「産むか、産まないか」を問われ続けた50日
604gと552g、小さく生まれた息子たちの記録(双子が生まれるまで④)です。前回はこちら。
入院52日目、22週を迎えた。
相変わらず兄の方は羊水がほぼなくて、弟は十分ある状態が続いている。14週で入院して「お腹で亡くなるかもしれない」と言われた命は、この日も元気に動いていた。
私は一気に肩の荷が降りた。22週を超えれば絶対安心、というわけではまったくないけど、21週6日と22週0日の間に「生育限界(体外で生きることができる限界)」という壁があるからだ。
21週で生まれると救命されることはなく、「流産」になる。
この基準は医療技術の進歩とともに変わっている。1953年には妊娠28週未満、1976年には24週未満、1991年に今の22週未満になったそうだ(「優生保護法の施行について」厚生事務次官通知)。
(↑妊娠22週を知らせてくれた、妊娠記録アプリ「トツキトオカ」の画像)
22週が近づく頃から、何もしない入院生活に変化があった。
急な帝王切開に備えて説明を受けて、イメージをつかむためのDVDを見た。手術では輸血の可能性や他の臓器が傷つく可能性があること、次に妊娠した場合、前置胎盤(胎盤が正常よりも膣に近いほうに付き、子宮の出口を覆っている状態)などのリスクが高くなることを告げられた。
レントゲンや心電図検査で体の状態も確認したし、下半身の麻酔をするため麻酔科医からの説明もあった。麻酔は体を「くの字」に折って背中に注射をするらしい。これもDVDを見たけど、針を刺されることに不安と恐怖しかなく(何度点滴をされようが慣れない)、少し立ちくらみを起こした。
■ ■ ■
明確ではないものの、医師からは常々「産むか、産まないか」を考えさせられる言葉があった。
入院時の説明では「生まれるかわからない」と同時に「生まれても重い障害が残る可能性がある」と告げられていたし、22週が近くなると、生まれたとしても「治療をするか、しないか、考えないといけない」と言われていた。
産まない、治療をしないなんて、選択する気はなかった。破水は急なことだったけど、長引く入院生活の中で赤ちゃんの「死」と「障害」については十分考える時間があった。気持ちの整理はできていたつもりだ。
でも、それ以上に、「今」が大切だった。
今日元気に動いていても、明日この心音を聞けるとは限らない。
私たちのところに来てくれた二人は、少なくとも今お腹の中で生きてくれている。だから、二人が頑張ってくれている限り、私から命を終わらせることはしない。そう思った。
これまで、何人もの障害がある人と関わったり、周囲の人から話を聞いたりした経験もあって、私自身は障害が産まない理由にならないとも考えていた。綺麗事かもしれないし、中絶の選択を否定はしない。けれど、それが私の答えだった。
ただ、夫はどう思っていたのかわからなかった。
二人で育てていくのだからとてつもなく大事な問題。だけど、当時、産む・産まないについて私から夫に話を振ることはなかった。
同じ考えでいてくれる、以心伝心だ、なんて気持ちは全くなく、ただただ夫の考えを聞くのが怖かった。信じていないわけではないけど、万が一産むことを否定する言葉や躊躇する言葉が返ってきたらショックが大きい。ましてや入院中で面と向かって話す機会がほとんどないので、意見がすれ違ったらものすごいしこりになる気がした。
当の夫からも、赤ちゃんの今後をどうするか話題にされたことはなかった。もし産まないことを願っていたなら、本人から話題にしてきたんじゃないかと思う。
生まれた後、夫に当時の思いを聞いてみた。そしたら考え込むわけでもなく気を使う素振りを見せることもなく、案外しれっと答えが返ってきた。
「産むつもりなのはわかってたし、特に相談する必要もないかなって。仮に障害があったとしても、頑張って出てきてくれたならそれは生きていけるってことだと思うから。あとは親としてできる限りのことをするよ」
結果的に同じ方向を向いていたみたいだけど、夫は夫なりに、十分考える時間を作っていたのかもしれない。
■ ■ ■
「正直、良くも悪くもならずこの状況が続くと思いませんでした」
22週を迎え、前向きに産むことだけを考えていたとき、担当医に言われた。やはり先生は正直だ。どういう意図があったのかは分からないけど、笑ってしまった。嬉しかった。二人の生命力、すごいじゃないですか。
お願い。もうしばらくお腹にいてね。2ヶ月以上もお腹にいられたんだからまだまだ大丈夫だよ。そう思っていた。
でも、23週に入った日の未明、また大量の水が流れてきた。
前夜から合計すると、300g以上も出たことになる。エビアンの小さいペットボトルくらいの量だ。実はその前日にも「多い日の昼用」ナプキンから溢れ出てズボンがぬれてしまったんだけど、明らかにそれ以上。「夜用」ナプキンでも受け止めきれないくらいの異常事態。弟も破水したんじゃないかと嫌な感じがした。
当直医が診察したときは「右の子(弟)の羊水は十分ある」ようだった。しかし、翌日担当医の診察のときには、空っぽだった兄の羊水が増えているように見え、「弟も破水して兄の方に流れている」という結論が出た。原因はわからない。
二人とも破水してしまったら、もうお腹の中に長くはいられない。このときは入院時より絶望はなかった。
入院から2ヶ月、22週を超えられたじゃないか。本当は24週を超えたかったけど、十分頑張ったよ。
そこから帝王切開に向けての準備が進められた。
突然の破水、入院、出産、成長……小さな息子たちとの日々を不定期で書いていきます。
不安で先が見えなかったとき、ブログやSNSにつづられたみなさんの体験談がとても支えになり、参考になりました。一つ一つケースは違うけれど、私の経験も誰かのお役に立てるとうれしいです。
(と言いつつ、自分の心の整理のためも書いています)
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