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【海のはじまり】第6話:こまかすぎる感想

第6話。
感想アップが遅くなってしまいましたが、第6話もリアタイしました。
今回は1~5話までに対して、新章が確かに動き出したような感覚がありましたね。
視聴後も、重たい気持ちや登場人物に対する「ごめんね」みたいな感覚に苛まれることがなく、じわ~っと穏やかに、紡がれ繋がり合っていたものが沁みていくような感覚で。
いつも放送を見ると「今回が一番好き!」と思ってしまいますが(笑)、第6話、この作品が伝えようとしてくれているものの本質、核のようなものを、明確に提示されたような話で、それを受け取った上で最終回に向けた後半戦に進んで行けることがとても嬉しい回でした。
ではさっそく!恒例のこまかすぎる長文感想を始めます。


番組情報

「海のはじまり」公式サイト


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第6話 やっぱり産む事にした…出産を決めた本当の理由

向いてた?子育て

水季妊娠中の回想シーン。
だいぶお腹が大きく出産も近いと思われる頃、未だアパートで一人暮らしをする水季を訪ねて来た朱音が、いつから実家に帰ってくるのかと聞くも、出産前も後も実家には帰らないと言う水季。
子育ての大変さを知らない水季に、「自分の時間なんてなくなる、あんたのようなマイペースな子は一番子育てに向いていない」と言う朱音。
「お母さんは向いてた?子育て」と、少しいたずらな表情を浮かべて聞く水季。

このシーンが今回第6話のラストに回収されることになりますが、この時点では、子育ての向き不向きという問いが投げられた状態で物語がスタートしました。

水季、本当にすべて一人でしようとしていたのですね。
朱音と水季はいつもこうやって口喧嘩みたいになる親子関係(それが悪いというわけではない関係)だったのだと思いますが、きっと朱音さんは、水季が言い出したら聞かないこともわかった上で、あれこれ心配でとやかくは言いつつも、結局は水季の考えを尊重したというか、受け入れてきたのでしょう。
最近どうも、朱音さんと水季の回想シーンを見ると、水季の遺影に向かって謝りながら泣いていた朱音さんの表情が浮かんでしまいます。
まさか娘が先に死ぬなんて。
そんなこと当時は知らなかったとはいえ、朱音さんの目線で考えたら、もっと水季と会話したり一緒に過ごす時間をつくればよかった、もっとサポートしてやればよかった、そうすれば体調を崩さなかったかもしれないし、崩してももっと早期に対応が出来たかもしれない、そんな風に思えばきりがなくなってしまいますよね。
そんな思いで遺影に向かって謝っていたのかもしれないと、思いを馳せて苦しくなります。

アミコミ

水季の部屋のベッドで眠り目が覚めた夏が、横にいる海の姿に驚くシーン。
南雲家にやってきて迎える初めての朝、ずっと子どもがそばにいるという初めての生活のスタートです。

朱音さんが揃えてくれた夏専用のお茶碗とお箸で、朱音さん、翔平さん、海、夏で朝食をとるシーン。
テレビに気が逸れる海を朱音さんが注意した矢先、卵焼きを落としてしまった海。
さっとティッシュを取り朱音さんに渡す翔平さん、自分で拭いてとティッシュを海に渡し卵焼きをどけてやる朱音さん、海がテーブルを拭いた時に、飲み物が入った海のコップが倒れないようにさっとどけてやる翔平さん。
夏は黙々と朝ごはんを食べていたのですが、朱音さんの注意の声を聞いて初めて海に目を向け、一連の流れに対して何も出来ずただ見ているだけ。
このシーンの、夏の不慣れさと親経験者である翔平・朱音コンビの対比がリアルで、子どもと一緒にいるとはどういうことかを少しずつ感じて学んでいく夏が感じられるシーンでした。

