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昔々あるところに頭の弱い女がいました《6》

【前回までの記事】

昔々あるところに頭の弱い女がいました《1》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《2》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《3》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《4》
昔々あるところに頭の弱い女がいました《5》




その日は日曜日だった。

プランのない東京旅行で常に選択肢を間違い続けた結果、流れるようにたどり着いた一軒のキャバクラ店。
“六本木の場末”と評されるその店で働き出した私は、唯一の店休日である日曜日だけが自身の休日でもあった。

休日だからといって、東京の様々な場所に遊びに行ったとか、そんな思い出はない。
確か住処としていた漫喫の、狭いブースの中でひたすら寝て過ごし、
たまに起きてはフリードリンクと食べ放題のソフトクリームを嗜み、
漫画を読んで、また眠たくなったら寝る。

薄暗い店内では今が昼か夜かも分からない。
コンビニに行こうと外に出ると、すっかり日は落ち 肌寒くて、
「あーまた今日も終わってしまった」と、ほんのちょっと死にたくなる。
そんな自堕落な休日を過ごしていた。

ちなみに余談だが、これを書いている今日は奇しくも同じ日曜日で、
今日もそんな1日を過ごしてしまい、ほんのちょっと死にたい。
10年経っても人の本質が変わる事はない。
きっと20年、30年経ったって、
私が今以上の自分に変わることはないんだ。


しかしあの日の私は、珍しく日が出ている早めの時間から行動していた。
とはいえ、朝から動くわけではない。早めといっても昼過ぎである。

今日は「引っ越し」を控えていたからだ。

住んでいる場所が“漫喫”であるという点を除けば、
今で言うところの「港区女子」であった私だが、やはり港区で生活するには金が掛かる。

日々のキャバクラでの給料を少しでも手元に残したまま地元に帰りたかった私は、
偶然ネットで見かけた宿へと向かっていた。


六本木駅から日比谷線で一本。
降り立ったのは「南千住」駅。

改札を出るとマックがあって、その奥の大通りを直進した。

六本木に比べると、栄えているとは言い難く、通行人も少ない。
そして何より六本木では、ネオンや街路樹の電飾が点灯し、イルミネーションを楽しめたが、
この街では足を進めれば進めるほど、ブルーシートの青色が映り、目が醒める。

この街が「山谷地区」と呼ばれ、
日本屈指のドヤ街として数えられている事は大人になってから知った。
当時の私は岩倉しか知らなかったから、
社会が地域によって住む人や建物、物価すらも変える事を知らなかった。

辿り着いた新たな城は、
1泊2,000円の激安宿だった。

真っ赤なキャリーケースを引きずって、宿の暖簾をくぐる。

フロントで精算を済ますと若干やる気のなさそうな“ホテルマン”は
私にこの宿でのしきたりを教えてくれた。

・入室したら静かに過ごす事
・備え付けのゴミ箱がいっぱいになったら、フロント前の大きなゴミ箱に捨てる事
・部屋から出る際は必ず施錠する事
・トイレや風呂は他の客と共同だから、空いているタイミングを狙って使う事
・使用中は必ず鍵を掛ける事(鍵を掛けないと他の客が入ってくる)


そして私は部屋へと案内された。
ドアを開けると、そこには3畳1間の和室スペースに、折り畳まれた布団が一式、テレビと小さなゴミ箱が1つ。
たったそれだけがポツンと置かれる空間だった。

もしも今の私があの空間に連れて行かれたら
「刑務所かよ!」とツッコまずにはいられない。
だけどあの頃の私は、その場所に辿り着けたことが心の底から嬉しかった。

漫喫では、1ブースごとに仕切られているといえど、天井までは壁が繋がっておらず、ドアも非常に簡易的だ。
廊下から少し背伸びをしたり下から覗いてしまえば、そこにプライベートは一切無い。
着替える時には周りに誰もいない事を確認してからブラを外していたし、些細な生活音にすら気を使う。
いざ眠るときは知らない人のイビキが子守唄だし、
微妙に広さが足りないから、全身を上から下まで完全に伸ばして眠ることもできなかった。

そんな生活をしばらく続けていた私にとっては、
ここが刑務所だろうが、正真正銘 自分1人だけの空間が出来て
布団の上でうんと足を伸ばして眠る事ができるのがたまらなく嬉しかったし、
田舎から東京に出てきて初めて羽を伸ばすことができた。

私は喜んでその宿に“服役”した。



その宿の特徴は、他にもある。
それは、小さなブラウン管テレビでペイチャンネルが見放題だった事だ。
テレビカードや年確なんかも要らない。
文字通り、いつだってペイチャンネルが“見放題”なのである。

当時の東京での暮らしにおいて、私にはテレビを観る事すら新鮮だった。
東京に来てから今日まで一度もテレビを観ていない。

生まれてからずっと生粋のテレビっ子だった私は、
テレビゲーム禁止の家庭(今考えたらお金なくて買えなかっただけ)で育った事もあり、
暇つぶしといえば専らテレビだった。
幼少期の実家には壁一面にでっかい棚が置いてあり、そこには100本を超える数のVHSが並んでいた。

母親が録画した数々のドラマやバラエティ、
金曜ロードショーで流れた映画(特に「スーパーの女」は今でも覚えてる)

