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昔々あるところに頭の弱い女がいました《7》

【前回までの記事】

昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《2》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《3》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《4》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《5》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《6》




日本屈指のドヤ街・山谷地区で
1泊2,000円の激安宿へ辿り着いた私は、
毎日南千住から六本木まで通う生活をスタートさせた。

季節はすっかり冬へと変わり、
街は年末に向けて賑わっていた。

相変わらず六本木とは名ばかりのしみったれたキャバクラ店で、
店長やボーイ・スカウトのF・個性豊かなキャスト陣に囲まれて、
ホームシックの寂しさを紛らわせていた私は今日もくだらないお喋りに花を咲かせる。

当時の私は大人の冗談についていけず真に受けてしまう事も多々あったが、
運が良いことに、出会った人たちが皆心優しかったおかげで、
若さを利用し誤った道へと導く大人に遭遇した事は一度もなかった。
無論、この東京旅行自体が誤った道だと言われればそれまでだが。

店に出勤する以外の時間は全て、
寝床としていた、布団を敷いたらほとんど畳が見えない和室の中で、
脱いだまま無造作に投げ捨てられた服や下着、食べ終わったマックやコンビニ弁当のゴミに囲まれて過ごした。

ぺたんこに潰れた布団の上はこの荒れ果てた海に浮かぶ唯一の島であり、
ただでさえ3畳1間の狭い客室であるにも関わらず、更に布団一枚分のごく僅かな空間だけを生活スペースとしていた。

小さい頃から憧れ続けた東京生活は、
お洒落なものに囲まれ、流行の最先端に身を置き、田舎では手に入らないようなファッションとヘアカラーで、高いヒールを履いて街を闊歩する妄想とは程遠く、
家もなく金もなく友達も居なければ、
手元にあるのは本名も知らない同僚達と3畳1間の下宿先、
仕事のない日は外に出ず、一日中眠るか携帯をいじって過ごす堕落した自分だった。


ただ横になっていただけなのに、
どうして人のカラダは腹が減るんだろう。
ガサゴソとビニール袋の中からコンビニ弁当を取り出すと、
ゴミが散乱する辺りを見渡し、下敷きになっていたリモコンを見つけ出す。
流れるような動作でテレビをつけて、冷えた弁当を頬張った。
その時流れていたのは深夜のニュース番組だった。


『リーマンショックの影響による“派遣切り”で、失業率が増加……』


テレビから聞こえたアナウンサーの言葉に、
それまで特に集中する事もなく音声を右から左へと聞き流していた私は、箸の動きを止めた。

当時、世間はどっかのでかい企業が潰れたとかどーとかで、その影響をしばらく引きずり、大変な事になっていた、らしい。
社会の仕組みも知らなければ時勢の流れもよく分かっていなかった私には、
日本が、世界が、今どんな状況でこの先どうなっていくのか考える頭すら持ち合わせていなかったけど。

あの時テレビに映し出されていたのは、首から下だけ映る「失業者」のインタビュー。
なぜか私は気になって、食い入るように画面を見つめた。失業者はこう答えていた。


『家賃が払えなくなり、数日前から漫喫に寝泊まりしている。
このお金もいつ無くなるか分からない。
働きたいが仕事がない。』


その言葉を聞き、
私の頭の中には知らない自分の声が響いた。


“これ、私じゃん”


その時、初めて生きていくのが怖くなった。




私にとって中学時代は暗黒期だった。
イジメを経験し、反抗期も訪れ、後に不登校になった。
学校に行かなくなると世間との繋がりも無くなり、私は自宅に引きこもるようになった。
貧しかった我が家には自分の部屋などなく、一般的に見てやや広めだった押し入れの中だけが私のプライベート空間だった。

押し入れの中に篭り続け、次第に家族とも口を聞かなくなる。
私の唯一の話し相手は、ネット上にいる顔も見えない誰か。

そんな“リアルドラえもん”として生活していた中学生にとって、
高校に進学しないという選択は当然の事だった。

再び学校という輪の中に溶け込める自信がなかったし、義務教育をまともに受けていないから今更受験勉強なんか出来ない、
そして何より“貧しさ”こそが生まれてからこの身に纏わりついていた最大のコンプレックスであり、
同級生が流行りの服やブランドの小物を身につけているのを羨ましく思う日々に嫌気が差していた。

