見出し画像

私がシナリオを書き始めたわけ。

こんにちは。natsukoです。

子供の頃の楽しみは、本を読むことでした。
本を読んでは、空想の世界で一人遊びしてるような子でしたね。
「ナツコには本さえ与えておけばいい」と母がよく言ったもんです。

まぁ、でも、成長するにつれ、だんだん空想の世界に行くことは減り、
結婚して、子育てや仕事で忙しくなると、完全に行かなくなりました。
現実世界が目まぐるしいから、時間に追われ、あっという間に夜になって、朝になってを繰り返し、気がつけば40代の終わり。

そんなある日、脳梗塞で母が倒れました。
母には重度の障害が残り、寝たきりの上に、言葉も話せなくなりました。
その日から私の世界がガラッと変わります。介護の日々の始まりです。

脳が壊れた母は、一日中、大声で叫びます。
まるで癇癪の強い1才児。母は最強のラスボスに生まれ変わったんです。糞尿にまみれ、噛みつかれ、クタクタの毎日。私は再び空想の世界に行きたいと思うようになりました。

その頃、ネット検索で「シナリオ・センター」の通信講座を見つけました。
シナリオと小説の違いさえわからなかったけど、何でもいいから、現実を忘れ、夢中になれる創作をやりたかったんですね。母の傍でできるし、私にとっては一石二鳥。すぐに申し込みました。それがシナリオとの出会いです。

基礎講座から本科へと進み、何となくシナリオが書けるようになりました。
53歳の時、初めて応募した短編のラジオドラマのコンクールで最終に残った時は、嬉しくて嬉しくて・・・。
「もしかして、私、才能あるんじゃない?」
これがモチベーションとなり、コンクールに応募するようになったんです。
もちろん一次落ちの作品も積もっていきました。それでも出し続けました。

55歳の時、シナリオ・センターのコンクールで奨励賞をいただきました。
長編での受賞は初めてで、本当に嬉しかったです。母に受賞を伝えると、
すごく喜んでくれました。今もあの満開の笑顔は忘れられません。

授賞式で東京に行った帰り、母へのお土産に、可愛いクッションを買いました。母のベッドに置かれたそのクッションを見るたびに、嬉しさがこみ上げて「母さん、これ、東京のよ。ちょっと違うやろ?かわいいいよね。だってさ、東京のやもん」と、母に何度も同じことを言ってた気がする。
我ながらしつこい。でも、母はニコニコして聞いてくれてましたね。

振り返ると、シナリオと出会えたのは、母のおかげです。
シナリオを通して、たくさんの仲間もできて、今は毎日人生が楽しいです。
母には感謝してもしきれません。

最後に私の大好きなことわざを一つ。
「人生万事塞翁が馬」
本当に人生は何が起こるかわかりません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?