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遺書No.607 捻れた恋のマニュアルと気紛れなレトリック。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.3.3
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「恋」よりも「愛」のほうが尊いけど、
「愛人」よりも「恋人」のほうが尊いよね。
「人」が加わると立場が逆になる。
これはアレかな、人が愛だの恋だのに手に加えるとろくでもないってことなのか?


こんばんわ、みーくんです。


そういえばね、先日、芸能人が一般人の民家を訪ねる旅番組をやってましてね。

『○○さんとご主人は10年の大恋愛を経て結婚』とね、その民家の夫婦のなれそめをナレーションしてた訳なんだけど、『10年の大恋愛』ってどんなんだろう。

その言葉だけ聞けば確かにすごくロマンティクとゆか、なんだか物凄く尊い素晴らしき人生かな、みたいな見えない物語を想像させるけどね?

ぶっちゃけた話が、いや、自分が捻くれた性格だからこその発想っていう自覚あるんだけど、それって多くの場合は、

ただ籍も入れずに、ダラダラと同棲をしてただけなんちゃぅん?('A`)


とかね、言いたくなっちゃうんだよね。
あ、やむなき事情で遠距離だったとか、やんごとなき事情でそれまでは不可能だったけれど縁切れることなく辿り着いたって背景がある時はね、そりゃありがと思うけど。

・・・ま、いずれにしろね、
物は言いようだよね。
巧妙なレトリックに舌を巻くことはよくある。

恋愛のストーリーなんてものも、
他人の物語は大抵がそう言えるだろう。

表現次第で美しくも儚くもなる。
この社会に存在している恋愛は、
二つの気まぐれの交換と、
二つの表皮の触れあいにすぎない。

目一杯の皮肉を込めて、
ひねくれた愛情表現で誤魔化す夜を重ねるとね。

捻れた恋のマニュアルは、
機械仕掛けの砂時計よりもずっと
残酷に時を刻んだりするものだと思うんだ。


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2022.2.14
毎日遺書を書き始めた当時607日目の投稿内容。
今これをコピペしながら読み返してる時に気付いたけど、今日はバレンタインデーとやらですね。
違う?少なくとも、かつてはボクにもそんな行事もあった気がします。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。