とにかく生まれてから私の感性を創り続けてきたのはテレビだった。
今思えば、だから芸能界に憧れていたのかもしれない。

そんな私にとって、テレビを観れない日々はややキツいものがあった。

部屋に入り荷物を置くと、
これまで誰が寝てきたのか分からない、弾力性は遥か昔に失った くたびれた布団を敷いて、
早速テレビの電源をつけた。

確か夕方〜夜に差し掛かる時間帯だったと思う。
私の大好きなバラエティが放送されるにはまだ早かったけど、
テレビを観れている。それだけで幸せだった。

久しぶりのテレビに私は夢中でかじりついていた。
少し観てはチャンネルを回し、また少し観ては回し…を繰り返し、何回かボタンを押し続けていると、
ブラウン管の中の景色は突然違うものへと変わった。

画面いっぱいに広がる苦しそうな女性の顔。
部屋中に鳴り響く、甲高い喘ぎ声。

私は慌ててチャンネルを戻す。
画面は再び、見慣れたテレビ局のアナウンサーを映した。

「もしかしたら今のは見間違いかもしれない」と思った私は、
真相を確かめるべく、再びチャンネルボタンを進めた。

するとやはりそこには、
霰もない格好をし、身体の一部をモザイクに覆われ、ananと喘ぐ女性の姿が映っていたのだ。

私は驚いた。
AVとは、背徳的で秘められたモノであり、
特に女として育ってきた私にはやや遠い存在だった。
しかしそんなものを、こんなにカジュアルに観る日が来るとは思わなかった。

もう一度、チャンネルを回してみる。
すると今度は何かのドラマへ切り変わる。

観たこともない女優だが、きちんと台詞もあり演技もしていた。
しばらく観ていると、その女優は衣服を脱ぎ、男性と共にベッドへ沈み、より深い行為を始めた。

こんなドラマ、地上波で見たことない。
ただのドラマ仕立てのペイだった。

こんな感じでその宿のテレビでは、
ペイチャンネルを2〜3局から選ぶことが出来た。
さらにチャンネルボタンを進めると、一周回って再び先頭に戻る。

地上波とペイの狭間に映るは、国営放送・NHK。

南千住のドヤ街には、
NHKとペイチャンネルが混在する世界が存在していた。




私はその日から、南千住から六本木へ通う生活を送った。
仕事終わりには南千住駅近くのマックに通い、
当時期間限定品として発売されたばかりのクォーターパウンダーの美味しさに感動し、
主な栄養素は全てマックから吸収していた。

朝の訪れと共に活動を開始し、
早朝から駅に向かう南千住のオジサン達を横目に私は逆方向へと向かい、
宿に戻ると夕方まで眠った。


そんな生活を繰り返していく中で、私には一つ気がかりな事があった。
歌舞伎町で出会い、(頭が)哀れな私に5,000円をくれたホスト・Mの存在だった。

やはり知らない人から受け取ったお金を易々と貰うわけにはいかないと、
やっとまともな感覚を身につけだした私は、
Mにお金を返そうと、キャバクラで働き始めた当初に連絡を取っていた。

あの時5,000円と共に貰った名刺に記載されていたアドレスにメールを送る。

『あの後、なんか成り行きでキャバクラで働くことになりました〜ワラ
貰ったお金返したいので会えませんか!?m(__)m』

当時流行っていたデコ絵文字をふんだんに使ってメールを送ると、
Mからは

『無事でよかったよ!
今日は忙しいからまた連絡するね!』

最初はこんな感じで返信が来ていたと思う。

それからしばらく連絡を待っていると、
改めてMからメールが届いた。

『お疲れ!今も六本木で働いてる?
よかったら今日店に飲みに来なよ!』

生憎その日は出勤だった為、行けない旨を伝えると、
Mは「2部営業だから」と食い下がってきた。

※ホストクラブでは営業する時間帯によって1部・2部と分かれている。
2部は朝〜の営業時間の事を指し、主にキャバクラや風俗店などで夜間働く女の子が飲みに行く。
尚、当時の知識なので今は違うかもしれないから、今行きたい子はシステムをよく調べて、
そのお金でネイルやエステなど自己投資に使う事をオススメする


その日からほぼ毎日
Mから頻繁にメールが届くようになったが、
内容は全て自身の働くホストクラブへ飲みに来るよう促すメールだった。


「営業かよ!!!」

私はキレた。
そして、すかさず恩人であるはずのMのメアドを迷惑メールとしてブロックした。



「いや行けよ!!!」

今の私なら思う。
せめて貰った5,000円分はMの売り上げに貢献すべきだったと思う。
それが結局 泥濘にハマらせる罠だったとしても、
あの日あの夜、Mは最高に頭が弱かった私に、
回収できる保証もない中5,000円をくれたのだ。
それに対し、せめて義理は果たすべきだったのではないかと思う。

しかし、こうとも考えられるだろう。
頭の弱かった私があの時1度でもホストクラブに出入りしてしまったら、
きっと取り返しのつかない事になっていた。
闇金ウシジマくんの登場人物として取り上げられていたかもしれない。


ーーーだって私は1〜2年後、
とある“恋”から逃れる為に大阪に逃亡し、
舞台を変えて同じような漫喫暮らしを送る事になるのだから。

…………しかしそれはまた、別のお話。



《たぶん次でラスト》

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