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昔々あるところに頭の弱い女がいました《5》

【前回までの記事】

昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《2》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《3》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《4》




“夏目 薫”という新たな名前を授かり、
六本木でキャバクラデビューする事になった私。

初々しいロングドレスに身を包み、
新人キャバ嬢・夏目の成長物語が始まるーーー



…というのを期待されてた方には本当に申し訳ないんですが、
当時のキャバクラ奮闘記的なエピソードは
まっったく覚えておりません。


都会に憧れた田舎娘が
ふとしたきっかけで辿り着いたキャバクラ店で連続No. 1を記録し、
遂には六本木史に残る伝説のキャバ嬢となったーーー

とかなら書籍化決定、
小さな劇場で映画化なんかもされそうなもんですが、
そういった栄光もまっったくありませんでした。

ご期待に添えなくて申し訳ありません。

しかし皆さん、よく考えてみてください。
もしも私が上記の通り、家出少女から一転キャバ嬢として成功していたのなら、
今頃私は金持ちの旦那に身請けされ、
小型犬抱えて洋服をプロデュースしピラティスでもやっているでしょう?

そんな生活、夢のまた夢。
現実なんてそんなもんです。



キャバ嬢としてのデビューを飾る事になった私ですが、
そのお店は所謂“小箱”で卓数は少なく、
出勤する嬢の数も常時10〜15人前後という、かなり小規模なお店だった。
ぶっちゃけ“キャバクラ”と言っていいのか分からない。

店を盛り上げるキャストには、
比較的歳が近くてよく話していた女子大生のマナミちゃんと、
透明感がありすぎて身体が透けるレベルのリョウさん、
物静かなのにたまにボソっととんでもない下ネタをぶっ込んでくるヒトミさんなど、
個性豊かなキャスト勢が揃っていた。

接客中、女の子たちはよくこの店の事を
「ここは六本木の場末だから〜!」と表現した。
常連と思われるお客さんもドアを開けるなり
「ここ本当に六本木か!?」と叫ぶ。

良く言うとアットホーム、
悪く言うとしみったれた店だったが、
田舎から出てきて夜の世界を知らない私には、それくらいが丁度よかった。



体験入店を終えると、その場でお給料を手渡された。
金額はハッキリ覚えていないけど、
4時間前後働いて、封筒の中には1万何千円か入っていたと思う。
確か時給3,000〜3,500円くらいだった。

当時の岩倉のコンビニバイトは時給750円。研修中はもっと少ない。そんな求人が一般的だった。
そんな環境で生まれ育った人間がたった数時間働いただけで、1万円以上稼いでしまえる世界。
これはもう、ただごとではない。
店の看板が消える頃、私の目の色は完全に変わっていた。


店を出ると、スカウトが調べておいてくれた漫喫へと案内してもらった。
外苑東通り沿い、ドンキの向かいに位置するビルの中。

漫喫までの道中、スカウトは私に
『初出勤は大丈夫だった?』と訊ねた。

しかし完全に“銭モード”に入っていた私は多少嫌なことがあっても
“楽して稼げるって最高!”と無双状態だった。

『地元にいつ帰るか決めてないんでしょ?
しばらく働けば?』

……めちゃくちゃ悪くない提案である。

店で働けば日払いで給料がもらえる為、
歌舞伎町での夜のように路上で路頭に迷う事はない。
それならば、この憧れの大都会・東京での時間を長く過ごす事ができるし、
さらには地元に居るよりも短時間で多く稼ぐ事ができるから、
帰る頃にはいくらか貯金をしておけるかもしれない。

私はすぐにその提案に乗っかった。

『そしたら明日もセットサロンを予約しておくよ。店には1人で来れる?
東京で何か困る事があったら連絡して』

スカウト改めFはそう言うと、
漫喫が入るビルの下まで私を送って帰っていった。



Fに紹介された漫喫で受付を済ます。
「リクライニングチェアとフロアマットどちらのブースが良いか」と聞かれ、
迷うことなくフロアマットを選択した。

その漫喫には通常の料金形態に加え、長時間滞在用のプランもあった。
最長プランは12時間である。
シャワーもついており、フリードリンクで漫画もネットも使い放題。
腹が減ったらカップ麺などのフードも用意され、なんとソフトクリームも食べ放題。
この世における極楽浄土がそこにあった。

