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昔々あるところに頭の弱い女がいました《4》

【前回までの記事】
昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《2》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《3》



道でオジサンからお金を貰う為に流れ着いた六本木で、
生まれて初めて夜の仕事にスカウトされた私は、その場ですぐに働く事に決めた。

六本木交差点から赤坂方面へ、スカウトマンの後をついていく。
大通り沿いに面した古い雑居ビルに辿り着くと、私達はエレベーターで上階へと向かった。

エレベーターのドアが開くと、
そこには重厚感のある、
気軽に開ける事はできない扉があった。

「お店はここです」

店に近づくにつれて心拍数が上がり、
今にも心臓が胸を突き破りそうになっている私の様子には目もくれず、
スカウトの男は慣れた様子で扉の奥へ入っていった。

“やっぱりやばいかな?
辞めといた方がいいかな?”

頭の中ではそんな考えもよぎったが、
脳が深く考える前に身体が先に動いた。

私はスカウトの背中を追い、
扉の向こう側へ足を踏み入れた。



店の中には、30代細身坊主のヒゲ面と
20代細身坊主のヒゲ無しがいた。

「面接の子連れてきました」

スカウトの男はそういうと、
私をヒゲ面が座る席へと案内した。

着席すると、ヒゲ面は私に名刺を差し出した。

「club◯◯ 店長」

名刺にはそう書いてあった。
どうやらこの人がこの店の店長みたいだ。

そこから私はこのお店で働くための採用面接を受ける事になった。

面接といっても、
履歴書を用意して御社の志望動機と自身のボランティア経験を語るわけではない。

店で用意している採用シートに氏名や住所等を記入し、
後は店長からの簡単な質問に答えるだけだった。

『夜の仕事の経験は?』
「ないです。これが初めて。」

『接客業の経験は?』
「居酒屋でホールスタッフなら。」

『お酒は作ったことある?』
「ないです。居酒屋でビールくらいしか。」

ヒゲ面の店長はパッと見怖そうだが、
喋ると非常に物腰柔らかく、よく見ると優しい瞳をしていた。
お笑いコンビ・スリムクラブの内間を細身にした感じだ。

初めて踏み込んだ夜のお店。
私は相変わらずガチガチに緊張していたが、
内間店長と話している内に、多少気持ちがほぐれていった。

続けて店長は私に、
『どこに住んでるの?』と尋ねた。

私はこの店に辿り着くまでの経緯を説明した。

「住んでるのは愛知なんですけど、東京には旅行で来てて。
お金無くなっちゃったんで、帰れなくなったんです」

店長のつぶらな瞳が、わずかに広がった。

『え?じゃあ今どこに寝泊まりしてるの?』
「最初は漫喫泊まってたんですけど、お金無くなっちゃったんで。泊まる場所ないんですよねぇ。」

『ホテルとかは取ってないの?』
「取ってないです、元々帰る日にち決めてないんで」

店長は、しばらく固まった。
スカウトからは“ヤベェ奴を拾ってきてしまった…”という心の声が聞こえるようだった。


『今日はどうするの?』
「決めてないです。
どうしよっかなーと思って、ここにきました。」

店長は何か考えるように一瞬黙り込んだ。
一方私は、自分の置かれている状況をあまり深く考えておらず、あっけらかんとしていた。

『とりあえず今日は働いていきなよ。
ドレスと靴はお店のものを貸すから。
開店まではまだ時間があるから、先にヘアセットしようか』

店長は私にそう言うと、

『近くにどこか漫喫ないか調べてあげて』
とスカウトの男に声を掛けた。

スカウトの男は頷くと、
携帯を開いてどこかに電話をかけた。

「ヘアセットの予約取れたよ。
荷物は一旦ここに置いて、サロンまで一緒に行こう。
漫喫は今日の仕事が終わるまでに探しておくよ」

私は再びスカウトと共に街に出た。
店から数分歩いたところにヘアサロンはあった。
中は沢山の若い女性でごった返している。

『体入の子です。よろしくお願いします。』

スカウトの男はサロンの受付スタッフにそう伝えると、

『終わったら領収書を貰ってきて。
店までの帰り道は覚えてる?セット終わったら戻ってきてね。道に迷ったら連絡して。』

折り畳んだ携帯を開き、赤外線通信で連絡先を交換すると、スカウトはサロンを後にした。


さて、1人取り残された私は自分の番がくるのを待つ間、不安に押し潰されそうになっていた。

“成り行きでここまできちゃったけど、本当に大丈夫かな。
変なお店だったらどうしよう。
どこかに売り飛ばされたらどうしよう”

周りの女性は皆んな眠そうな顔をしながら、
明るく染めた髪にカーラーを巻きつけ、
雑誌を読むなり化粧をするなり、思い思いに過ごしている。
その中で私1人だけが、ソワソワと落ち着かない様子だった。

田舎から出てきたばかりの小娘にはこの場所は少々居心地が悪かった。
1人だけ住んでいる世界が違う気がして、
自分はまだこのような場所に出入りしてはいけないのではないかと、ちょっぴり泣きそうになった。


しばらくすると名前を呼ばれ、店の奥へと招かれた。
そこには鏡が何台も置かれ、
スタッフとお客さんの笑い声や
電話口の相手に甘えた口調で話す女の子、
プシューと無機質に響くヘアスプレーとその霧。
タバコの煙も入り混じり、視界はやや曇っていた。