出発前、朱音さんに髪の毛をやってと頼む海を見て、「髪、やろうか?」と自ら声をかける夏。
「出来るの?」と聞かれ、得意気に「出来るよ」と言う夏くんが可愛かったですね。
朝食では何も出来なかったので、今こそ活躍のチャンス!と思ったのに、自信満々に三つ編みをしようとしたら海に編み込みをリクエストされた夏くん。
夏くんの辞書にない「アミコミ」という言葉を聞いた時の夏くんの真剣な「アミコミ?ナニソレ?」の表情に笑いました。
生方さんの世界観の中にちょいちょい入ってくる、こういう静かなコント的な面白みのあるシーンが大好きなので、こういう供給はとても嬉しいです(笑)

結局朱音さんが交代して編み込みをしてあげる様子を、横で真剣に見ている夏。
三つ編みだけ練習をしてきたという夏に笑う朱音さん。
このシーンも良かったな~。

紐の靴がいいとゴネる海ちゃんにご希望の靴を履かせてやり、夏と海、今日は水季と海が住んでいたアパートを見に行くようです。
海が坂を駆け出して夏が追いかけるシーンから流れ始めるBGM、ちょっと明るい感じの曲なのですが、今までに登場しなかった曲のような気がします。
海ちゃんのわくわく感と夏のそわそわ感が感じられて、水季を辿っていく時間が悲しみではなく新しい気付きを得る時間になることを予感させるようなメロディに感じました。

美容院

シーンが変わり、編み込みのひとつまとめで出社した弥生さん。
髪の毛で繋がるシーンですね。
弥生さんの髪型を見て、「朝時間のある人の頭してる~」とやってきた後輩の三谷、弥生が髪色を変えたことにも気付きます。
「ごめんなさい」と突然謝る弥生。

-百瀬弥生「美容院って贅沢品だよね。」
-三谷彩子「私は生活費カウントしてますけど。」
-百瀬弥生「最近なにかとこう自分がいかに自由であるかを実感するんだよね。」
-三谷彩子「いいことじゃないですか。縛られてるより。」

「海のはじまり」第6話より

この会話、リアルですよね。
私自身、独身だった時は美容院代は生活費カウントでした。
働いている以上、どうしてもボサボサにはしていられなかったので必要性もあって美容院に行っていましたが、自分へのご褒美的な感覚もあって、ちょっといいところに通ってみたりして。
「別にたまにの出費だしこれくらいいいよね」という感じでしたが、結婚して時間もお金も自分独りで自由に使えるものではなくなった時、「もっと安いところに行った方がいいのか」「頻度を少なくした方がいいのか」と考えたこともありました。

立場や環境が変わる時、要らないと決断出来たものを手放すのって意外と出来てしまうけれど、必要だから持ち続けなければいけないもののグレードを落とすことって、結構じわじわ効いてくる縛りなんですよね。
外食を少なくすることで金銭的負担は減るけれど自炊によって時間的負荷が増したり。
「これがいいな」で買っていたものを「これでいいや」で買えるものに変えたり。
「行きたいな」で行っていた場所が「行けなかった」に変わったり。

先日の美容院での件も踏まえ、母親になるってどういうことなのかと、具体的に考え始めている弥生さん。
「今」と比べてしまうと、金銭的にも時間的にも、どうしても"縛り"は多くなるのかもしれないけれど、その"縛り"を自分が苦しいと思ってしまうのか、どんな感覚なのか、どんなに想像したってやっぱり経験も実感もないからわからないものですよね。
一生懸命想像してみることはとても大切だけれど、どうしたってやっぱり実際にそういう環境に身をおかなければわからないこと、そうやってやりながら学んでいくしかないことだってたくさんあって。
でも、えいやーで踏み出してみてやっぱりダメだってなったとしても、やっぱり辞めますって出来ないのが子育てで。
お父さん研修的な期間を今まさに南雲家で過ごしている夏も、たった1週間ですべてを理解出来るわけではないけれど、お母さん研修が出来るわけではない弥生さんが、これからどう母になることと向き合っていくのか。
かつて母親にならなかった自分、それを背負い母親になろうと焦っていた自分、そんな自分と向き合ってきた弥生さんの、また別の章が動き出しています。

