②【ワタシとお抹茶シリーズ】茶道を始めた理由編
ワタシのプロフィール
お抹茶のお茶席がすきだから
「①【ワタシとお抹茶シリーズ】出会い編」で紹介したように、ワタシとお抹茶のお茶席との出会いは6歳のときに訪れた。
それからというもの、お抹茶はワタシにとって、ときめきと安らぎを与えてくれる、かけがえのない存在になっている。
だから、ワタシにとって「茶道を習う」ことは、必然だったともいえる。
しかし、ワタシはお抹茶との出会いから19年もの間、特段な接触はしていない。
なぜ、25歳になるタイミングで茶道を習おうと思ったのか。
今回は、その理由について、掘り下げて綴ってみようと思う。
歴史好きが高じて
茶道を習いたいと強く思ったきっかけは、歴史好きという面があると思う。
茶道は、「タイムカプセル」だ。
ワタシは平成初期の生まれで、幼少期からパソコンのある環境で育った。
携帯やスマホといったものにも、幼少期から馴染みがある。
それに、ワタシの一家は転勤族で、あまり親戚を知らない。
それでも親戚は西日本、特に関西に多くが住んでいることはわかっている。
ワタシ自身も、出生の地は関西だ。
両親も関西弁を話すから、関西に馴染みが深いと感じている。
でも、今のワタシを含む核家族の極小単位の一家は、関東で暮らしている。
由縁は何もないが、父の仕事の転勤を機に、住みついた。
典型的な現代の核家族の形だと思う。
さらに一人暮らしを始めようものなら、生活を共にする家族の存在さえも薄れていく。
だからこそ、伝統的な日本の暮らしをワタシは知らない。
知らないからこそ、日本の古くさいと言われがちな伝統的な文化を、6歳にして、新鮮で、新しく感じたのだろう。
そして、20歳にして歴史に目覚めたワタシは、歴史に登場する人物の思考回路を、時代背景から知りたいと思ったのだ。
だから、歴史博物館にもよく通ったし、図書館で歴史の本を読みあさっては、歴史的な史跡や神社仏閣へ訪れた。
しかし、その時代を生きる人々の思いを感じる心が、自分自身に足りないと感じた。
自分が知らないだけで、ずかずかと土足で踏み入っているように感じたのだ。
リスペクトしたいのに、リスペクトしていることを表す方法が、自分には備わっていない。
感じることも、作法を持って敬意を払うこともできない自分に、腹が立ったこともある。
そんなときに気づいたのが、茶道である。
「茶道なら、千利休の生きた時代の息吹がそのまま宿っているのでは?」
そう考えた。
そして、その予測は見事的中した。
実際に、茶道のお稽古体験をさせてもらったときのことだ。
「ここには、千利休が生きた戦国時代の息吹が宿っている」
「茶道こそ、ワタシの求めていたものだ!」
そう、確信した。
茶道なら、昔の感覚を体感できる。
しかも、作法も身につくからリスペクトしたい人に、日本の伝統的な作法をもって敬意を払えるようになるのだ。
これが、「茶道はタイムカプセルだ」と感じた始まりである。
茶道のお稽古は、戦国時代へタイムスリップした感覚
時代が流れ、社会が変わっていくことは、悪いことではない。
むしろ良いことだ。
ずっと同じ状態が続くなんて、たまったものじゃない。
誰もがコロナ時代は早く終わることを願っているはず。
つらいことから脱却するために、人は努力する。
そして努力の結果、時代が流れ、社会に変化が訪れるのだ。
しかし、弊害もある。
時代が流れ、社会全体の意識の変化が起こると、時代をさかのぼるほどに解釈違いを起こしてしまいかねないということだ。
ワタシは解釈違いをできるだけ少なくした状態で、当時を生きる人々の感覚を理解したいと思っている。
現代から遥か昔を生きる人々の根底に流れる感覚は、茶道の心として、まだ息をしているはずだ。
茶道の茶室は、「俗世から離れる」という意味合いで作られているものが多い。
ワタシもまた、茶道のお稽古のときは、時代を超えてタイムスリップした感覚で挑んでいる。
これはある種の、「現代」という俗世から離れる意味合いと近しいように思うのだ。
ワタシが茶道を始めた理由。
それは、日本の歴史の背景を知りたい一心で突き動かされた、趣味の極みである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?