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好き、だから怖い

わたしには怖いことがたくさんある。

両親や友人にお願いをすること。
恋人に自分の弱いところを見せること。
ライティングに真剣に取り組むこと。

人を頼るのが怖い。
それが好きな人であればあるほど。

本気でやってみるのが怖い。
それがやりたいことであればあるほど。

失望されたらどうしよう

昔から自分が本当に困ったり悩んだりしている時、両親や親友にはほとんど相談することがなかった。

それなのになぜか、カウンセリングやコーチングの先生などが相手だと、さほど抵抗感なく自分のことを話すことができた。

ずっと不思議だった。なんで身近な人にほど、自分の弱いところを見せられないのか。


最近になってようやくわかってきた。わたしは好きな人だからこそ、弱いところを見せることでがっかりされたくないのだ。

カウンセラーなどは言ってしまえば「他人」である。診察や相談の場以外でお互いの人生が交わることは滅多にない。
そもそも日常の自分のことを知らないので、期待もできなければ失望もしようがない。

人の弱いところや欠点 = がっかり……?

でもだんだんと、弱さを見せるとがっかりされるというのは違うんじゃないかと思うようになった。

自分の弱いところや苦手なことを認め、隠さずさらけ出している人ほど魅力的に感じることがたくさんあったからだ。

書道家の武田双雲さんが、先日ブログでこんなことを言っていた。

「欠点」は「結点」
欠けている点は、誰かと誰かを「結びつける点」になる。
欠点はピースを埋める相手と出会うきっかけになる。
違う欠点同士が結ばれると美しい形となる。
それを人は「縁」と呼ぶ

何においても完璧なロボットみたいな人は、果たして魅力的なんだろうか。
欠点があるからこそ、人は共感し、心を動かされ、美しいと感じるのではないだろうか。

そう考えたら、もう少しそのままの自分で人と関わり、表現してもいいんじゃないかと思えた。

とは言っても、正直まだまだわたしは自分の弱いところを見せるのが怖い。

人には「そのままのあなたが素晴らしい」と心から伝えることができるのに、果たして自分にも本当にその価値があるのかというと、信じきれないところがある。

でも少しずつ自分を認め、受け入れていきたい。

本気でやってダメだったらどうしよう

もう1つわたしの怖いもの、それが「書く」こと。

子どもの頃から本を読むのが好きだった。本を開けばいろんな世界や知識や考え方に触れることができた。
未知の世界に飛び込んでワクワクしたり、悩んでいる時は先人の経験や知恵から学んだり。そして何より文章に触れることが癒しになっていた

いつからか、わたしも誰かを元気づけたり癒しとなれるような本を書きたいと、漠然と思うようになっていた。

そんな自分の夢に気がついていたものの、今まで本気でやってみることは無かった。むしろ自分の中にあるその夢を、あまり見ないようにしていたと思う。

ひどく怖かったのだ。本気でやってみて、ダメだったら……。もし夢が砕かれてしまったら、わたしには何も残らないんじゃないかという恐怖があった。

やってみて自分の夢は叶わないのだと、才能がないのだとわかるくらいならやらないほうがマシだと思っていた。

実は一度、ライティングのセミナーに通ったことがある。でも途中でやめてしまった。仕事が忙しくて辞めたと記憶しているが、それは単なる言い訳だったと思う。
ぜんぜん書けなくて、出来るようになる自信がなくて、だけどそれを認めたくなかった。

遠ざかるほど強くなる

それでもやっぱりわたしの夢は消えることがなかった。夢を叶えたいという気持ちは、他の道に進もうとすればするほどむしろ強くなってきているように感じる。
まるで磁力に吸い寄せられているかのように、わたしは結局「書きたい」という気持ちに戻ってきてしまう

怖いけど、それでもやってみたい。
今度こそ納得いくまで本気でやってみたい。

自分の書いた文章が、なかなか人に見られなくても、評価されることがなくても、諦めずに続けてみようと思った。

1年、2年、いや10年書き続けても難しいかもしれない。それでももう諦めたくない。怖さに屈してやりたいことを諦めたくない。

「好き、だから怖い」一見相反するようなこの気持ちは、きっと何よりそれが好きだったり、それをやりたかったりという強い思いの表れなのだと思う。

あなたには、好きだからこそ怖いことはありますか。




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