝えたいもの」を持っている。それは世界の美しさだったり、自分の内面だったり、喜びだったり怒りだったり、抽象と具現の往来だったり、百人いれば百通り。ただ単に、絵の上手さを見て欲しいとか、すごい景色を撮ったから褒めて欲しいとか、そういった承認欲求に基づいた活動は、それはそれでいいかもしれないが、どこか違和感がある。「わたしすごいから見て!」というのは、たいがいその人自身や作品にじみ出るもの。

わたし自身は写真を撮ること、ピアノを弾くことが好きだが、まったくアーティストタイプではない。それはきっと「撮る」「弾く」行為が好きなのであって、それを通して何かを感じてほしいとか、何かを伝えたいとか、そういった願望がほとんどない。Instagramにはこまめに写真をアップしているが、「こんな写真撮ったよ」ぐらいの気持ちしかない自覚がある。それはまったく自己満足の範疇を超えておらず、それらを通して何か「伝えたい」「感じてほしい」というものが、ないからだと思う。

写真好きな人たちが集まるコミュニティに参加しているため、グループ展などに出展する機会はある。でも、どこか見知らぬイベントに出展してみようとか、一人で個展を開催してみようとか、そういったことは絶対にないだろうと思う。わたしの写真を好きだと言ってくれる人はたまに現れるものの、それは単に結果論であって、何かを目的に写真を撮っているわけではないんだろうなと思っている。

グループ展といえども、コンセプトを考えて、写真を選んで、印刷や額装など準備をして、キャプションを作成して…など、個人がやるにはなかなか大変な作業が発生する。それでもグループ展なので、出展作品は1点〜数点。印刷や額装、出展料などを含めても、大きな金額にはならない。

それが個展となると、何十点も準備が必要で、もちろんギャラリーも一人で数日借りることになるわけで、正直とてもお金がかかると思う。たくさんの人が来場しやすいように、入場料などを設定しないケースがほとんど。そして開催中は、訪れてくれた人のためにできるだけ在廊する。つまり、仕事を休む/他の仕事ができない状態になる。
作品づくりも、絵画であれば、画材など諸々を買いそろえてアトリエに引きこもり創作に集中する。写真であれば、仕事の合間に旅費をかけて撮るために足を運ぶ。波にのまれそうになったり、崖から落ちそうになったり、寒さで死にそうになったり、危険地帯に近づいたり。時には命がけのときもあるだろう。
そういったさまざまな物理的&経済的コストを背負っても「観てほしい世界がある」「伝えたいものがある」という意欲や情熱に、わたしはとても心を動かされる。それはきっと、わたしにはないものだから、余計にそう感じるのだと思う。

それに気がついたのは本当にごく最近のことだった。欲しかったカメラで撮り始めても、わたしの根本は変わらなかったが、一方で周りには写真に情熱をかける人たちがたくさんいる。「撮って楽しみたい人」と「写真に人生を注ぐ人」の違いはなんだろうと考えるようになったとき(わたしは胸を張って前者と言える)、後者の人たちが持つ内から輝くエネルギーみたいなもの、作品から感じられる静かな情熱のようなもの、それ自体がとても好きなのだとわかった。(ちなみに「写真を仕事にしたい人(クライアントワーク)」はまた少し別だと思っている)

だから、わたしにとっては、最近展示を観たアンリ・マティスも、同年代や若い世代の友人のような写真家も、作品から受け取る感動は同じ。その人の生き方や考え方、見た世界を想像し、思いを巡らせる。頭で考えて、心で感じる、余韻を味わう。それらには「いのち」が込められている。

芸術家ではないが、芸術が好きなわたしにできることを考える。好きな作品を観る、その人を応援する。でも、ちょっと夢がないかもしれないけど、現実的には「購入する」ことが一番いいのではないかと思うようになった。もちろん好きな作品を所有したいという気持ちもあるが、その人の作品が好きで、これからも活動を続けてほしい。その気持ちを購入という行動で表す。最も直接的でわかりやすいのではないか。

かつての芸術家たちにもパトロンがいた。作品を買い取ったり、資材の購入を支援したり、アトリエを貸したり、買ってくれる人を紹介したり。創作活動だけでなく、生活面のサポートまでする場合もあった。
残念ながらわたしは大富豪ではないので、好きな人の作品を買いまくるとか、「これを好きな活動に使って!」とポンと大金を渡すとか、そういったことはできない。でも、芸術活動をしないわたしが現実的に貢献できることといえば、「お金を出す」とか「人を紹介する」ことしかないなと思う。本当に現実的だけど。

「将来こうなりたい」という理想像をなかなか描けないタイプなのですが、自分でギャラリーを持ってとにかく好きな作品を並べたり、ピアノを置いてピアニストを呼んでコンサートをしたり、好きな芸術家を応援したり、人と人をつなげたり。そんなことができたらとても素敵だなと思った。それなら芸術を生み出せないわたしにも、芸術の存続ためにできるかもしれない(お金さえあれば。そこが最重要)

そんなわけで「パトロンになりたい」という新しい夢ができました。
2023年7月、ある日曜日の朝。
これからもよろしくお願いします。がんばります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?