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運命の人

27歳、独身、恋人なし、結婚願望はアリ。

SNSを開けば、高校や大学の同級生が次々に「結婚しました」「プロポーズされました」「新婚旅行最高だった」などと報告した投稿ばかり。うらやましいと思いつつ、いちいち傷ついたり落ち込んだりすることは、もうなくなった。でも、いつも思うのは、この友人はお相手を運命の人だと思ったのだろうか、という点だ。

女子たるもの、シンデレラや眠れる森の美女の童話で育ったので、心のどこかで白馬の王子様の登場を期待している。きっと運命的な出会いがあって、その人と会ったら雷に打たれるような衝撃で、燃えるような恋をするのだ、と。今までの恋愛も「この人は私の運命の人だ」と思って付き合ってきた(たまに例外もいたけど)。

でも、そもそも運命って何だろう。

運命は、磁石のS極とM極のように、びたっと引き寄せ合ってくっつくのか。それとも赤い糸で、どこかの誰かにつながっていて手繰り寄せないと分からないのか。

もし運命が赤い糸なら、私の小指からつながってる糸の端っこは、2次元から引っ張り込んでくるか、もしくはものすごくあり得ないほど遠いところにあるんだと思う。いくら手繰り寄せても手繰り寄せても、長い長い糸だから時間がかかってるだけなのかも。そう、自分に言い聞かせてみる。

でも、じゃあ、ものすごく好きな人ができたとして、その人に告白したとして、「ああたは運命の人じゃないからごめんなさい」とお断りされたらどう思うだろうか。振るなら、自分のことをちゃんと知ってから振ってほしいと思うだろう。「運命だから仕方ない」ってあきらめるのは、違うし悔しい。

何もかも人生は運命で決まってるなら、私たちが日々泣いたり笑ったり失敗したり努力したりしているこの毎日は、人生は、何の意味もなくなってしまう。そういうのに抗うために、私たちは自分の人生を選択して生きている。その選択が間違っていたとしても、失敗したとしても、それは運命じゃなくて自分の結果だと受け入れるしかない。何もかも運命のせいにしてしまうのは簡単だけど、それでいいのかな、とも最近ようやく思い始めた。

よく「結婚は妥協だ」「長い人生を一緒に生きていくんだから、恋とか運命とか言ってないで安定が大事」とアドバイスされることがある。半分本当で、半分嘘だと思う。どんな出会いでも、どんな恋でも、どんな結婚でも。運命の相手を選ぶんじゃなくて、選んだ相手が運命なんだと思う。
だから、まずは運命だとか王子様だとか言ってないで、とにかく人に会うしかない。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってわけじゃないけど、待っていてもどうしようもない。自分の人生は自分で切り開くしかないし、自分のことは自分で慰めてあげるしかない。

そんなわけで、私は今夜も、まだ見ぬ誰かに会うために、誘われた合コンに行こうと思う。今夜会う人が運命の人になるかもしれないし。

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