自分で働き、自分で得たお金を、自分のために使いたい。

だから私は自ら望んで、中卒として働き始めた。


最初の頃は楽しかった。
高校に進学した同級生は少ないバイト代や親からの小遣いでやりくりし、
平日は朝から学校に通い、校則に縛られ、先生やクラスメイトの愚痴をSNSで吐き散らしている。
その点、私は親からの小遣いはないものの、自由シフト制のバイトで好きな時に休み、髪を明るく染め、
今まで見る事も出来なかった数十万の給料を手にし、欲しい物を買う。

親友のYも途中から高校を中退しフリーターになった為、しょっちゅう2人で遊んでいた。
何も縛られる事の無かった私達にとって、あの時間は無敵だった。


しかしその一方で、制服を着た同い年らしき子達とすれ違うと、
自分は送る事ができなかった、学生生活で経験できるまさに青春といった日々を謳歌しているのだろうと感じ、羨ましく思えた。

誰かを羨む暮らしが嫌で働き始めたのに、結局私は誰かを羨んでいた。


本当は高校生になりたかった。
勉強や友情や恋愛など、周りの友達が経験しているであろう事、私も経験したかった。


だから東京に行けば変わると思った。
私にとってあの東京旅行は冒険だった。
帰る日にちも決めない、やってる事は行き当たりばったり。
でも周りの子達は経験できない、高校に行ってたら経験できない。
それを行えている自分は特別で、周りとは違うんだ。
そうやって、自分の直感を信じ進み続けた結果、
坂道を下り、風に流され、いつの間にか端っこを歩いていた。
常に足元しか見ていなかった私は自分がどこにいるのか、どこへと向かっているのか、
遥か昔に通り過ぎた数ある人生の分岐点の先はどこに繋がっていたのか、
何も見なかった。見ようとしなかった。

地元を出れば違う世界に行けると思っていたのに、
どこにいようが何をやろうが常に現状に不満を抱き
「こんなはずじゃなかった、こうなりたかった」と心の中でクダを巻く。

その声をかき消す為に、
大人に混じり、世間を知った顔して背伸びをした。
そうすれば誤魔化せると思った。

でも誤魔化せなかった。
誤魔化すどころか、私は現実を知ってしまった。


このまま進んだらテレビの中の「失業者」は私。
このまま進んだらテレビの中の「失業者」は私。

このまま進んだら、
テレビの中の「失業者」は、私。





年末の忘年会シーズンもようやく落ち着き、大晦日がやってきた。
それまで人通りの激しかった街も流石にこの日は人気がない。

私はいつもの真っ赤なキャリーケースを引きずって東京駅八重洲口にいた。
店の営業は昨日で終わり。今日からは正月休みとなる。

最後の出勤を終えた私はこれまでお世話になった店長やお店の女の子達に別れの挨拶をして、店を出たらそのまま八重洲口へと向かった。

たった数ヶ月の東京での生活だったが、私にとっては長い長い日々だった。
地元にいたんじゃ経験できなかった華やかなドレスやヘアセット、そして山谷地区の狭い宿。
それらとも全て今日でお別れ。

なんだか夢を見ていたようだった。
白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込んだアリスのように、
“道でお金くれるオジサン”を追いかけていたら、いつの間にか夜の世界に迷い込んでいた。


でも日は明けて、早朝出発のバスがもうじきやってくる。
それに乗り込んだら、夢から覚めよう。

最後に、私はスカウトFへメールを送った。

「今までお世話になりました。
Fさんのおかげで、東京で無事に過ごせました。
これから帰ります。ありがとうございました。」

Fからは

「気をつけて帰ってね!」とだけ返事がきた。
物語の最後にしては随分あっさりとした別れの言葉だったが、
夜の世界に身元のよく分からない女が流れ着いてくる事くらい、きっとよくある事なんだろう。

目の前にバスが停まった。
私は乗り込むと、
“またこの場所に来れるかな。来れるといいな”
そう願いながら、目を閉じた。

バスは名古屋駅を目指し、走り出した。



2013年4月。

お馴染みの真っ赤なキャリーケースを引きずって、私は再び東京にやってきた。

某地下鉄駅の出口を出ると、やや小柄な女性が現れた。
私はその方を見つけると駆け寄り声をかける。

「今日から入門する、練習生の卜部です。よろしくお願いします。」

「あぁ」とだけ呟くと、先に歩いていってしまった女性の後ろを追いかけて、
私はこれから新生活を始める寮へと向かった。


昔々あるところにいた頭の弱い女は
数年後、女子プロレスラーになった。


《昔々あるところに頭の弱い女がいました 完》

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