水季と海の家

水季と海が住んでいたアパートに到着した夏と海。
既に部屋は引き払われていますが、大家さんのご厚意で中に入れてもらえることに。
大家の田辺繁役、岩松了さんです!こんなところにも本気のキャスト。最高です。
海に「おかえり」と言って抱きしめる大家さん。
水季がいた頃から、二人をあたたかく見守っていた方なのだろうなと一瞬でわかりますね。

何もない真っ白な部屋。
二人で過ごすのは狭いけれど、水季は、学校と図書館と海が近いから十分だと言っていたといいます。
ここにいた時の水季の様子を夏が田辺さんに訊ねるシーン、私は次の会話で泣きました。

-田辺繁「ままならない生活だったとは思いますけど、でも、家賃滞納したことはないし、ゴミの分別もちゃんとしてたし、きちんとしたお母さんでしたよ。」
-月岡夏「ちょっと意外です。僕が知ってる頃は結構大雑把というか、自由な人だったんで。」
-田辺繁「じゃあ、より大変だったでしょうね。そういう人が頑張ってそうしてたんでしょうから。」

「海のはじまり」第6話 -田辺繁

水季、「お母さん」を、頑張っていたんですよね。

女性だからといって、子どもを産んだからといって、自動的に母親になれるわけじゃない。
みんな、少しずつの努力や我慢、苦労を積み重ねて、踏ん張って、必死に、「お母さん」になる。
頑張って、「お母さん」をやる。
冒頭シーンでは向き不向きの話が出ましたが、向いてるとか向いていないとかそういうことじゃなくて、みんな必死に「やる」んですよね。
女性だから男性だからとか、母子家庭だからそうじゃないからといったことではなくて、みんな必死に、親をやる。

その水季に隣で父親として寄り添えなかった夏は、今はもうその日々に想像を巡らせることしか出来ないけれど、水季がそうやって頑張ってきたように、これから夏だって「お父さん」をやれる。
というか、やるなら、やるしかない、やっていくしかない、でもやると決めたらやるしかないから、出来ないとか、ないよ。
そんなことがぎゅっと詰まったシーンで、何気ないシーンでしたが泣いてしまいました。

ベランダに出た夏と海。
海はいつもベランダから外を眺め、帰って来た水季の姿を階段の下に見つけ、「おーい」と手を振っていたと言います。
夏が階段の方に目を向けると、こちらに気付き、大きく手を振る笑顔の水季の姿。
思わずカメラを向ける夏。笑顔で手を振り走ってくる水季。
シャッターを切ると、当然そこに水季の姿はないけれど、確かな水季の存在をまたひとつ感じていく夏でした。

このシーン、とても美しかったですね。
以前、砂浜で遊ぶ夏と海を車から眺めていた朱音さんが、その視線の先に夏と海と笑う水季の姿を見て、涙ぐむシーンがありました。
そのシーンでは翔平さんが「水季がいてくれたらなあ」と涙ぐみましたが、今回このベランダのシーンでも、水季と夏と海が3人でいたら、と少し想いを馳せてしまって、あったかもしれない未来を一瞬考えてしまいました。
でもこのシーン、BGMは少し琴線に触れるような感傷的なムードもありつつ、映像は真っ白い部屋のベランダから眺める外の風景、新しい風が部屋に入ってくるのと一緒に水季が帰ってくるような見え方で、あまり悲しみが強い印象がなくて。
水季は確かにいないんだけど、確かにいて、いたことを感じていく過程は、悲しみだけと向き合う過程ではない。
そんなことを感じさせるような、とても綺麗なシーンでした。

