1分短編 #19 「捨てられた宝物」
#19 「捨てられた宝物」
深夜1時。やっと退勤できた佑希は、ここ最近ずっと寝泊まりしているネットカフェへの道を歩いている。会社から10分の徒歩ですら途中で止まりそうなほど、その足取りは重い。
去年4月には新入社員としてわくわくした気持ちで入社したはずなのに、どうしてこうなっているのだろう、なんて考えても意味のないことが頭をよぎる。「残業ゼロ」「先輩社員との距離が近くてアットホームな職場」就活の時に散々耳にしたこの言葉は、魔法の言葉だった。朝7時から夜1時まで仕事をしたとしても、書類上はきっかり8時間勤務。もちろんサービス残業である。毎年20人ほど採用するにも関わらず、激務に耐えきれず半年後には約半分、1年後には半分以下になっている。生き残った者同士、年齢関係なく、良く言えば切磋琢磨、悪く言えば蹴落とし合いながら働いている。そんな環境で2年が経つ頃には会社を辞めるという選択肢が出てこないほど、思考回路が凝り固まる。佑希もすっかりその文化に染まり、朝から晩までサービス残業の日々。繁忙期は特に家に帰れなくなる時間にならないと仕事が終わらない。会社近くのネットカフェには、佑希の他にも複数の社員が寝に来ている。
今日はこれをやらかした、これがだめだった、明日はこれとこれとあれをやらなければいけない。いくら考えても纏まらないのに止まらない思考に辟易しながら、佑希は最後の交差点を左に曲がる。後100mもすればネットカフェに着く。落ちかけていた瞼を上げ、前を確認する。すると、目の前の足元に何かきらきらするものが見えた。普段であれば見間違いだとスルーしてしまうところだが、今日の佑希は何故だかしゃがんで見てみる。佑希の視界にはっきり映ったのは、身体の色が闇に紛れた黒猫であった。2つの瞳と首に光るプレートがきらきらして見えたようだった。プレートをかけているならどこかからの脱走猫かと思い、佑希は黒猫の首を覗き込む。
「飼い主求む。名前はファベルジェ。」
名前付きの捨て猫だった。ファベルジェを抱き上げた佑希は、次の日初めて会社を休んだ。
100本ノック19本目。
(追記: 18本目だと思ってたら19本目でしたぁぁぁ)
ファベルジェ。Фаберже。
19世紀ロシアの金細工職人の名前です。インペリアルイースターエッグや、数々の美しきジュエリーたち。ファベルジェの製作したものそれ自体をファベルジェと呼ぶこともあるくらい。ジュエリー好きな人には堪らない、そんな素晴らしい職人さんです。ロシア・サンクトペテルブルクにはファベルジェの作品を集めたファベルジェ美術館があります。本当に何時間でもいられる、とても好きな場所です。
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