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【小説】 listen

「えっと、どこまで話しましたっけ?」
そう彼女に言われてふと目線を上げると、喫茶店のテーブル席に座った彼女が私に探るような目線で問いかける。この人はちゃんと聞いているのだろうか?という疑問が頭にあるらしい。かく言う私も心外ではあるが、さっきまで彼女が話していた内容を要約して答える。
「ええ、彼氏さんが嘘をつくということについて、話されていましたよ。ほら、仕事と言って仕事ではないだとか、飲み会だと言って飲み会じゃないとか」
「そうですね、そう言いました。私は、彼との関係について前進したいわけでも後退したいわけでもないんです」
「ええ、なら何もしなければいいじゃないですか」
「でも..!」
少し感情的になった怒りとも失望とも呼べる声音で彼女は言った。
「知ってしまったら、戻れないです。知らなかった頃に」
「そうですね、誰しも知らなかった頃の自分には戻りづらいと思います」
「私は停滞したいと思っていると思っていました」
「停滞、ですか」
「停滞は死です。成長しないことを望むだなんて、おかしいでしょう?誰だって前進を望むはずなのに。成長して日々を過ごして、翌日には変わっていくのに」
「変わりたくない、と願ってしまうことも人間の性のような気がしますよ。そこまで思い詰めなくても..」
そう言って宥めようとすると反論するぞとばかり声が少し大きくなる。
「そりゃそうですよ、側から見たら考えすぎなのは十分承知の上ですよ」
「だったら..」
「でもしょうがないじゃないですか。自分で自分がどこに留まっていたいのかわからなくなってしまったんだから!」
わからないことをわからないとはっきり宣言した彼女は、どこか自分の中で絡まっていた何かが解けたかのようにスッキリしていた。
自分の放つ言葉を聞いて、改めて自分の気持ちを実感できたらしい。
言い終わった後の表情でわかる。素直な子なんだろうな。
少しの間をおいて、私はゆっくり話した。
「わからない、と言うことはこれからそれをわかるように、分かれるように、探していけばいいんじゃないですか」
しばらくして、聞いた言葉を一言一言を噛み締めるように聞いた彼女は、俯きながらぽつりと呟く。
「…いいんですか?それで」
誰かに何かを言われた、と言う他人軸で生きてしまっているからこそ、不安で仕方ないのだ。だからこそ、下を向く。それでも。
「ええ、いいんですよ。人生、長いですから」
彼女が目線を上にあげた時、私は微笑んだ。真っ直ぐに瞳を見た彼女に、思いは通じたらしい。お互いの視線が交わることで通じる気持ちというものはあるのだ。

「ありがとうございました」
深々とお辞儀をした彼女を見送り、私は駅とは反対方向を歩く。
道端の草木の芽吹きが著しい。どこもかしこもめかし込んで美しい。花々は色とりどりで、風は穏やかだ。
ゆっくりと自然を感じながら歩いていると、いつの間にか夜が来る気配がした。1日が終わるのは早い。
ふと、足元をのぞいてみたら小さな猫がこちらを見ていた。目線が合ったかと思えば、パッと駆け出していってしまったので追いかけられはしなかったが素敵な黄色の満月のような瞳だった。綺麗だった。

今日見聞きしたこと全て、血肉となって回っていく。
明日も明後日も、同じ日なんて1日だってないからこそ、翌日が楽しみで仕方ない。
そんな考えをみんなが持てるようになったら..きっと素敵だろうな。
と、我ながらいつも思うけれど、誰しもが共感するとは限らない。
弁えているのだ。これでも、自分の立つべき場所を。
自分なりに工夫して、それでも共感してくれる人がいるならば。
「私なり」から各々の「わたしらしい」に気づいてくれれば。
そう願わずにはいられない。
だから私は、今日も話を聞く「聞き役」を演じる。
その人が主役になれるよう「聴いて」整理する役目を。

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