夏くんがずっとパシャパシャと海ちゃんや訪れた場所の写真を撮っているのですが、スマホではなくアナログなカメラで撮るのも、なんかいいですよね。
また現像を出して、カメラ屋さんで会話するのかな。

スマホの写真って、気軽に撮るけれどあんまり見返すことってなくないですか?
私は結構、とりあえず撮っておくけど別に見ない、という写真ばかりで。
でもアナログカメラだったら、現像に出せば絶対にまた見返すし、捨てない限り目に見える形に残る。
第1話で水季の事を想像しろと朱音に言われ、前回はゆき子さんにも知ろうとした方がいいと言われ、かつ、もともとわかった気になってはいけないというスタンスを何事に対しても持っている夏くん。
ちゃんと見たい、ちゃんと知りたい、刻みたい、忘れない。
水季や、水季と海が過ごしてきた時間に対するそういう誠実さや、夏くんなりに腹に据えた覚悟のようなものが、カメラで撮るという行為で表現されているように感じます。

水季とのつながり

海、図書館、小学校、どこへでも行ける歩道橋で、「どっち行きたい?」と夏が海に聞くと、「どっち行きたい?」と海も夏に聞くシーン。
以前、水季が海に夏に会いたいかと聞いた時に、海が「ママの好きでいいよ」と言ったシーンだったでしょうか、水季が海のことを夏に似てると愛おしそうに感じるシーンがあったと思います。
この歩道橋でそのシーンを思い出して、微笑ましくなりました。

手を繋いで向かった先は小学校。
夏くん、ちゃんと車が多い道では自分が車道側に立って海ちゃんと手を繋いであげています。

学校は夏休みですが、ちょうどそこにいた担任の夏美先生。
鉄棒で遊ぶ海を見ながら、夏は夏美先生から、水季が海の入学前から自身の余命のことや近いうちに実家に引っ越すことになるということを学校に相談していたこと、亡くなる2週間ほど前まで水季と海の二人で暮らしていたことを聞きます。
夏美先生曰く、その亡くなる2週間ほど前、さすがにもう二人ではいさせられないと考えた朱音が、ほとんど無理やり水季を実家に連れて帰ったとのこと。
そこから急に体調もがくっと崩れ、連れて帰ったせいだと朱音が悔やんでいる様子だったとのこと。
水季…朱音さん…。

水季、ずっと気を張って、ギリギリまで踏ん張っていたんですね。
もうきっと本当にギリギリで、でも気持ちだけで踏ん張れていたのかもしれません。
実家に戻した朱音さんの決断はきっと間違っていなかったけれど、実家に戻ることで水季の張り詰めていた気持ちが途切れてしまったところもあったかもしれませんね。
絶対にこれは誰のせいでもないけれど、ここで水季の遺影に向き合う朱音さんのカットが挟まれて、やっぱりあの泣きながら謝っていたシーンを思い出してしまいました。
また、前回あった、海に一人で寝る練習をさせていた水季のシーン。
実家に戻ってからのそのたった数日の中で、自分の終わりに直面しながらも、これからの海のことを考えていた水季、最後の最後までずっと「母親」を本当に頑張ろうとしていたんですね。

次回第7話で水季の四十九日の話が出そうですが、そうなんですよね、まだ亡くなってから1ヶ月ちょっとくらいしか経っていないんですよね
全員にとって激動の1ヶ月だったけれど、水季を亡くした周りの人たちの悲しみが癒えるにはまだ短すぎる時間。
確実に流れていく時間の中で、水季の7年間を知らない夏が知ろうと踏み込んでいくのと並行して、水季を知っている人たちのリアルな悲しみや心に空いた穴、時が止まったような一部の感覚がありのまま浮かびあがってくるような展開です。

