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◆言葉の海に溺れつつ綴ること


最近、Web記事のライターを始めた。

書籍の編集者を1年ほど経験していただけで、執筆はしたことがない。でも、どうしてもライターをしてみたかった。ちいさな、たいしたことない、よくある記事でもいい。

なぜなら、編集者時代に自分の「書きたい」という気持ちに気付いてしまったからだ。

そのもやもやした感情は、ちがう業界へ足を踏み入れた後も心の底で燻っていた。普段は目を逸らして暮らしていけるような、いちばん深い、心の隅っこで。


やりたいと思ったことは、やるまで気が済まない性分である。(この性格の弊害として、欲しいと思ったものは買うまで気が済まない。)果たしてわた
しは、ライターになった。


わたしは幼いころから小説や物語が大好きで、作家先生との信頼関係を築きながら原稿を催促し、時には新たな作品の提案をする、そんな編集者に憧れていた。しかし、わたしが編集者時代に担当したのは主に実用書だった。かなりの繁忙を極めた会社だったため、なんだかもう、訳が分からないうちに校了を迎えることが多かった。憧れの編集者になれても、思い描いていた働き方とは程遠かった。

わたしは、大好きな本と、日本語と、言葉と、どう向き合っていきたいんだろうか。この会社で、それは叶うのだろうか。

ふと、気づいた。

本が好きで編集者になったのに、まったくと言っていいほど本を読む時間をとれていなかった。本末転倒。ぴったりの四字熟語が脳裏に浮かんだ。それから退職までは早かった。


あっけなく終わった、わたしの憧れの「編集者」時代。

しかし、タダでは転ばなかった。
わたしは「読むこと」と同じくらい、「書くこと」が大好きであるという確信を得た。それから、憧れの職業と理想の働き方は別物であること。働くことは好きだが、熱中しすぎると他の好きなことに手が伸びなくなること、など。

多くの発見と教訓を得て、本や言葉からは随分と離れた業種に転職をした。


しかし、消えなかった「書きたい」という気持ち。むしろ「書きたい」だけが残って、わたしの中でくっきりと浮かび上がってきた。

そして、3月。

いろいろな偶然や必然、幸運や不運が重なって、ライター業を始めることになった。

わたしにできることは、言葉と向き合うことである。

それは、小説やエッセイ、詩や短歌、そしてあなたがくれる言葉、すべてである。わたしの周りには、もう息ができないくらいたくさんの言葉がある。美麗な言葉もあれば汚い罵り文句もあるだろう。それらに充分に向き合って、自分の言葉を紡いでいきたい。

なんて、たいそうなことを書いているが、わたしはクライアントの意向に沿った文章を作るだけだ。

でも、絶対、編集者時代のわたしよりステップアップしている気がする。

なぜなら、あの頃のわたしより、今の自分が好きなのだ。
そのことがわたしのステップアップを何よりも証明してくれている。



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