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弓道でジャンケンは強くなるか

7月13日。29歳にして、先月から弓道を習い始めた。

弓道を始めたのは、年齢を重ねるごとに弱くなっている気がする自分の"勝負強さ"を鍛え直したくて。

20歳ぐらいまでは我ながら勝負強く、プレッシャーがかかればかかる程、本番が1番上手くいくタイプだった。

中学1年生の体育祭、バレーボールの試合では自分のサーブだけで連続13点を獲ったし(運動神経が特別良いわけでもない)(そもそもどういう試合?)、発表なんかで人前に立つとテンションが上がり、練習していなくても上手く話せた。

成功体験が「私は本番に強い」という自信を生み、その自信がさらなる成功体験を連れてくるというビッグウェーブに乗りつづけている状態だった。

ところが、20歳を過ぎた辺りから徐々に"勝負強さ"に翳りが見え始める。

「私は本番に強い」が揺らぎはじめた時期のことは、明確におぼえている。
ある日、大学の英語の授業で「日本の文化について英語でプレゼンテーションする」という課題が出た。

もともと、宿題は夏休みが終わって「宿題を持ってくるの忘れました」と言った日の夜からようやく取り掛かるタイプのだらしのない人間なので、真面目に用意したりはしていない。

それでも、発表直前に「話の大枠だけ考えたらアドリブで話せるだろう。知っている単語だけ使えばいいし」とドンと構え、「日本の文化として"合コン"について話したら面白いかな」などとしょうもない作戦を立てた。

なんの緊張もなく、ウケをとってやろうと皮算用までしながら、堂々と教壇に立って話しはじめた。

ところが、何を言おうとしているか英語で全然伝えることができない。さすがに「合コンについて話そうとしている奴」という情報だけはクラスメイトに伝わっている状態で、「えーっとえーっと…」と口をパクパクさせ、なんにも出てこない。

教室中に気まずい空気が充満する。ただ「準備をちゃんとやって来なかったヤバい奴」というだけでなく、「真面目な授業で合コンについて語るという調子に乗ったムーブを繰り出した上、準備不足を露わにし、ノリで切り抜けることさえできずに窮地に陥っている究極にダサいパリピ」と、その場にいる全員の認識が一致する。

その状況に心が折れてしまい、なんとかして切り抜けようという馬力も出ず、どうやってその場を終えたのかも覚えていない。
自分でうやむやに話を切り上げたのか、先生に強制終了させられたのか。
ただ、恥ずかしすぎて、その場にいた仲の良い友達にも笑い話として話すことさえできなかったことだけは覚えている。

それを機に、「自分は本番に強い、勝負強い」という自信が揺らぎはじめた。
20歳を超え、体力気力が衰えはじめ、若い時のように火事場の馬鹿力的な爆発的エネルギーを出せなくなったことも、その要因の一つかもしれない。

20代も終盤の今日この頃は、それがいよいよ顕著になり、勝負をする前に"負ける未来"が見えてしまうようになってきた。

ジャンケンを出す前に「うわ、チョキ出すけど、なんかこれ絶対負けるわ、うわだる〜」と思いながらチョキを出し、そして実際負けるのである。

世の中ジャンケンで決めるようなことは些細なもので(せいぜい「勝った順におつまみの小鉢好きなものを選ぼうぜ」程度)、ジャンケンに負けること自体は大したことではない。

問題は、勝負する前に「自分は負ける」と思っていて、実際負けていることだ。これはよくない。

人生において大切なのは「勝てる」と自分自身を信じられる強い気持ちで、それさえあれば確率論で負けることがあっても大した問題ではないのだ。

精神力を鍛え直そう!
そう思った時、1番に浮かんだのが弓道だった。

遠くにある小さな的に当たるか、当たらないかの世界。キリキリと弓を引いて、真っ直ぐに前を見つめ、全神経と全身を集中して一本の矢を放つ。
袴を着て道場で稽古をする日本古来の武道である。
きっと先生も仙人のようなお爺さんなのだろう。
精神を鍛えるにはぴったりだ。

そう思い、弓道初心者コースの門を叩いた。

実際、弓道はとても楽しい。
弓道八節という、構えて、矢を放ち、元の姿勢に戻るまでの所作がしっかり決まっていて、その型を身体に叩き込むのだ。

素晴らしいことに、弓道を始めてからというもの、ジャンケンをする前に「私は毎週弓道で精神力を鍛えているんだ、負けるわけがない」という強い気持ちで立ち向かえるからか、圧倒的にジャンケンの勝率が上がっている。

先週、初めて実際に的に向かって矢を放つ稽古に入った。いよいよ本格的に勝負強さを鍛えられる場面である。私は心を奮い立たせ、的前に立った。

身体に染み込ませた型をなぞっていく。先生の「いいですね〜しっかり身体が使えてますよ」というお褒めの声を聞きながら、いよいよ矢を放つ時。
心も怖気付いておらず、順調である。
「大丈夫、当ててやる!」と心に喝を入れ、強い気持ちで矢を放った。

強い気持ちで放っただけあり、距離は的までしっかり届いていたものの、矢は的の右側に逸れてしまった。
先生から「当てよう!と思う気持ちで力んだせいで矢がブレましたね。当てよう!と思わないことが大切です」とアドバイスをいただいた。

「当てよう!と思わないこと」
なんと!
勝負強くなりに来ているのに、勝とうとしないことが秘訣なのか…!

そうなると、ジャンケンは「勝とうと思わない姿勢」があれば、勝てるようになるのか。
なんとなんと…!

しかし弓道には「当てよう」と思わなくても集中してなぞっていくべき"型"があるが、ジャンケンには弓道八節のようなものはないので、「勝とう」という気持ちを持たないと、ただただ"無"で立ち向かうしかない。

どこをみているか定かでないうつろな目で、明鏡止水のような平らかな心でジャンケンに臨む人間は、大丈夫なのだろうか。
私なら、そんな友達は嫌だ。シンプルに怖い。
ジャンケンの醍醐味は、にぎやかさである。
地域によってジャンケンの掛け声は違うけれど、日本全国どのエリアでもにぎやかに楽しむための掛け声になっているのは明白だ。
静かに決めるなら、くじ引きか投票でもすればいい。

そうなると、ジャンケンに大切なのは「私は勝てる」という強い気持ちではなく、「にぎやかに参加する、前向きな明るさ」だったのか。

なんの話だ。
頭が混乱してきたので、この話は一旦切り上げよう。

弓道とジャンケン、引き続きどちらも精進しながら、この長い人生を生きていく上で大切な力を探し求めていきたい。

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