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人間の尊厳。息苦しさを感じる社会だからこそ、改めて考えたい。

数年ぶりに映画館で映画を見た。自分ではコントロールできない状況下におかれて悶々としていたある日、突然思い立って映画を見に行った。その日までそんな映画がやっていることも知らなかった。

見た映画は「ラーゲリより愛をこめて」。戦後、ソ連の捕虜となり、収容所’ラーゲリ’に抑留された山本幡生さんの半生を描いた映画

ちなみに私は二宮和也さんのファンでも、北川景子さんのファンでもありません(笑)

それでもこの映画は、見てよかった。

シベリア抑留とは

第二次世界大戦の終結後、満州や朝鮮半島などに残っていた(まだ帰国できていなかった)日本兵は、侵攻してきたソ連軍の捕虜となった。その数は60万人近くにのぼるという。
戦時下ではない強制連行は、国際法違反にもかかわらず、全員が帰国するまでに11年もの歳月を要した。そのうち6万人弱は、過酷な労働と劣悪な環境により亡くなっている。

帰国は抑留から2年後には開始したが、抑留された人のうち、ソ連側から戦争犯罪人やスパイとして容疑をかけらた人は、ソ連での不当な裁判により、重労働25年の刑などに処され、長年帰国が叶わなくなった。

山本幡生氏もその一人だった。

ただ生きるんじゃだめなんです

ラーゲリでの生活は、苦しみと憎悪に溢れているようだった。その怒りがソ連兵に向かないようになのか、ラーゲリでは日本兵の将校が収容者を管理・監督する形をとっていた。

またある時期からは社会主義者に転向するならば、他者よりも優遇されるような環境も作り出していた。社会主義の宣伝者になれば日本に帰国できる、そんな噂も出回っていた。収容所というそもそも過酷な環境において、日本人同士が憎しみ合うように仕向けられていたように思う

そんな中でも、決して人を憎まず、ソ連兵や日本人将校からの不当な暴力にも屈せず、帰国の日は来ると人々に説き、自分自身が希望を捨てないことによって、周囲の人々にも希望を与え続けたのが山本幡生氏だった

抑留が何年も続いたある日、収容所の仲間の一人に届いた手紙。愛する家族の死を知らせる手紙だった。受け取ったその人は、脱走を試み、ソ連兵に射殺されることを願った。山本は彼を引き留め言った。「それでも、生きるんです。」「それでも、希望はあるんです。」

また他の収容所の仲間の一人は、「ただ生きるんじゃだめなんです。山本さんみたいに生きるんだ。」と言っていた。その意味は、どのような環境にあっても、人間として尊厳を捨てずに生きるんだ、という意味だと思う。そしてその尊厳は、他者にも自分にも向いている。

自分と他者に向き合う

私は若いころ、日本という社会にも、自分の人生にも希望を感じていなかった。大きな何かがあったわけではないけれど、自分を覆う空気を重苦しく感じていたのだと思う。

でも今思えば、自分という人間と、自分の人生に対する尊厳を持つことができていなかったのではないかな。

そして今、自分の息子の尊厳を大切にできているのだろうかと自問する。ついつい指示を出してしまったり、ついついしっかり向き合って話をしなかったり。ふとした行動・しぐさで、息子を傷つけてしまっているように思う。

自分のこどもたちには、尊厳をもって生きてほしい。でもそのためにはまず、一番身近な存在である自分が、自分自身と家族に、尊厳をもって向き合う必要がある。

歴史に思いを馳せるとともに、そんなことを改めて考えさせてくれる映画でした。

※地域によってはロングランで上映しているみたいです!ご興味あればぜひ。


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