この物語の中で水季の事を誰かが語る時って、あんまり口調が過去形にならなくて。
"死んでもずっといる"みたいなことが、決して直接的な台詞にはならないけれど、誰かの中にいる水季を確かに感じさせる描き方、"水季は今はいないけど、いたという事実がある以上、これからも当然ずっといるんですよ"ということを語らずとも描いてきたような感じがあって。
そしてそれって全て、水季と関わった人間側の視点での話で。
もう水季の言葉を直接聞くことが出来ない以上、私たちは水季の本音を水季の語りで知ることは出来なくて、想像するしか術がないのですが、他者に水季を語らせながら、水季視点での回想シーンを事実としての描写としてうまく挟むことによって、視聴者も一緒に水季を想像して、気付けば寄り添ってしまうような構成ですよね。
想像すればするほど、確かにいたということを感じて、今確かにいないということも感じて、でもずっといるということも感じられる。
ほんと、生と死、命、存在、大きなテーマを扱う上で、描き方に一貫した覚悟やこだわりを感じられる物語です。


靴紐

川沿いを歩く夏と海。
夏が海に「海ちゃん、水季ってさ」と話しかけるところ、夏がずっと海の前でも水季のことをママと言わずに水季と言うのは、水季が母親をしていたという実感が夏の中にないからだと思ってきましたが、やっぱり改めて、7年会っていなくて亡くなったことを知ってからまだ1ヶ月ほどという時間軸の中では、とてもリアルな感覚だな、と思いました。

靴紐がほどけていることに気付き、突然走り出した海。
「ゆっくり歩いてきて!」と叫びながら走る海に、何かを思い出し、気付き、「あぁ、うん」と、走って追いかけずにゆっくりと歩き始めた夏。
ここで挿し込まれたのが、学生時代の水季と夏の回想シーン。
靴紐がほどけた水季が突然走り出し、夏に追いつかれるまでの間になんとか靴紐を結び直そうとします。
そんな水季を後ろからニヤニヤっと見ながら、ゆっくりじりじりと近づいていく夏。
場面切り替わって、ゆっくりと歩いて海に近づき、靴紐を結び直す様子を微笑みながら見る夏。
靴紐を結び直せた海と二人、また並んで歩き出します。

こうやって水季の存在を感じさせる演出がうますぎる。
可愛いし、愛おしい。
あと何度か言ってきているのですが、やっぱり目黒蓮さんの、誰かを愛おしく思う表情のお芝居が上手すぎる。溢れているんですよね、愛おしいという気持ちが、目に、表情に。

好きな人や大切な人の中に、また別の好きな人や大切な人を感じるって、本当に愛おしいことなんだなと思わされます。
どうしたってある血の繋がりの強さと、血の繋がりだけが繋がりではないということ、その両方を交互に丁寧に描いている作品。
朱音や海、夏の中に水季を感じるシーン、それぞれが少しずつ水季に似ているのは、血の繋がりもあるかもしれないけれど、一緒に過ごした時間がそれをつくっている部分もきっとあって。
血なのか時間なのかそれを議論するというよりも、そういう"確かな"つながりってあるよね、と、それを愛おしく思えるこの感覚、心がじわっとあたたかくなります。

パパの疲れと三つ編みリベンジ

1日を終え、南雲家にて。
夕飯の食器は自分で下げられるし、パジャマにも着替えられるし、ハミガキも出来るし、1人でも寝ることが出来る海ちゃん。
子どもだからといってなんでもかんでも手を貸すことが良いというわけではないんだな~とでも学んでいるかのような表情で、穏やかに、じっとその様子を見たり、待ってあげたりする夏くん。
同時に、こんな風に1人で出来るようになった海ちゃん、言葉を変えるとならざるを得なかった海ちゃんが頑張ったことも感じますし、水季が海のためにその練習を一緒にしていたのかなと思うと、切なくなります。

海ちゃんが「おやすみ」と言って部屋から出て行き、1人になり、思わず「疲れた」と居間で寝転んだ夏。
今までに経験したことのない疲れをどっと味わっている様子の夏くんです。