私は12時間パックで受付を済ませると指定された番号のブースへ向かった。
今日からここが我が城となる。

ーーーこうして私は
「ホームレスキャバ嬢」として、
東京での暮らしをスタートさせた。



翌日以降も店と漫喫の往復をしながらキャバクラへの出勤を続けた。
一緒に東京に遊びにきていたはずのYは、ホームシックに耐えきれなくなり、一足先に愛知に帰ってしまった。

東京で1人になった私にとって、
店でお客さんやキャストの子達と過ごす時間は、かえって寂しさを紛らわせる事が出来た。
初めて訪れたつるとんたんの丼のデカさに感動し、以来週3で通った。

そして毎日、漫喫の小さく狭いブースの中で、身を丸めて眠りについた。

そんないっぺん変わった東京暮らしを送っていた最中、とある事件が起きる。


夜が深まる時間帯。
その時店内には誰一人お客さんがおらず、キャストは全員待機席で暇を持て余していた。
そういう時の店長はやや機嫌が悪い。

静まり返る店内で、空気を割るように突然店長の携帯が鳴った。
電話に出るなり、慌てた様子の店長。

通話が終わり、どうしたのかと訊ねると、

「Fがキャッチ中に捕まった。
最悪営停(=営業停止)喰らうかも。」


店内は騒然とした。
営停なんて喰らっては、明日からの私のキャバ嬢ライフが崩壊してしまう。
完全にその日暮らしをしていた私にとって、それは死活問題だった。

いつもなら
店が終わる頃には外から戻ってくるFが、
その日は戻ってこなかった。


数日後、いつものように漫喫から出勤すると、そこにはFの姿があった。

「大丈夫なんですか!?」

私はFとの思わぬ再会に驚いた。
なんとか店は営業停止にならずに済んだらしい。

下手したら二度と会えないかもと思っていたFが帰ってきた事に、私は心から安堵した。
それは決して恋心とかそういう類のものではなかったんだけど、
若かった私じゃまだ気づけてなかっただけなのかもしれない。
もしかしたら多少なりとも淡い気持ちは持っていたんだろうなと、当時を振り返って思う。



Fも無事に帰ってきて、
私は相変わらずホームレスキャバ嬢として漫喫に寝泊まりしていた。

漫喫といえど、やはり12時間パックを毎日利用するのは費用が嵩む。
とはいえ東京で家を借りるほどのお金は持っていないし、それほど長く居座るつもりもない。
私はなんとなく、東京で過ごすリミットを
「年内いっぱい」としていた。

そうなると、当初の目標である
「貯金をして地元に帰る」を達成するには、
もう少し宿泊費用を抑えなくてはいけない。

12時間パック終了のお時間が近づくと、
スタッフがわざわざブースまで声をかけに来てくれるので、それが丁度良い目覚ましとなる。
モーニングコールという副産物まで利用出来なくなるのはやや名残惜しいが、背に腹はかえられない。

私はブースに備え付けのパソコンを起動させると
検索エンジンに《東京 ホテル 安い》と打ち込んだ。

画面の中には、宿泊予約サイトに掲載されている数々のホテルが表示されたが、
その中から私はとある一軒の宿を見つけた。


『南千住…完全個室…

1泊2,000円!?』



他のホテルと比べても群を抜いて安い。
ドン・キホーテもびっくりな驚安プライスである。

南千住なら六本木まで日比谷線一本で通えるし、通勤に困ることもないだろう。
私はすぐにでも宿替えしようと予約ページへと進んだ。


当時の私はその街がこう呼ばれているとは知らなかった。

『山谷地区』

そこは、日本屈指の“ドヤ街”である。


《もう少し続く》

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