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リアル・ラブ 【ショートショート】

ビートルズの27年ぶりの新曲「ナウ・アンド・ゼン」を聴いた夜、理(さとる)は彼女の里紗(りさ)に別れを告げた。

里紗とは学生の頃からなので10年以上、恋人関係にある。同棲をしてからは8年。結婚こそしていないもののお互いの両親も知っているし、頻度こそ減ったもののセックスでは避妊もしていない。

3ヶ月前、理は里紗と一緒にディーラーに行き、理名義で新車を注文した。ビートルズの新曲がリリースされる直前の10月末に車が届き、翌月の11月3日深夜、理は里紗に別れ話を切り出した。

11月4日の午前3時、理はピカピカの新車に乗って自宅から200km離れた目的地に向かって走っている。ビートルズからの流れで、ベタすぎると思ったがどうしてもペニーレイン那須店に行きたかった。ビートルズをモチーフにしている栃木県のベーカリー&カフェ。特にビートルズファンから人気がある。数年前に理は一度だけ訪れたことがあった。太陽の下であまりにも幸せそうにしている他人で溢れていたベーカリーの、なんともいえない不思議な力に魅了された。その力で理の魂も浄化されるんじゃないか、という期待を持っていた。

数時間前に別れを告げた時、里紗はひどく動転していたし、当然、まともな話し合いはできなかった。多分、帰ってから話し合っても、仲良しバイバイはできないだろう。

里紗は人一倍明るく、勉強家で仕事も熱心、そして何より、理のことを変わらずずっと好きでいてくれている。欠点と言えば、食事や洋服、家の掃除に対し、呆れるほど全くの無頓着であることぐらいだった。

理が里紗と別れた理由は、彼女の顔が好みじゃなかったからだ。
里紗の目は一重だった。
理は二重の目がぱっちりとした女性が好きだった。

ナウ・アンド・ゼンを聴いてすぐに思い出したのは1996年、理が小学生だった頃にリリースされたリアル・ラブというビートルズの楽曲だった。父の影響でビートルズにハマっていた理が何度も繰り返し聴いたお気に入りの曲だ。
英語がからっきしできないため、歌詞の内容は何一つ理解できていない。父親からは、本当の愛の歌だと聞かされていた。だから、きっとそうなのだろう。
曲名もリアル・ラブだし、文字通り、本当の愛の歌だ。

里紗とはお互いのペースで愛を育んでいたつもりだったけれど、彼女が一重であることはずっと変わらなかった。

里紗にはそのことを伝えられていない。里紗が突然の別れに納得がいかないのも当然だ。一重のことは、言わない方が良い気がしてやめておいた。

目的地まで100km。流石に疲れてきたので車を止めて休憩することにした。脳が興奮状態にあり、仮眠したいが眠れない。最悪な気分だ。

理はブルートゥースでiPhoneを繋ぎ、リアル・ラブをリピート設定で流した。相変わらず、何を言っているか分からない。ただ、大好きなジョン・レノンはリアル・ラブを連呼している。理は、嗚咽が止まらなくなった。
「くそったれ。くそったれ。くそったれ。。。畜生。。。」
ジョンが愛を連呼する中、理はクソみたいな言葉を吐きまくった。

理の両親はともにぱっちり二重だ。理の兄弟も同じだった。理だけが一重で、身長も家族の中で一番低かった。165cmもある母親よりも。

母親に何故、兄弟と自分が違うのかを尋ねたことがある。母親からは「お腹の中にいる時、理は一時期、へその緒が首に巻きついていたの」と言われ、納得がいかなかった。よく分かっていないのは大人になった今も変わっていない。

出発しようと握ったハンドルから手を離し、片手で携帯のLINEを開き、里紗とのチャット画面を開く。
「さっきはごめん。帰ったらもう一度」まで打ったところで書きかけのメッセージを削除した。
携帯を閉じ、もう一度、「くそったれ。。。」と口に出した。

終わりそうもない夜道に向けて、理はアクセルを踏んだ。

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