二人が生まれた日。
604gと552g、小さく生まれた息子たちの記録(双子が生まれるまで⑤)です。前回はこちら。
23週に入った日、弟の破水がわかった。
数時間のうちに流れた羊水は計300g以上。健診前には破水を疑っていなかったのか、担当医は「測り間違いじゃないか」ともらしていた。
超音波検査(エコー)で見ると兄側の羊水が増えていて、弟側から流れていたようだった。
2ヶ月ぶりにMFICU(母体・胎児集中治療室)へ移り、感染症をふせぐため抗生剤の点滴が始まった。
破水したからといって、すぐに出産するではないらしい。「できる限りお腹にいたほうがいい」ということで在胎日数を増やすべく処置をして、24週に入ってからの帝王切開が検討されていた。
点滴の合間、右肩にステロイドを注射された。赤ちゃんの肺の成熟を促すため、24時間間隔で2回するらしい。効果が出るのに2日はかかるそうだ。
破水の影響か、お腹がこれまでより張るようになったので張り止めの薬も飲み始めた。張りが強くなって赤ちゃんたちが苦しくなった場合などは、緊急帝王切開の可能性もある。
お願い、外に出るのを急がないで。
そう祈ることしかできなかった。
■ ■ ■
「24週を待たず、週明け帝王切開にしましょう」
翌日、医師から伝えられた。
羊水は止まらないし、張りも多い。血液検査の結果、炎症の数値も高くなっている。24週まで持ち堪えたかったけど、帝王切開の同意書にサインするしかない。
出産を控え、夫と一緒に新生児科の医師からも説明を聞いた。
「肺自体が育っていないと、残念ながら限界があります」。先生は厳しい結果についても正直に、丁寧に話してくれた。
小さく生まれた赤ちゃんに起こりうるリスクはいろいろあるが、実際生まれてみないとわからないことが多いらしい。
先生は、こう付け加えた。
「今からいろいろな可能性を言う必要はないし、調べる必要はないと思います。心配なときは受け持ちから説明しますよ」
リスクは気になるけど、私は赤ちゃんを信じて出産に集中するのみ。
張りが多くなっているため、張り止めの点滴(リトドリン)も追加になった。さらにもう一つ、マグネシウム系の点滴(マグセント)が追加された。2日ほど続けると赤ちゃんの脳を保護する効果があるらしい。一方で副作用もある。心電図を付けたり、尿の出方を見るために毎回量を測ったり、管理が強化された。
体が重い。だるい。週末は副作用との戦いだった。
熱はないのに顔がほてって熱い。頭も痛い。一人で立ち上がることも難しくなって、数メートル先のトイレへ車椅子を押してもらう。ただただ看護師さんたちに申し訳なくて、膀胱に溜められるだけ溜めてナースコールを押した。
「この週数までよく頑張りましたね」
入院当初にもお世話になった看護師さんが声をかけてくれた。
思わず顔がクシャクシャになって、号泣した。「産むぞ産むぞ」と張り詰めた気持ちが一気にほどけた。そうだ、私も赤ちゃんも10週近く耐えてたんだ。やっとここまで来れたんだ。
■ ■ ■
出産当日は、窓から明るい光が差し込んでいた。
私の心は快晴には程遠く、一刻も早くこの副作用から開放されたかった。車椅子でトイレに行くことさえつらすぎて、本来帝王切開直前に準備してもらう尿道カテーテルを早めに入れてもらったくらい。
12時過ぎ、「行きましょう」と言われたときは安堵感が強くてもう泣けた。手術室に向かう途中一瞬会った夫は、私が泣いている理由なぞわかるはずもなく、戸惑いの表情を見せていた。
手術室には、産科、麻酔科、新生児科の先生、看護師さんたち……全部で20人くらいいたんじゃなかろうか。
ドラマで見るようなライトの下に転がり、右向きで膝を曲げて腰を丸めて顔はお腹を向け、いわゆるエビのポーズをとった。
麻酔科の先生から背中にたっぷり液体を塗られ、何かのテープを貼られ、痛み止めの注射をされ、管を入れる注射をされ……文字にすると今でも緊張するが、痛みは思ったほどではなかった。
「お薬流しますよ〜」と言われて足やお尻があたたかくなる。徐々に右足からしびれてきた。
