604gと552g、小さないのちの誕生と旅立ち
2021年4月、わが家に小さな小さな二人の男の子が生まれた。
604gと552g。身長は約30cm。足を曲げていると、ペットボトルと同じくらいの大きさだ。
二人とも生まれた直後からNICU(新生児集中治療室)に入った。
1000g未満で生まれた赤ちゃん(超低出生体重児)を含む、あらゆる病的新生児が治療を受ける場所。
そこは、マンガやドラマでしか知らない世界だった。
本来であれば出産予定日は8月12日。それよりも119日早く、23週4日目に帝王切開になった。
通常赤ちゃんは40週前後で生まれ、37週以降だと体の機能が十分成熟していると言われる。出生時の平均体重は2900gほどで、平均身長は48cmほどだそうだ。
23週で生まれた二人の手のひらは人差し指の第一関節くらいで、頭は軟式野球ボールと同じかそれより小さく、ふにゃふにゃしていた。
信じられないくらい小さな体で治療のための管もたくさんつながっているのに、面会では触れさせてもらえた。
むしろ、「触ってあげてください」と言われた。お母さんがそばにいることが伝わるからと。
私がいた病棟とNICUは同じフロアで、退院するまで毎日数十分から1時間ちょっと面会するのが日課。応援する気で向かっても、保育器の中で一生懸命生きている姿を見るたびに感動し、力をもらっていた。
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早産(22〜36週での出産)のきっかけは「前期破水」だった。
赤ちゃんはおなかの中で卵膜と羊水に包まれて成長する。「前期破水」とは、陣痛が始まる前に細菌感染や羊水過多、多胎妊娠など何らかの原因で卵膜が破れ、羊水が流れてしまうことだ。
2月中旬、妊娠14週だった私は、何の前触れもなく破水した。
でも、当時は破水だと思いもしなかった。“破水は出産が近くなったら起こる”と思い込んでいたからかもしれない。
夜間に病院で診察の結果、左の部屋(兄)からは羊水がほぼなくなっていた。お腹の双子は二卵性でそれぞれが卵膜に包まれていて、弟の方は特に異常がなかった。
「突然のことでごめんなさいね」
当直の先生はそう一拍置いて、左の子が生きて生まれてくることはない、と説明を続けた。
今病院にいてもできることはないから、家で家族といた方がいいのではないか。そう言われ、その日は帰宅した。
■ ■ ■
しかし翌朝、病院から即入院の連絡があった。病院で改めて診察を受けた後、担当医から淡々と状況の説明をされた。
14週という極めて早い時期に破水した場合、中絶を勧める。ただ、今回は双子で別々の部屋に分かれていて胎盤も別。今のところもう一人(弟)に異常はない。赤ちゃんは元気なのですぐに中絶する理由はないが、このままの状態が続くとは考えにくいーー。
前向きになれる材料を探したいのに、何一つ妊娠継続を期待できる言葉がない。
自分の体のことなのに、何がどうなっているのか、どうしたらいいのかわからなかった。
まずは感染しないように抗生剤を点滴して、今後については胎児の状況を見て判断することになった。
なんで破水したんだろう。
答えのない問いが頭の中をぐるぐるしていた。
血液検査をしても感染の兆候はないらしく、原因はわからない。原因がわかれば自分を責めていたかもしれないが、そこは不思議と冷静で、「なぜ」の気持ちが先行していた。
以来ずっと不安を抱えつつも感染症状はなく、状況は横ばい。私にとっては嬉しいことで、二人とも毎日元気な心音を聞かせてくれた。
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羊水は、赤ちゃんにとってなくてはならない生育環境だ。
羊水の少なさは、呼吸の練習ができない(=肺機能が育たない)、体を動かせない(=関節機能に影響する)など、様々なハンデにつながるらしい。
生まれてこられたとしても、臓器が未成熟では生きられない。詳しい状態は生まれてみないとわからないようだった。
羊水は増やせないけど、赤ちゃんたちを信じて週数を伸ばすことが唯一の目標。気持ちは強く持っていたいと思って、できるだけマイナスな言葉を口にしないようにした。
具体的な言葉を発したら現実になってしまうのではという恐怖や、頑張っている赤ちゃんたちに「中絶」や「流産」と聞かせたくない気持ちもあった。
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入院52日目、一つの基準である22週を迎えた。赤ちゃんが体外で生きていける「生育限界」。21週までは生まれたとしても蘇生されることはなく、「流産」になる。
21週6日と22週0日では世界が全く違う。
私の中で22週は、中絶が可能な境界という意識しかなかった。でも、「赤ちゃんを助けてもらえるかどうか」の基準に変わった。
「生育限界」は医療技術の進歩とともに変更され、1990年に24週から今の22週になったようだ。もし30年前だったらわが家の二人は……。
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22週を過ぎた頃から、精神的なプレッシャーは驚くほど溶けていった。
すぐに生まれるようなことがあっても、治療してもらえる。
次は生存率がぐっと高くなる24週、28週、30週を目指そう。そう思って過ごしていた。
しかし、23週に入ったその日、また大量の水が流れた。弟を包んでいた卵膜も破れてしまった。原因はわからない。兄の破水からちょうど2ヶ月目のことだった。
それからバタバタと帝王切開に向けて準備が進められ、弟の破水から4日後に出産となった。
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羊水がない中でも頑張ってくれた兄は、想定していた通り肺がかなり未成熟。生後3ヶ月がたった今でも安心はできない。
これからの時期は体の成長に対して肺が追いつかず、バランスを崩すと命に関わるそうだ。
一方の弟は、生後60日を迎えた日に旅立った。
最期は私の腕の中で。急変を伝えられた日から約1週間、ゆっくりじっくり親子で過ごす時間を持て、後悔のないお別れができた。
羊水に包まれていたとはいえ、552gで生まれた超低出生体重児。小さく生まれたが故のリスクは多く、1ヶ月半で3度の手術を耐え抜いた。その都度強く生きる姿を見せてくれ、私たちにたくさんの幸せをくれた。
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たくさんの方のやさしさとあたたかさに支えられて、二人は生まれてきた。
二人のおかげで考えたこともなかった世界を知り、素晴らしい人たちと出会えた。
病院関係者の方々や支えてくださった方々には感謝してもしきれない。
兄にはまだまだ越えないといけない山がある。私たちには信じて祈って応援することしかできないけど、引き続き一番近くで見守っていくのだ。
妊娠も出産も当たり前のことではない。
わかっていたつもりだけど、今回身をもって感じた。
全ての妊婦さんが無事に出産できますように。
全ての赤ちゃんが元気に成長しますように。
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