注射嫌いの大人
注射が大好きだ、という人は聞いたことがないので、多分みんな注射は嫌いなのだろう。
私も注射嫌いの一人だが、その理由は「痛いから」とか「怖いから」を超越している。
注射を打たれると、勝手に涙が出てきてしまうのだ。
子供なら泣いても良い
病院で注射を打たれる子供は、大抵「もうこの世の終わりだ」ぐらいの勢いで泣き叫ぶ。
痛みもだが、おそらく恐怖心のほうが強いのではないか。
身体に針を刺す、という行為はやはり恐ろしいものだ。
大人になると鍼治療などをする人もいるが、多分そういう人は「治療」と割り切れるのだろう。
あまり記憶には無いが、私も子供の頃から注射の度に泣いていたらしい。
でもそれは子供なので、許される。
問題は大人になってからだ。
記憶が不明瞭なのだが、小学校では毎年のように集団予防接種があった。
が、中学生以降は注射をする機会がしばらく無かったように思う。
インフルエンザの予防接種を個人で受ける子はいたのだが、私は注射が嫌いだったので受けなかった。
つまりしばらくの間注射から遠ざかっていたのだが、19歳の時に病気で入院した。
久し振りに注射とのご対面である。
点滴の恐怖
と言ってもそんなに深刻な病気ではない。
腎臓が炎症を起こし、39℃の高熱が続いただけだ。
市販の解熱剤を飲んでも下がらないので病院に行ったところ、入院を勧められた。
「飲み薬と点滴で、一週間ほど入院すれば良くなりますよ」
とにかく熱で身体が辛かったので、お医者さんの言う通り入院することになった。
家に連絡をし、4人部屋の病室に案内される。
同室のオバサマ方に軽く挨拶をして、しばらくベッドでうなされていると、看護師さんが点滴のキャスターを引いてきた。
この時は頭がボーッとしていたので、腕に点滴を打たれてもあまり痛みを感じなかったように思う。
しかし点滴の効果で次第に体が楽になってくると、腕に針が刺さったままという状態に恐怖を感じ始めた。
ご存知の方も多いと思うが、同じ場所に長く点滴をしていると、やがて青アザが出来始める。
このため入院中は何度か点滴を刺す場所を変えなければならない。
入院二日目。
元々アザが出来やすい私は、早速点滴箇所を変えることになった。
肘窩と呼ばれる、腕の内側のくぼみに刺さっていた針を、お医者さんはあろうことか手の甲に刺し替えたのだ。
一般的に皮膚の薄い部分というのは、厚い部分よりも痛みを感じやすい。
刺された瞬間、激痛が走った。
万歳三唱の退院
私の口癖の一つに「私なんにも悪いことしてないのに!」というセリフがある。
主に嫌なことがあったり被害を受けた時に使う言葉で、自分は正しいことをしているのだからこんな仕打ちを受けるのはおかしいと自己を正当化することで、心を防御する高度なメンタル術だ。多分。
「い、痛いーーーー!!あああああ!!」
あまりの痛みに私は泣き叫んで暴れ出した。
お医者さんや看護師さんが私の身体を必死に押さえつける。
「もう少しだから!」
「頑張って!」
無理!無理!