並行して双子の兄を担当する新生児科の医師と、弟を担当する医師がそれぞれあいさつしてくれた。手術台の左右に赤ちゃんを処置する台が用意され、産科の先生たちも位置についた。
「始めますね」と言われる間もなく始まった気がする。
もぞもぞ引っ張られてるうちに、すぐ兄が取り出された。
泣き声はない。
そのまま処置に入った。まもなく弟も誕生して、こちらも処置台に移された。
まだお腹ではもぞもぞと何かされていて、血液を吸引する音だとか、ガーゼを追加する声だとかが聞こえていた。
最初の対面は弟とだった。
右側に連れて来られた赤ちゃんは、ものすごく小さい。膜のようなものもついている。でも、しっかり「人間」だった。
手は私の人差し指の第一関節くらい。「おぎゃー」という声はないけど、「ミャァ」とか弱い声が聞こえた。
あ、こんなに小さくても泣けるんだ。キックもしていた。生まれたんだ。動いてるじゃん。
泣いた。ありがとう。ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。
処置が終わった弟は、おそらくNICUに運ばれていった。
引き続きお腹はもぞもぞと引っ張られている。手術室は赤ちゃん用の温度に保たれていて、医師は何度も汗を拭いてた。
弟が連れて行かれてからまもなく、左側にもう一人の赤ちゃんが連れてこられた。
頭はラップようのものに包まれていた。弟と違って、動いていない。声も聞こえない。
大丈夫なんだろうか。
でも、ごくごくわずかに、足が揺れた気がした。
生きているんだ。生きようとしてるんだ。
頑張れ、頑張れ。ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。
■ ■ ■
二人がいなくなった後はただ呆然と上を向き、お腹が閉じられるのを待った。何かされてるなくらいの感覚から、お腹を押されて「ゔゔっ」となることもあったし、縫われているのがわかるくらい引っ張られたし結ばれていた気がする。痛みとは違ういやな違和感があった。
子どもたちとの対面という一大イベントが終わったからか、「お母さんは寝てもらっていいですよ」と酸素マスクをつけられた。
最後はどう終わったのか、全く記憶がない。
そういえば手術を終えて病室に運ばれるとき、夫と写真を撮ったようなのだがよく覚えてない。写真にはばっちり酸素マスクを付けて笑みを浮かべる私と夫が収まっているから、何かしら言葉も交わしていたんだろうけど。
(そのとき夫は…↓)
おそらく、病室を出てから戻ってくるまで、1時間半くらい。
もう、お腹には誰もいない。
足にマッサージの機械をつけられて、心電図をつけられて、片方の腕に点滴がつけられた。
麻酔が残っているからかしばらくお腹の痛みは感じず、術後1時間半後くらいには夫とLINEをしていた。
■ ■ ■
赤ちゃんは604gと552g、身長は約30センチ。
仮死状態で生まれてきた。
夫から送られてきた写真の二人は、赤くて、テカテカしていて、腕がめちゃくちゃ細かった。肩がぼこっと飛び出て、肋骨が浮き出ていて、マハトマ・ガンジーを想起させた。
口には、呼吸器が挿入されている。二人の命をつないでくれている、大事な管だ。
夜、新生児科の先生が病室に来た。
「おめでとうございます。ここからがスタートです。二人の生命力で、戦いの舞台には上がれました」
そう微笑みかけてくれた。小さく生まれた赤ちゃんは、24時間、72時間、1週間、2週間、1ヶ月と予断を許さない状況が続くらしい。この時点で最初の山の4分の1は越えていた。
いつどうなるかわからないから、一刻も早く会いに行きたい。
二人の生命力を信じて、応援する日々が始まった。
突然の破水、入院、出産、成長……小さな息子たちとの日々を不定期で書いていきます。
不安で先が見えなかったとき、ブログやSNSにつづられたみなさんの体験談がとても支えになり、参考になりました。一つ一つケースは違うけれど、私の経験も誰かのお役に立てるとうれしいです。
(と言いつつ、自分の心の整理のためも書いています)
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