次の日の朝、真剣な表情でゆっくりと海ちゃんの髪の毛を三つ編みにしてあげる夏。
やっぱりその三つ編みはちょっとゆるくて。
でも、弥生さんと練習した甲斐もあり、なんとか完成した三つ編みで、海ちゃんと夏が今日向かった先は、図書館のようです。


図書館の休館日

図書館にやってきたものの、今日は水曜日で休館日と知り、立ち尽くす夏と海。
曜日感覚がなくなる夏休みって、こういうことありますよね。
ここで海が夏に「スマホ貸して」といい、すぐ次のシーンでは鍵を開けに津野が登場します。
海ちゃん、実家の固定電話から津野に電話をかけている描写もありましたし、津野の電話番号を覚えるくらい、関係が近いことの表現かもしれません。
または、夏と津野が連絡先を交換していた?
前回ピリついていたし(笑)、それはしていなさそうな気がします。

休みの日にすみませんと謝る夏に、「暇なんで。子どもも彼女もいないし。あ、大丈夫ですよ、ちゃんと許可とってます。海ちゃんがって言ったらあっさり。ここの人みんな、南雲さんと海ちゃんのこと大好きなんで。」と津野。
淡々とした口調の中でも、やっぱり「大好きなんで」が過去形でなく現在形であるところに、いなくなった実感がまだないことやずっといるということを感じますね。
休館日に特別に中に入れる許可があっさり出たというのも、過去、まだ水季がいた頃も、なんらかの都合でこんな風に休館日や閉館後に海ちゃんを図書館で預かったりしたことがあったのかもしれません。
この後、慣れた様子で受付ごっこをする海ちゃんの姿からしても、こうやっていつも遊んでいたのかなと思いました。

突然「海ちゃん!貸し切りです!」と、声のトーンも高くして海ちゃんに向かって大きな声で伝えた津野。
叫んだり走ったりしていい?と嬉しそうな海と、走り出した海を一緒に叫びながら追いかけて、海に追いつき抱き上げて捕まえたと遊ぶ津野。
こんな風にたくさん一緒に遊んでいたんだろうな。
その慣れた感じや繋がりを感じさせるシーン、津野ならぬ池松さん推しとしては、津野くんの夏との会話からの口調や表情の切り替わりの神さに感動しつつ、津野の笑顔を見ることが出来て嬉しかったです。
どちらも本当の津野だけれど、夏に対してまだ若干の敵意というか、素直になれないピリつき感のある津野くん。
まだ津野くんが水季と一緒にいた時の具体的な回想シーンは出てきていませんが、本来きっと子ども好きで明るいところもある津野くんが、水季の前ではどんな感じだったのか、気になります。

このシーン、津野の変貌っぷりと、慣れた様子でキャッキャと遊ぶ海の様子を見て、呆然としつつ、ちょっと羨ましかったり、憧れたり、自分はまだまだだなとへこんだり、津野さんってこんな一面もあるんだと知ったり、そんな複雑な表情を浮かべる夏くんを演じる目黒さんの丁寧な表情のお芝居もよかったですよね。


待ってます

受付ごっこをする海と夏。
水季は受付の際、いつも返却期限を伝えた後、最後に「待ってます」と利用者に声をかけていたようで、それを真似する海。
「南雲さん、待ってますって言うんです。貸出だから返却でまた来るじゃないですか。本屋じゃなくて図書館で働く良さって言ってました。同じ人に一冊で2回会えるって。」と津野。
これを聞いた夏くんの一瞬の表情がなんだか絶妙でした。
何か思い当たる思い出があったのか?
もしくは、自分が水季を全然知らないこと、その知らない時間の水季を知っている津野や海との違いを感じたからかもしれませんね。
図書館って、海や津野にとってのホームで、ここに来る時の夏くんはアウェイだから。
夏は津野に対して敵意のようなものはなさそうに思うけれど、津野は自分よりも海のことをわかっていて、子どもの扱いも上手くて、自分の知らない海と水季を知っている人。
津野や、津野と一緒にいる海と過ごす時間は、夏にとっては少し疎外感を感じる、夏が外野になったかのように感じる時間でもきっとありますよね。

