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遺書No.652 学校は何の為に行くのか?

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2006.4.19
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くだらなくたってさ。
楽しければEじゃんっ!
そんな気分の時も、Rじゃんっ!


こんばんわ、みーくんです。

『何の為に学校なんて行くの?』


そう聞かれたら、自分は何て答える?

敵を作る言い回しだけど、
俺は昔から思うんだよね。

時間にルーズな者は、
まず社会に出ても仕事がルーズだ。
これは経験上でいうと、間違いない。

でもって、時間にルーズな人は、
大抵他の何事に対してもだらしがない。

そして俺は、こういう人と関わりを持つと、
その人との距離が近くなればなる程に、
イライラする。

しかも始末の悪い事に、
育ってきた環境の問題だから、
今さら口でどうのこうのと言った所で、
そうそう直るモノでもない。

そもそも義務教育はなぜ行われるのか?
基礎知識と教養の刷り込みもだけど、
総じて一定基準以上の良質さて、
かつ同質性を備えた人材の大量生産だろう。

棘の抜けた言い方をすれば、
社会人への予行演習なんだと思う。

決まった時間に登校し決まった時間で行動する。
決まった時間の中で効率よく学び、
決まった時間の中で食事をとり、遊ぶ。

そんな一人の人間としての生活ルーチンを、
身に付ける為なんだ。
これが身についてる者なら、
大抵の仕事は優れて無くても劣る事はない。

てゆか、
教育指導要領も改訂を重ね続ける訳だが、
結局本来の目的や本分を分かっていない。

勿論、大学や高校どころか、
中学や小学校、はては幼稚園まで、
今や受験が必要になってる地域もあれば、
社会全体で見てもその傾向が強くなっている事は確かだ。

だが一言で言ってしまえば、
ニワトリが先か卵が先かの状況ではあっても、
いずれにしろどちらからかは改革を加えねばならないだろう。

義務教育期間って、何を教えたいの?


最初は怖いものだ。
改革とはまず始めに既存の体質の破壊から始まる。
確かにそこには未知なるモノへの恐怖がつきまとう。

だが事実、
学生時代に誰もが感じ、
冗談にしろ口にするように、
『こんなの社会に出て使わね~よ!』
的な感情を産み出すような教育内容は、
何かが間違っている。


おおおおおおおおっと!!

話しが極端に脱線するからやめようっと。
こんなん語りだしたら、
2時間以上かかるのは間違いない。


ま、アレですょ。

あくまでも学校ってのはさ、
『社会人として一人立ち出来るだけの予行演習だ!』
ってな風に、例えば第一目的を明確にしてさ?


その上で初めて、
社会人(一人の人間)として必要な基礎学力と教養や、
集団の中で生きる為に必要なモラルや観念、
TPOのマナーと礼儀作法、
忍耐力や協調性といった精神論、
そして個と個、集合、和といった枠組みにおける、
コミュニケーション技術やディベート術、
総じて人脈。
それらの社会に対応していく為の能力を学ぶ場所であるべきだと思う訳さ。


言ってみりゃ『何の為に学んでいるのか』は、
簡単に理解できるような明確な目標の元に、
全ての教育が施されるべきだと思うんよ。


「受験の為」や「就職試験の為」みたいな
姿かたちの見えない不安定なモノ…いわゆる、
「最終目的じゃないモノ」の為に行われている内容だから、
社会不適正人間を産み出してしまうんだよ。



何の為に学校なんて行くの?

俺ならこう言うね。

『学校はね、一人前の大人(人間)になる為の予行演習の場なんだよ。そして今の内に学校で習う能力を一つでも多く身に付けておくと、それだけお金も仕事も女の子も、将来好きなように選べる…とまでは行かなくても、選べる選択肢が増やせるんだよ。』

ってさ。
ふん、うるさいうるさい。
おまえがどう思おうと知った事か。


思いつきだから言葉こそ適当ではあるけれども、
いずれにしろどんなにシビアな響きだろうが理由だろうが、
結局大事なのは、
聞いた時に子供が『明確に認識できる答え』を教育には準備しておく必要があると思うよって事だ。

ま、明確に認識できる理由なんてのわ、
実際には人それぞれだしどれが正しいなんて限られた解の話じゃないんだけれどね。

少なくとも、
今の学校教育ではその目的が不鮮明だし、
そもそもアレは親に教育を受けさせる義務があるだけで、「子供が学校に行く義務」じゃないしね。

大人だって子供に良い環境を作れる訳もない。
子供の面倒をみるべき今の大人が、
そういった悪しき環境で育ってるんだから。


悪しき環境を改善する為には、
勇気を振り絞って大きな枠組みの破壊から始めなければならない。

今のまま人間という霊長類が腐敗するのも黙って見てても仕方ないだろう?


どーせ破壊するなら、
人間じゃなく社会の方がずっとマシだ。



ま、大丈夫だよ。
きっとどんなに大変な事になっても、
人間は乗り越えられるんだから。


全部、ただ単に自己中な俺の暴言ですけどね。
是非、俺をイライラさせる人が減る事を祈る。


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2022.4.12
毎日遺書を書き始めた当時652日目の投稿内容。
当時は子供もいないし結婚すらしてなかったから今の状況を想像もしてなかったけど、なんだかんだ、子どもが不登校になっても受け入れる下地はあった気がするなぁ。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。