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乗り物展|空っぽの世界に意味を与える言葉のチカラ

先日開催されたグループ写真展「乗り物展」出展作品です。

『いつか遠くへ...』

窓の外には
いつもと変わらない景色

黄色い葉っぱが
季節の移ろいを教えてくれる

ぼくは乗り物だから
自分のちからでは動けないけれど

いつか遠くへ
大好きなきみを乗せて

*
*
*

窓の外を眺めるおもちゃの車は、まだ見ぬ広い世界を想い描く...
そんなちょっと切ない絵本のようなストーリーを添えてみました。

なんとなく撮った一枚でしたが、ストーリーを添えることで新たな意味を感じられる写真になりました。そして今回、「写真」と「言葉」に対する役割と可能性について、あらためて考えるきっかけになりました。

写真を撮ることはわたしにとって大切な時間で、それはどちらかというと「撮る行為」が好きなのであって、切り取られた写真そのものにあまり意味を追求していません。自分の世界観を表現したいとか、こんな写真が撮りたいとか、写真を通して何かを伝えたいとか、実は一切ありません。今、目で見て感じたものを、止められない時間を、この瞬間だけの空気を、そのまま写真というかたちで残せたらいいな…という気持ちで撮っています、たぶん。

つまりは、何も考えていません。むしろ何も考えずに「撮る」行為に没頭できるから、楽しくて特別なのです。

そういうわけで「写真展に出展する」というチャレンジはなかなかハードルが高いです。意味もなく撮っている写真に、意味を持たせなければならないからです。

そこでわたしはキャプションに「解説」でも「秘められた意図」でもなく「創作」を添えることにしました。写真を眺めて、車の気持ちを想像して、心に浮かぶままにストーリーを書きました。上記のキャプションの文章の作成、所要時間は3分ぐらいです。

想像を膨らませてストーリーを書いている時間はとてもわくわくしていました。ああ、やっぱりわたしって文章を書くのが好きなんだな…とあらためて感じる時間でした。
ストーリー性を身につけた写真は、まったく別の写真のように見えて、窓辺に置かれた黄色いタクシーのおもちゃは、わたしに何かを語りかけているように感じました。

言葉は意味を与え、いのちを与え、世界を見る視点を与える。
言葉のチカラが持つ可能性と創造性と、自分自身の言葉への愛着。

写真が大好きで、言葉も大好きだ。
このふたつがカチッと合わさると、こんなにも世界が広がる。

そんな当たり前のことを、意味のない空っぽの世界に意味を与えることで、わたしは一人で納得していました。

そもそも意味なんて、写真に限らず、人が言葉によって後から付け足しているもの。言葉がなければ、意味という概念だって存在しないだろうと思います。意味なんて本当はなくて、人の想像力で与えているに過ぎないのではないでしょうか。意味がないものに、意味を見出す、与える。だからきっと単純なこともいくらでも楽しくもなるし、悲しくもなるし、事実を事実以上に解釈することができるのだろうと思います。

最後に、乗り物について。

どんな乗り物も、どこへでも行けるようで、乗ってくれる人がいなければ、どこへも行けない。
一見自由の象徴のような乗り物は、実はとても不自由な存在ともいえる。
そう考えると、小さな一歩でも、自分自身の意思とチカラだけで踏み出せる人間は、ちっぽけだけどすごいんだよって思える。

読んでくださってありがとうございました。

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