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【デザイナーのひとりごと72】大文字の謎や歴史に迫る自由研究がしたいかもしれない

眠いなあ、なんだかとっても・・・眠いんです。昨日、ちょっと頑張って原稿仕上げたおかげかなあ・・・あんまり寝ていない割には精神面は比較的元気な元気です(オクラは当分買わないだろうけどさ!)。

本日は、京都の大文字の送り火(「大文字焼き」ではない。そんな、屋台の鉄板焼きみたいな表現はしない方が身のためなんだぜ・・・)の日だったのです。コロナになってから、点火する割合を減らして運営しているらしいけれど、それでもやってくれるだけでもとても嬉しいです。やっぱり、夏の風物詩ですから・・・。

京都市西京区の中でも、私が生まれ育った実家は山のふもとで、ちょっと高台に登れば左右の大文字と妙・法の文字を綺麗に見ることができ、近所の人たちが集う穴場の大文字スポットだったのでした。どの文字もけっこう綺麗に見える割に、交通の便が良いわけでも、有名な場所であるわけでもなかったから、本当に隠れ家的に大文字を楽しむことができる良い場所でした。

ちなみに、京都の大文字の送り火は、全部で6つあります。船形は頑張れば他の型と一緒に見られそうですが、鳥居型は点火位置が低いため、単独で見に行くしかない感じです(これだけはちゃんと見たことがないかも)。

2021年は、大幅に点火位置を減らしての実施でしたが、うちのマンションからでもかろうじて「大」の文字は判別することができました。見られて良かったです。

それにしても、もう8月も後半ですね。毎年、夏ってあっという間に過ぎ去っていくんですよね。実家にいた頃は、家族で送り火を見に高台へ登って、大文字を見上げては「今年の夏はもっとこんなことがしたかった・・・全然遊ばなかったなあ」なんてことを思っていたものです。コロナになってからのことを考えると、贅沢な後悔だって思いますね。社会人になってからは、仕事の都合で見られたり見られなかったりだったけれど、今思えばこの日くらいは早く帰ってきて、家族で見に行っておけば良かったって思います。「いつかやろう」、「またできるだろう」と思っていることって、意外と2度と再現されることがないこともあるから、常に悔いのない人生をやっていきたいですね。

昔の大文字ってめっちゃ豪華版だったらしい

これ、いつだったか前にも大文字のことを調べた時に出てきたのですが、かつての大文字の送り火って、なんと11種類くらいあったのらしいのですよね。

山に画かれた字跡に点火するという行為の起源については、
平安時代とも江戸時代とも言われていますが、
公式な記録は何もありません。
山城国(現在の京都府南部)に関する、
初の総合的・体系的な地誌『雍州府志』によると、
盂蘭盆会や施餓鬼の行事として行われていたとあり、
『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、
江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っていて、
大文字、妙法、舟形、加えて所々の山や原野で火を点けていたということです。

出典:五山の送り火 点火の時間はいつ?よく見える場所と文字の意味と歴史は? 興味津々

この記事によると、昔は「蛇」とか色々あったのですね。ちょっと見てみたいなあ・・・なんだか、意外と汎用性が高い行事なのかもしれません。

ちなみに、こちらの記事にはさらに興味深い内容が。

なんと、かつて京都市西京区の松尾山にも送り火が存在していたというのです!その名も・・・「竿の先の鈴」!さらに、意味はなんと「やかましい」だそうです。これについては特に証拠が残っているわけではないらしいのですが、一説によると大正時代くらいまでは存在していたのでは、とのこと。こいつは・・・調査しがいがありそうです。誰か詳しい地元の人、いないだろうか?当時のことを知っている誰か、ご連絡お待ちしております・・・!!

文献はこちらにあるようだ。とりあえず見てみるかな・・・。

こういうのって、当時の人たちが何をどこまで考えてこうなったのかって、実は誰もきちんと覚えていなくて、記録すらされていないことが多いのです。誰かが覚えてくれていて、さらに、文化を継承できているって、ものすごいことなのですよね。いい機会なのでちょっと勉強がてら調べてみたい、「竿の先の鈴」

さて、本日は久しぶりに、シャワーで済ませずにお風呂を沸かして入って、ぐっすり寝ようと思います!眠い〜。


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