案内された席に座るとスタイリストが話しかけてきた。

「今日はどうしましょうか?」

そう聞かれはしたものの、ヘアセットなんて生まれてこの方した事がない。
一体何をどうすれば良いのかもよく分からず、目に見えて挙動不審になっていたと思う。

それを察したスタイリストさんは、
私の目の前に雑誌を何冊か広げてくれた。

雑誌の中のモデル達は、
全員当時流行っていた「盛り髪」をしていた。

トップの髪に逆毛を立て、さらに上から毛を被せる事で、
頭の上に拳一つ分以上の膨らみを持たせる。

オスのニワトリはトサカの大きさによって優劣を競うというが、
あの時代はメスの人間も同じように「盛り」の大きさを競っていた。

アップ、巻き下ろし、ハーフアップ、サイド流し…
当時の夜職の間で主流だったのはその手の髪型だったが、
私はあまり自分自身にしっくりきていなかった。

当時からハーフアップなど、
どちらかと言えば“カワイイ”に分類される髪型は、自分に似合わないと自覚していたからだ。

私は渡された雑誌の中から、とっておきの1枚を見つけオーダーした。

「モヒカンで」

当時、若い女性のバイブルとなっていた雑誌「小悪魔ageha」では、
同誌の人気モデルだった荒木さやかや桜井莉菜が
時たまモヒカン風に仕上げた髪で誌面を飾っており、それがたまらなく格好良かったのだ。

参考:モヒカン風ヘアセット


生まれて初めてのヘアセットは、
なんだか今までの自分とは違う、新たなステップを踏んだ気がして嬉しかった。

これから始まる初めての経験を前に、不安が無くなることはなかったが、
徐々に仕上がっていく髪型を見ていたら、不思議と期待も膨らんだ。


気づいた頃には鏡の中に、
髪を巻いて筋を入れ、ヘアスプレーでパリパリに固めた、見違えるような自分がいた。
岩倉という小さな街では見たことがない自分だった。

担当してくれたスタイリストさんにお礼を伝え、私は店に戻った。



店には先ほどまで居たスカウトの姿はなく、
店長と、20代のヒゲ無し坊主、
店の奥ではガタイの良いオールバックのおじさんがおしぼりを巻いていた。

『仕事の説明するからこっちきて』

店長に呼ばれて席に着くと、
店長はグラスと氷、水を用意してテーブルの上に並べた。

『まずお酒の作り方からね。
先に氷を入れて、お酒は大体指2〜3本分。いきなり濃く入れちゃダメだよ。
水を入れてマドラーでかき混ぜてから、お客さんに渡してね』

店長は目の前で実演しながら丁寧に教えてくれた。

『灰皿は2本溜まったら交換ね。古い灰皿は机の端に置いてくれたら回収するから。
替えがなくなったら、俺かアイツを呼んで』

そう言って店長は20代ヒゲ無し坊主を指さした。この店のボーイらしい。

『うちの店はお触り禁止だから。変なことされそうになったらすぐに呼んで』

「呼ぶ時はどう呼べばいいんですか?」

『手を上げて
“お願いします”と呼んでくれたら良いよ』

どうやらこのお店の業態は
“キャバクラ”として営業しているようだ。
『お触り禁止』と聞いて、私は心底安心した。

その他にも店長は色んな事を教えてくれた。

「お願いします」と呼んだあと、
両手で輪を作ったら“灰皿交換”
雑巾を絞るように両手を動かしたら“おしぼり交換”
左右の爪を擦り合わせたら“冷たいおしぼり”
ばってん印は皆ご存知 “お会計”と、
夜の店での所作を全て教えてくれた。

※店によってジェスチャーには違いがあります


キャバクラにおける一連の仕事を教えてもらった後、店長は私に尋ねた。

『店での名前は何にしようか?』

妄想の中で、例えば「自分の子供にどんな名前をつけたい?」は考えたことがあったけど、源氏名までは考えた事がなかった。
本名のままでも良かったけど、せっかくなら自分にも、新たな名前が欲しかった。

するとボーイの青年が、
店の棚から4〜5個の小さな箱を取り出した。

「この名刺余ってますよ」

聞いたらそれは、すでに店を辞めてしまった子達の名刺らしい。
名前の主がいなくなった名刺は、誰の手にも渡る事なく棚の奥で眠っていたようだ。

通常、体験入店や新人の女の子はまだオリジナルの名刺がないため、
店名だけが印刷された空の名刺に自分で名前を書いて使用する。
非常に質素だが、初々しさの象徴でもあり、
「まだ誰の唾もついていない」事を意味する。

他の子の名刺を使い回すというのはあまり聞いた事がないが、
当時はその辺もよく分かっていなかったので、なんの違和感も感じなかった。

一条やら一ノ瀬やら、当時はそんな源氏名が流行っていた。
後は漢字に桃をつけたり、麗をつけたり、華をつけたり。

目の前に並べられた名刺には、
オーキド博士の元でどのポケモンを選ぶか悩むのと同じ楽しさがあった。

その中で私の目を引いたのは、
鮮やかな黄色に明朝体で刷られた名刺。

《夏目 薫》

本名である“夏”も入っているし、
なんとなく昭和の銀幕女優みたい。
その名前に、私は強く惹かれた。

「これでいきます。」

こうして私は、
顔も知らない初代から名前を襲名し、
“2代目・夏目 薫”として店に立つ事になった。

店から借りたドレスに着替えヒールを履き、
私は“卜部 夏紀”ではなくなった。


《やっぱ続く》

初めてのヘアセットが嬉しくて、
仕事後の漫喫ブースで撮った“モヒカン”

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