好きな人の子ども

カフェで待ち合わせをして会っている大和と弥生。
南雲家での様子を夏から聞いている弥生は楽しそうに大和にそのエピソードを共有するも、大和は弥生の様子を伺っている感じ。
「大丈夫だよ、私の心配までしてくれなくても。」と弥生。
「しますよ。もう家族みたいなもんだし。でも、お母さんはちょっと冷静で。まだ結婚してなくてよかったって。カップルが別れるのと夫婦が離婚するのとじゃ全然違うから。弥生ちゃんは弥生ちゃんの意思だけで決めたらいいって。伝言です。」と大和。
ですよね、ゆき子さん。おっしゃる通り。

夏くん自身、元恋人の死と残された娘の存在を知り、それを受け止めるのは今は必死で。
弥生さんのことも夏くんなりに誠実にしっかりと向き合い、弥生さんの立場もまだ言葉にならなくとも考えているとは思いますが、ゆき子さんや大和のように、弥生のことを思って考えてくれる人がほかにもいるということは、心強いですよね。寂しくない。

「ありがとう。でも、大丈夫。今は本当に、いたいからいるだけ。」と言った弥生さん。
海ちゃんが可愛すぎると大和と盛り上がった時、「好きな人の子どもってこんなに可愛いんだ」と言った弥生さん。
ゆき子さんの言葉は受け止めつつも、どちらの言葉も、強がりのない本心だったように思います。
これからのことを弥生さんが考えていく上で、夏や月岡家、そばにいてくれる人たちに対して、弥生さんがもう無理をせずに、自分の本音で自分の幸せを選べたらいいなと願うばかりです。

背徳の昼ビール

LINEで大和との2ショットが弥生から届き、図書館で微笑みながら見る夏。
その前のやりとりでも、「大家さんが中入れてくれた。海ちゃん楽しそうでよかった。」と、ちょこちょこ日々のレポートを夏が送っている履歴がトーク画面にありました。
南雲家ステイの期間、弥生さんを気にかけてこまめに報告を入れつつ、アウェイな環境で一人奮闘している中で弥生に話すことで救われている夏くんもいるんだろうなと思えて、微笑ましかったです。
弥生さんはいつ夏休みをとるのかな。

そこへ、2本の缶ビールを持ってやってきた津野。
帰り電車ですか?と確認し、夏に1本を手渡し、「やってみたかったんです。職場で、しかも昼間に飲むの。」と、一緒に背徳の昼ビールをすることに。
乾杯するほどの距離感ではないけれど、一緒にビールを飲んでみる。
前回もツンとしてしまった津野なりの気遣いのようで、可愛らしい。
そして、きっとファンは思い出しましたよね、あの「silent」で湊斗が想とビールを飲んだシーンを。
湊斗が「想!」って呼んで、想がニヤっと振り向いて、湊斗が満面の笑顔になる、あのシーンまで思い出してしまって、脳内に「subtitle」が流れる、というところまでが一連のセットです。

そんな、「silent」でも登場した昼ビールのシーン。
まどろっこしい距離感がありつつ、大人の男同士、ちょっと悪いことを一緒に共有することで距離を縮めようと試みる、みたいな、そんなシーンの表現には確かにぴったりですよね。
面と向き合って喫茶店でコーヒーを、だとかしこまってしまってしまうけれど、図書館でビールって、その非日常感の中で秘密を共有したというスリルで、なんかちょっと同志になれるというか。
いいですよね。

