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カールを食べると記憶がよみがえる

なんだかアホのタイトルですねこれ笑
カール。明治製菓から発売されている私の大好きなスナック菓子。

カールおじさんと、かえるのケロ太がニッコリ微笑むパッケージ。
黄色が和風だし味で、緑がチーズ味。
いつからか西日本でしか販売されなくなり、年末年始に地元の九州に帰った時には必ず買い漁り、関西出張の時にも必ず買い漁り、西から東京に上る時の私の持ち物には必ずカールが含まれる。

とにかくカール愛がすごい。

以前、九州の親戚からお米が送られてきた時、緩衝材代わりにカールがぎっしり詰め込まれていたこともある。カール好きは親戚一同周知である。

昨年からしばらく仕事を休むことになった時、症状の影響で食欲がなくなり、本当に無欲な日々を過ごしていた。
何を食べても美味しくないし、何かを食べたいという感情もない。
人間から食欲を奪ったら、文字通り「味気ない人生」になった。

ある日、何も食べられない私の状況を知った実家の母から段ボールが届いた。
中には冷凍された母の手料理、手作りのあんこ(粒あんが大好きな私)、フルーツ、そして、たくさんのカール。

段ボールから母の愛情が飛び出してきそうなくらい、めいっぱい詰めこまれたひとつひとつの物が温かくて嬉しくて、涙が止まらなかった。

そしてカールを開けて一粒食べた。
小さい頃に、姉が「カールの形が幼虫みたいでこわい」と怯えていたことや、和風だし味は薄味すぎるからと、チーズ味と交互に食べる「贅沢食べ」を発明した時の喜びや、たまにカール同士が「知恵の輪」みたいに絡まっているものがあって「このカールは仲良しだから絡まったまま2つ同時に食べないといけない」という自分ルールを作って、口の中の水分を全部持ってかれたこととか…
まるでカールがトリガーになって、脳の眠っている部分がパカッと開いてこれまでの思い出をドバッと飛び出させたような勢いで、いろんな記憶が蘇ってきた。

「美味しいな」

カール和風だし味は、いつもよりしょっぱかった。

実家で過ごしたのは18歳まで。それからは大阪→東京と一人暮らしが続いているので、母は今現在の私の食の好みを知らない。
実家に帰ると母が作ってくれるのは、私が小さい頃から18歳までのあいだに好きだったものが多い。

そして私は母のその記憶を塗り替えるのが申し訳なくて、
「それもう今はそんなに食べないよ」なんて言えず、変わらず好きだとアピールをするように「美味しい!」を連発する。
気を遣っているというよりは、記憶を守りたいという思いが強いのかもしれない。

母の手料理はもちろん好きだけど、カールを食べると、小さい頃からの記憶や、匂いやその時の感情が一気に蘇る。
それは嬉しくもあり、切なくもあり、苦しくなることもあるけれど、私が形成された日々の思い出でもある。
だからこそ、カールを通してその感情を覚えておこうとしているのかもしれない。

カールにそんな重責を背負わせる気はないけれど、私にとっては大切な思い出のお菓子。過去にタイムスリップするためのアイテム。

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