野戦病院で麻酔無しのまま銃弾を取り出されている兵士のごとく、私は暴れた。
そんな私の様子に、お見舞いに来ていた祖母が泣き始める。
「凛ちゃん!お注射だからね!我慢して!」
いつもは強気で「悪いことしてないのに」と考える私も、この時ばかりは心の中であらゆることに謝罪を始めた。
お母さん勝手にお財布から500円取ってごめんなさい。
タケルくん浮気してごめんなさい。
もう絶対しないから許して…。
ようやく針の差し替えが終わり、私はグスグス泣きながら大人しくなった。
気付けば同部屋のオバサマ方が「あらあら」みたいな感じで心配そうにこちらを見ていて、祖母がペコペコと頭を下げている。
その後も入院中に何度か点滴の差し替えが行われ、その度に私は泣き叫んだ。
お医者さんも半ば呆れていたが、痛いものは痛いんだから仕方ない。
やがて熱も下がり、体調が戻った私は退院することになった。
「良かったわねー!」
「大変だったね」
「よく頑張ったわよ!」
同部屋のオバサマ達に祝福され、ようやく注射針から解放された。
大人としての対応
この「点滴暴れ事件」をきっかけに、私は人よりも注射に弱いのではないかと考え始めた。
世間では、大人は多少の痛みを我慢するのが当たり前と思われている。
これは「痛むのが恥ずかしい」というよりも、痛みに耐えてこそ大人という風潮から来ているのではないかと思う。
だが大人になっても私は痛みに敏感だし、それを我慢することが出来ない。
そこで、採血などで針を刺される機会に遭遇した時に、こう言うようになった。
「注射がとても苦手で、泣き出すこともあるのですが、気にしないでください」
すると大抵の看護師さんは「じゃあ横になって採ったほうが良いですね」とベッドに寝かせてくれる。
そして最大限私を気遣いながら採血してくれるのだ。
このテクニックを覚えたことにより、私は涙を流しながらもなんとか注射を乗り切ってきた。
しかし2020年、コロナウイルスの襲来により、私は再び危機に陥った。
ワクチン接種という注射を2回もしなければならなくなったのだ。
頑張った自分を褒めよう
出来ればしたくない注射だったが、私には守りたい人がたくさんいる。
だから怖かったけれども接種券が届いてからすぐにweb予約をした。
そしていよいよ接種、という段になって、私は看護師さんに例のセリフを告げる。
その看護師さんは「あー、そうなのね」と慣れた様子で私をベッドに寝かせてくれた。
いよいよ注射が始まる。
私は緊張のあまり、呼吸が早まり始めた。
心臓が倍速ぐらいでドクドクと鳴る。
「あれ?ちょっと過呼吸になってるね。先生呼んでくるわ。ゆっくり、ゆっくり息してね」
私は恐怖のあまり身体が震え始め、過呼吸に陥っていた。
すぐにお医者さんが来て、脈を測ってくれる。
「うんうん。注射怖いよね。でも大丈夫。すぐ終わるからね。ゆっくり深呼吸しようね」
大の大人に対しても、この病院のお医者さんと看護師さんはやさしかった。
私は浅い呼吸を必死に整えようとしたが、注射針が入ってきた瞬間、恐怖に震え始めた。
呼吸がどんどん早くなり、胸が苦しくなっていく。
「息を大きく吸って!ゆっくり吐き出して!もっとゆっくり!ゆっくり大きく吸って!」
外から聞いたら出産でもしているのかと思われるような声で、看護師さんは私に指示を出し続けた。
やがて接種が終わり、涙を拭う私に看護師さんはブランケットを掛けてくれた。
「これね、お腹に掛けておくと安心するから。待機時間は15分だけど、起き上がれるようになるまで寝てていいからね」
私は、この世界を救うのは、やはり医療技術を持ったお医者さんと、看護師と呼ばれる天使達なのだなと思った。
注射はもちろんしたくない
お医者さんと看護師さんのフォローの末、無事にワクチン接種を2回終えることが出来た。
私はマイナンバーカードも持っているので、これで接種証明も容易になり、旅行にも行きやすくなる。
ただ、世間では「ワクチン接種」という話題は非常にセンシティブな問題だ。
「宗教上の理由」
「注射が嫌いだからしたくない」
「そもそもただの風邪じゃん」
「打ったら5Gに繋がって個人情報を抜き取られる」
様々な理由により接種をしたくない人もいるので、私はあまり周囲の人にワクチン接種の話題を振らないようにしている。
ただ、世界的な流れとしてはワクチン接種のデメリットよりもメリットのほうが多いように思う。
水掛け論になるのでここでワクチン接種についての意義は語らないが、少なくとも私は打った方がメリットがあると考えた。
だから大嫌いな注射を泣きながら打ったのだ。
将来的に、コロナウイルスが飲み薬で解決できるようなものになれば、この騒動も終わるのだろう。
だが現時点では、私は祖母を自分のせいで失いたくないので接種した。
良い感じで終わろうと思ったけど、タケルくんと付き合っている間に2回浮気しました。
ごめんなさい。
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