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#34 言葉如きが語れるものか

花開いた今を言葉如きが語れるものか
ヨルシカ「春泥棒」

好きな言葉がある。綺麗な言葉がある。
自分の美的感覚に合った言葉と出会った時、大切に記憶すると共に、その言葉をふと思い出す瞬間が訪れることが楽しみになる。

市場への出荷が昨日佳境を迎えた。ハウスの中にあるカーネーションの7割は姿を消した。忙しすぎて気づかなかったけど、気づいた時には別れが終わっていた。ほぼ空になったハウスを見ると切なくなる。わずかに残された花々は一般のお客さん向けに販売される。母の日が終わればカーネーションの価値は暴落するらしい。こんなに綺麗で可愛いらしい花なのに、一年で輝ける日が限定されるのはなんだか勿体ないと感じてしまう。手入れを施しながら、誰にどの品種を送るかを考える。母、叔母、お婆ちゃん、お世話になった方々の顔を浮かべながら、一つ一つのカーネーションを観察する。

研修終了まであと一週間を切った。

思えば、花を育てたことなんて小学生の夏休み以来だ。
種を蒔けば芽が出た。水をあげると花が咲いた。しかし、それ以外のことは覚えていない。舞台に立ったり、映像作品に出たりすれば監督やスタッフ、時にはお客さんから花束を貰った。綺麗だな、嬉しいなと思いつつ、もう枯れてしまった花たちの記憶はほぼ無い。

そんな私がとあるキッカケを経て、毎日カーネーションに水をあげ、雑草を抜いた。人間が自分で温度を調整できない、全てカーネーションの為にある環境に適応できず、よく体調を崩した。たった2ヶ月、生産者から見れば塵のような時間だが、カーネーションの開花を見届けられたこと大きな財産となった。

曲がりなりにも苦労して、そしてカーネーションは開花した。ハウスの中に広がる赤、ピンク、白、黄色、紫、オレンジ…多種多様な色が咲き乱れた光景は、とても言葉で言い表すことはできない。

花の一番良い状態を己の目に宿すことができるのが生産者の特権だ。その贅沢を享受させてもらった事実は、今後の人生にどんな影響を与えるのか、非常に楽しみである。

まるで我が子を奪われたような錯覚に陥る、ほぼ空になったハウスを見たとき、頭の中にとある曲が流れた。私の心を言語化してくれた。自分の美的感覚に合った言葉と出会った時、大切に記憶すると共に、その言葉をふと思い出す瞬間に立ち会えた時、とても嬉しい。




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