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シャンパンだけが人生だ|村上龍「テニスボーイの憂鬱」
そういえば読書感想文的な物を書いていなかったな、と気付いたので本棚を眺めていたら、やけに古い本が見つかった。
高校生の頃に買った文庫本のため、カバーはボロボロになって捨ててしまい、本のページも日焼けしている。
もう何十回読んだか分からない「テニスボーイの憂鬱」は、村上龍作品の中で一番好きな本だ。
村上春樹派VS村上龍派
文壇界で村上と言えば春樹と龍。
二人共好きだ、という人も勿論いるが、二人の作品はスタイルが全く違うので結構意見が分かれる。
春樹作品が好きな人は龍作品があまり好きではないし、龍作品が好きな人は春樹作品があまり好きじゃない。
かくいう私は圧倒的な龍派だ。
春樹作品も何冊か読んだが、どうにも馬が合わない。
面白い・面白くないとかの次元の話ではないです。
単純に、春樹とは寝たくないけど龍さんになら抱かれたい、みたいな。
さて前置きはこのぐらいにして「テニスボーイの憂鬱」を久し振りに読み返してみた。
三人称を「テニスボーイ」にする斬新さ
小説の冒頭はこうだ。
テニスボーイは犬の吠え声で目が覚めた。全身に酒が残っている。きのうの夜はスーパーマーケットのカメラ売り場の女店員と飲んだ。女はモルタル塗りのアパートに一人で住んでいて、送っていったついでに一発やろうとしたが二人共喋れないほど酔ってしまって女はすりきれた絨毯の上にゲロゲロ戻しおまけにグチャグチャの汚物にコンタクトを落としたと泣き叫んだので、やる気がまったくなくなったのだった。
いきなりフルスロットルでかましてくる。
ここで注目したいのは「テニスボーイ」という名称だ。
本作品の主人公は青木重久という30歳の男性なのだが、作中の地の文では徹底して「テニスボーイ」という呼称をしている。
これに高校生の私は衝撃を受けた。
「旅人」とか「釣り人」みたいな三人称は他にもあるが「テニスボーイ」などというキャッチーな名称で全編通す小説は初めてだったのだ。
そこから私は一気にこの龍ワールドに引き込まれていった。
大人になると、疲れる。
本の読み返しの良いところは、読む時の年齢や心理状態によって印象が全く変わったり、違う感情が湧き出てくることだ。
高校生の時には「面白い」としか思わなかった。
20代の頃には少し冷めた気持ちで読んだ。
そして今現在改めて読んだら、泣けてきたので驚いた。
「本当は二十九なの、今年三十になるの、知らなかったでしょ?」
「それが、どうしたんだよ」
「おばさんよ」
「あのな、俺はそういうのどうでもいいんだよ」
「疲れるのよ」
疲れるのよ、吉野愛子はそう言った後、照れて微笑した。うん、わかる、疲れるってのはわかるよ、テニスボーイも微笑みを返した。
こういう文章の意味が、昔の私にはピンとこなかった。
でも今なら分かる。
テニスボーイには妻子がいて、吉野愛子は愛人だ。
若い時の愛人はいい。
でも三十を越えて愛人でいるのは、勇気や気力や忍耐が要る。
先の見えない不安。老いていく身体。何の保証もない約束。
だから、疲れる。
順番
「あたしと青木さんと奥さんと子供の関係について、何か、言いなさいよ」
「順番だ」
そう言って、テニスボーイは自分でもびっくりした。
(中略)
「順番って何よ」
「可奈ちゃんと知り合う前に女房と知り合った、可奈ちゃんと知り合う前に子供も生まれてた、正直に言うよ、子供はかわいい、俺には、今は、どうにもできないんだ、順番だよ」
本井可奈子は泣き出した。泣きながら、わかった、と言った。
吉野愛子と別れた後、付き合い始めた本井可奈子に言うセリフは、芯を食っている。
物事は全て順番で構成されているのだ。
先に特許を取ったほうが優先。
先に並んでいた人が優先。
先に結婚した相手が優先。
先にいる人を尊重しなければならないのだ。
たとえ後から来たほうが魅力的だったとしても。
シャンパンだけが人生だと思う?
「ねえ、シャンペンだけが人生だと思う?」
「何だよそれ」
「シャンペンだけじゃ生きられないでしょ?」
作中では「シャンペン」と呼称されているが、個人的に「シャンパン」と呼ばせていただく。
愛人の吉野愛子は、人生はシャンパンのようにキラキラした時間ばかりではないでしょ、と問う。
子供だった頃の私は、一丁前に「シャンパンだけが人生じゃない」と思っていた。
でも読み返してみて、今は違う感想を持つ。
シャンパンの黄金に立ち上る泡は、そのままではやがて消えてしまう。
だから消える前に飲み干して、また新しく注げばいい。
楽しい時間がずっと続くように、いつまでも弾けているように、常に新しいキラキラを探して行動し、注ぎ続けるのだ。
だから、現在の私はこう思う。
シャンパンだけが人生なのだ。
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