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地元の町からマクドナルドが消えた理由

都内の大抵の駅には、駅前に少なくとも1店舗ファーストフード店がある。
その代表格であるマクドナルドが、私の地元の駅(都内)には無い。

正確に言うと、かつては存在したが随分昔に閉店してしまった。
そして現在、マックどころかドトールのようなコーヒーチェーン店さえ出店してくる気配は無い。

その悲しい理由について考えてみる。


地元がざわついたあの日

東京23区の中でも下町に当たるこの町は、人口がさして多くない場所のため、大規模チェーン店の出店も他に比べて遅かった。
それでもファミレスや牛丼店などがポツポツ増え始め、私が中学生になった頃、ついに駅前にマクドナルドが出店することになる。

「マックがやって来る」という話を聞いても、地元の人間は意外と冷静だった。
それは一駅先に行けばマックがあるという現状も起因していただろうが、根っこには下町根性があったのだと思う。

「マックが来たから何だってんだ」
「別に何も変わらねーだろ」

というめんどくさい下町プライドがあったのだろう。
そこまで騒ぐこともなく、けれど少々浮き立った気持ちでオープン初日を迎えた。


蓋を開ければお祭り騒ぎ

マック開店当日、そこには長蛇の列ができていた。
島根や鳥取にスタバが初出店した時と同じ勢いだと思ってもらっていい。

近所の腰が曲ったおばあちゃんが「何だってお祭りみたいだからねぇ」と杖をつきながら並んでいるかと思えば、大工のおじさんがビッグマックセットを嬉々として頼んでいたりする。
「俺ぁマックなんか興味無ぇからよ」ってイキがってたのに…。

何だかんだ下町の人間は祭りと喧嘩が大好きなのだ。
マックは大盛況となり、オープンは成功に思えた。

が、事はそう簡単には運ばない。


ガラの悪さに負けたマック

悲しいかな、この町のマックはたった1年で閉店してしまった。
その詳細を知る術はないが、現実的に考えれば採算が合わなかったのだろう。
理由として考えられるのは主に2つだ。

1つは思ったよりも利用者が少なかったこと。
この町の人間は熱しやすく冷めやすい。
だからお祭りのような爆発的熱量を持ったものには熱狂するが、恒久的な存在に関しては冷静な目を持っている。

さらに家族で暮らしている世帯が多いため、「家に帰ればご飯がある」という日常的な事情から、あえてマックに立ち寄る必要が無かったのだ。

もう1つは客単価が低いことだ。
当時のマックは店内でタバコが吸えた。
喫煙者はタバコが吸える場所=オアシスと勝手に認識している。

長年飲食業に従事していたから分かるのだが、禁煙席と喫煙席では明らかに客単価が違う。
禁煙席は食事や飲み物を摂るために席を利用するが、喫煙席はタバコを吸うために利用するので、ワンドリンクでいくらでも粘り続けるのだ。

酒の提供をメインとする居酒屋などではまた事情が変わってくるが、昼間利用が多いカフェやファーストフード店では大きな損失となる。
喫煙者の割合が多いこの町においては、回転数も少なかったのだろう。


悲劇は繰り返される

マック閉店の衝撃からかなりの年数が経った頃、駅近くにオシャレなイタリアンバルがオープンした。
外観や店内のインテリアもこの町に似つかわしくないようなオシャレ仕様であり、私は開店時から月に一度はこの店を訪れるようになった。

しかし、訪れる度に店の様相が変わっていくのだ。

店内の壁に地元のスポーツ団体や祭りのポスターが勝手に貼られるようになり、「ディアボロ風チキンソテー」みたいなメニューがいつの間にか「特製ニンニク唐揚げ」に変わっていった。

客に飲まされてベロベロになった店員の代わりに注文を取る客が現れたり、仕方がないので私も自分で灰皿交換をしたり、ついでに空いたテーブルの皿やグラスを下げたりもした。

こうなるともう「イタリアンバル」では無く「大衆居酒屋」だ。
この町の客によって、店は変えられてしまった。

おそらく「ちょっと変わった場所でニッチな需要を取り込みたい」という意識で始めたのだろうが、この町の住人はイナゴのように全てを自分色に変えてしまう


下町は自分たちの生き方を変えない

「伝統を受け継ぐ」と言えば聞こえは良いが、要するに変わりたくないだけなのだ。
ファミレスの店長が変わったと聞けば「おぅ、お前が新しい店長か。名刺寄こせ」と圧をかけたり、新任の交番の警察官に偉そうに説教をたれたりする。

どうしようもなくめんどくさい。
しかしこの町の人間は、そういうめんどくささを笑って受け入れる

イタリアンバルは結局逃げ出してしまったが、ニーズをしっかり見据えた焼き鳥店や大衆中華料理店は繁盛しているのだ。

「体調が悪いから今日はお店閉めるわ」と連絡してきた小料理屋に駆け付け、常連が代わりに店を開ける、なんてことも普通にある。
別に賃金なんて求めない。
ただただお節介で店を開き、自分たちが酒を飲めればそれで良いのだ。

実はこの町には国際的な、とある施設があるため、現状では経済的に困ることは無い。
しかしこのままでは衰退の一途を辿り、やがて死ぬだろう。
それでもみんなこの町で生き、ここで生涯を終えることを望んでいる

私もこのめんどくさくてお節介な町と一緒に死んでも悔いはないかな。
そんなふうに思う。

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