高学歴の世界線に疲れたんだ
この2年はニュース記事をwebに上げる仕事の末端にいる。
ニュース記事のタイトルは自分で考えて、記者が書いた原稿のリライト部分も含めて偉い人にチェックを受けるのだけれど、偉い人とは感覚が違うのであっさり書き換えられる。
そんな毎日だ。
毎日毎日、田舎のニュースを見るのに飽きてきた。市議会がー、県知事選がー、自衛隊員がー、ダム建設問題がー、、、「今日」ではなく「きょう」、「怪我」ではなく「けが」、「教養が無い人でもわかる言葉で」が理由らしい。アホらしい。そのくせ、「起訴され」「結審され」よほどこっちの方がわからない。
高学歴の人って、教科書が世の真実とばかりにアナウンサーなら「アクセント辞典」が経典だし、報道記者なら「記者ハンドブック用語集」が経典だ。
きっと教科書を暗記して学歴を獲得してきたので、教科書=経典と思い、「根本を疑う」と言うことができないのだろう。
尊敬する小沢健二さんが言っていた。「スーツ」が正装みたいになっているけど、それは先の大戦で戦勝国だったのが欧米だったのでそこの民族服が「正装」になっただけで、もし中国が戦勝国になっていたら全世界、今頃、「人民服」が正装になっていたぐらいのことだと。
そう言えば九州大学卒業の人が言っていた。「襟付きを着ずに出社してくるなんて非常識だ」と。
根本を考えることができていない。
やはり、教科書だ。
昨日こんなことを言われた。
「ルキさんは、国立大出身の人間に負けたく無いと思って疲れてるんですよ。笑」
「学歴なんか関係ないですよ」と言っている高学歴の人は、かなりの確率で「高学歴を自分の価値」だと思っている。それはそれで良いけれど。
甲子園に出場した人間は一生それを誇りに生きていくだろう。
でも、決定的に違うのは「高学歴」の人は、仕事という糧を得るための世界でその学歴の称号が甲子園出場なんかを軽くふっとばせる印籠になっている。
しかしその印籠は、実が伴っていて、ぼくが読めない漢字、知らない世界史、計算速度、判断能力などを持ち合わせていて、ありとあらゆる高学歴者の能力が確かに仕事場ではホームランを打てることなんかより1億倍役にたつ。
AIでやるにしても、プロンプトを入力する文章力がぼくみたいな低学歴者には無い、と思われている。笑
でも、彼等に決定的に無いものがある(もちろん持っている人もいる)。
「センス」だ。
例を上げれば、AIが絵なら4つほど提案してくれる。文章なら校正をしてくれる。
そのチョイスを残念なぐらい間違えるのだ。
センスは大学では教えてくれないらしい。
彼等の偏差値70以上は、日本人口の2%だ。2%の人が50%を占めている偏差値50以下の人が興味を持つものを提示することはできない。
だが、「高学歴者」は、それを認めない。
なぜなら、「自分は努力のできた、選ばれた人間」だと思っているからだ。
ニュース用語がわからないレベルの人間は、「わからないほうが悪い」と思っているのが毎日手に取るようにわかる。
あ、書ききれないけど、不思議なことに東大、京大出身の人でそういう人は見たことがない。
地方国立大学や東京六大学あたりが一番バカに見える。
中途半端に賢いと言うのも困ったものだ。
ぼくは、そんな世界線で仕事をするのに疲れたようだ。
明日は映画「パーフェクトデイズ」を見に行こうと思う。
気に入って頂けましたら、サポートお願い致します。これからもより良い文章を目指して頑張ります。