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日本は「制度的功利主義」と「精神的功利主義」の乖離が大きくなりすぎている

 どうも夏田です。なんか堅苦しいタイトルになっちゃいましたけど楽に読んで下さい(笑)
元部活仲間と話してた時に思いついたことなんでね…
 さて「制度的功利主義」、「精神的功利主義」という言葉ですが、これは私が便宜上名付けたものなのでここにおける定義をまずお話ししますね。

制度的功利主義とは文字通りルールによって実世界で運用される際の功利主義的な考えを指します。例えば選挙制度。日本ではある程度大政党を作るために(これは人によって解釈が異なると思いますが)小選挙区制を、少数の意見を取り入れるために比例代表制を運用しています。これが全体利益になるという考えの元です。
 対して精神的功利主義は人々がこうすればいいのにという考え自体を指します。例えば国民感情として某ガー○ー議員なんて不要なんだよはよやめろと思ってる人が多くいらっしゃることです。そうすれば社会の幸福に貢献するというその思いこそです。

 上記の例は矛盾が起きています。少数派を守り、耳を傾けていくことが幸福になるという比例代表制の制度の元、多くの反感、社会における不利益を買っているとされるとある議員を生み出してしまったわけです。もちろん、ルールや規則、制度には抜け穴が存在しますからこのようなことは起こりえます。ただ、日本は世界に比べてこの乖離が大きくなっていると考えます。

 これらを導いたのは次の4つの理由からだと考えます。
① 国民性
 まず一つにこれがあげられます。というのも日本人は熱しやすく冷めやすい、周りがこうだから自分もこうしようなどの考えが大きいからです。結果的にこれらが一時的な感情で制度を構築したり、フワッと考えが変わったりして乖離が生まれやすくなるわけです。
② メディアのコンテンツ化したがる習性
 次にこの点があげられます。①で述べた国民性をフルに活用した形です。これはコンテンツ化することで飽きやすくさせる、結果適当さが生まれていくことに繋がります。また、面白おかしく取り上げるだけ取り上げて本質を理解せぬまま議論が進むことがあり、歪な制度を生み出すことにも繋がりかねません。
③ メディアの「報道しない自由」
 少し被りますがこれもそうです。これによって国民に限られた情報のみを提供し、歪みが生まれていきます。さらにネットを活用し、あらゆる情報を活用する若者と、新聞だけを読み続けてきた御年寄との精神的な乖離も産まれやすくなるわけです。
④ 少数派がメリットを活かせない
 最後にこれも。少数派には少数派の良さがあり、国会だとそれを踏まえて支援者がいて当選しています。しかしまず①の周りに合わせる国民性のせいでそもそも少数派が声を上げづらくなっている上に、③の報道しない自由によって声はシャットアウトされる。さらに②のコンテンツ化を図るために奇抜さや滑稽さ、過激路線に走らざるを得ないのが現状です。


 これらを踏まえて、私はまずメディアのあり方を見直すことはしなければならないと考えます。論理構築出来ない少数派を生み出す兵器になっているからです。強い少数派を作ることは制度的功利主義の欠陥を指摘し、結果精神的功利主義との乖離を埋めることにも繋がります。
安易なコンテンツ化と報道しない自由から逃れるためにはネットリテラシーを身につけた上で自ら情報を手に入れる姿勢も作り上げねばなりません。何でも流されない個人を作る、現在の曖昧な国民性の再構築を図ることも必要なのではないでしょうか。

 少し堅苦しい話でしたがいかがでしたか。グローバル化、情報化社会を生きる我々には強い少数派づくりとそれを認め合う国民性から新しい功利主義を生み出す時代がすぐそこにきているはずです。たまにそんなことを思いながら毎日をそれなりに生きていけたらと思うこの頃でした。

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