見出し画像

実家に帰る度に居場所がなくなる

 3カ月に1回ほど、新幹線に乗って実家に帰る。

 就職したての頃は、実家が恋しくてたまらなかった。
 「美容院に行く」「大学時代の友達と会う」などと言い訳をつけては実家に帰り、録画したテレビ番組を見て、父の晩酌に付き合い、母の淹れてくれるコーヒーを飲み、妹と買い物に出かけた。
 仕事がつらくても、ここが自分の帰る場所だと思ったし、何かあったときの心のよりどころだった。

 だが1年ほど経つと、少しずつ、実家のにおいが変わってきた。

 まず、1階にあった私の部屋がなくなった。
 正確には、単身赴任を終えて戻ってきた父の部屋になった。
 私が部屋に残していった、本や漫画や雑誌や高校時代の教科書やプロ野球カードや洋服や卒業アルバムや小学校時代のお道具箱や元カレからもらった手紙や、何から何まですべてが家の中で居場所を失った。

 あるときの帰省の際、私は「いるもの」と「いらないもの」に分け、いらないものは捨てた。
 いるものを一人暮らしの部屋に送ろうかと思ったが、本は重くて宅急便代が高いので、スーツケースぱんぱんにできる限りの本を詰め込んで、新幹線で自分で運んだ。
 どっしりしたスーツケースを抱えて駅の階段を下りているとき、気持ちも重くなった。

 次に実家に帰ると、「いるもの」の段ボールが数箱、階段上のスペースに置かれていた。
 その中には、私の名前が刺繍されたよだれ掛けや、幼少期に遊んでいたおもちゃも入っていた。
 きっと親が家の断捨離をした際に「この家ではいらないけど、あの子にとってはいるかも」と判断されたのだろう。
 私はまた段ボールの中から一人暮らしの部屋に持っていくものを選び、スーツケースに詰めた。
 行きはお土産が大量に詰まったスーツケースは、帰りには私の人生の過程で生まれたがらくたでいっぱいになっていた。

 それを10数回、繰り返した。ドカベンは4冊ずつ、プロ野球カードは2球団ずつ、文庫本は10冊ずつ…。実家に置かれた私の段ボールは少しずつ減り、私の一人暮らしの部屋の物はめきめきと増え続けた。
 階段上の段ボールは、3年かけてついにあと1箱になった。

 ところが、この1箱の中身を、なかなか持って帰れないのだ。
 あと残っているものは、台湾人留学生にもらった現地の硬貨、中学の体育祭のはちまき、好きだったアイドルのCD、応援していたバンドのライブグッズ、お気に入りアニメのクリアファイル…。
 正直、もう捨ててもいいものばかりだ。でも、捨てることも持って帰ることもできない。

 そもそも、帰省するごとに、実家は知らない場所へと変貌していく。
 私の歯ブラシやマグカップの定位置が変わっていてなかなか見つからない。
 風呂の椅子が低くなっていて、座ろうとしたら尻もちをついてしまう。
 新しい電子レンジや炊飯器の使い方がわからない。戸惑うことばかりだ。

 だから、あの最後の段ボールの底にある私物を自分のスーツケースに収めるのが、怖い。
 あれが全てなくなったとき、私の居場所も完全に消滅してしまう気がするから。あの不要な私物たちは、実家に座り込み運動をして、私が帰省するための場所と理由を守り続けてくれている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?