津野の孤独と夏の覚悟

「水季、いつからここで働いているんですか?」と津野に聞く夏。
ここも、「働いていたんですか?」と過去形ではなく、現在形です。

津野によると、水季は妊娠中に講習を受け司書補の資格を取得し、産後3ヶ月で勤務を開始、働きながら司書の資格を取得したとのこと。
産むと決めて、学校を辞めて、夏と別れて。
そこから本当にすごい勢いで、海と二人で生きていくための生き方を考えて、頑張ったんですね、水季。
あの頃、もう就活を始めている夏に驚いていた、あの水季が。
同じ長さの時間を、夏とはまったく違うスピード感で必死に生きていたであろう水季。
どちらが偉いとかっていう話しではないけれど、ひとつの選択、決断、ついた嘘、そうしたものの積み上げで別れることになった二人の道が、本当に、まったく別の道になったんだなと、思い知らされます。
その道が再び交わった今、もう水季はいなくて。
でも、少しずつでもその水季の足跡を辿ろうとする夏です。

そんな夏ですが、朱音さんや翔平さんには、水季の病気のことは聞きにくいと言います。
確かに、まだ娘を亡くしてまもない両親にそれを聞くことは、悲しみを掘り返してしまうようなもの。
でも、それを津野になら聞けるんですよね。津野は、部外者だから。
津野のここでの一瞬黙った時の表情は、「俺には聞けるんだよな、俺は外野だから」みたいな気持ちが一瞬よぎったのかな、と感じました。

津野は続けて、水季が自分のために使う時間もお金もなく検診を受けていなかったこと、病気が発覚した時点で出来ることはほとんどなく最低限の治療しか受けていなかったこと、元気なまま辛そうな姿を見せずにすっといなくなるのが理想だと水季が言っていたことを、ぽつりぽつりと話します。

実際どうだったのかと夏が聞いた時、津野は言葉に詰まり、少し息を整えて、「思い出したくないです」と言います。
この時の、思い出してしまい、感情ごと蘇り、目にだんだんと涙がたまり、冷静になろうとビールを飲むお芝居、本当にすごかったです。
水季がどんな様子だったのか、何も語られていないし、何も見せられていないのに、ここでの津野のこの表情から、きっとその言葉の通りにはいかなかったのであろう水季の様子が頭に浮かんでくるようで。
どんどん悪くなっていく身体を抱えて、ギリギリまでたった一人で海を育てる水季のその姿を、いちばん近くで、両親よりも近くでずっと見て来たのは、津野なんですよね。
そばにいたからこその後悔や悲しみがあるはずで、もっと誰か助けになる人がいたらって思ったこともきっとたくさんあったはず。
水季の親は、海の父親は、何をしているんだ、そういう感情もあったはず。それなのに、水季がいなくなってから次々と水季と"繋がり"のある人たちが現れて、自分は外野だと、そばにいただけの他人だと突きつけられて。
水季の両親や夏は、それでも一歩ずつ新しい関係を築きながら時を進めているけれど、津野ってずっと時間が止まっていて、よく考えたらすごく孤独ですよね。

葬儀以降、朱音や翔平とは会っていないように思いますし(南雲家まで本を届けに行ったけれど会わずに帰った)、海ちゃんが自分に会いに来たことはあっても、自分から関りには行っていなかったはず。
でも、水季や海と過ごした図書館で働き続けていて。
家のソファーからは海ちゃんのボンボンが出てきちゃうし。
津野くん、孤独すぎる。

部外者だし、ただの同僚だし、大人だし、実の父親いるし、俺関係ないし。
そう思って、冷静になろうなろうとしても、大切な人を失った悲しみが簡単に消えるわけはなくて。

夏に悪気はないし、津野を意識的に外野扱いしてはいないし、むしろ津野のことは水季のそばにいた人としてリスペクトしているのが夏だと思うけれど、両親には聞けないことを津野には聞けるというのはやっぱりきっと津野にとってはくらうものがあるでしょうし、ここでの津野の様子を見て、夏もきっと、自分が水季と向き合うことで津野や誰かを傷つけてしまうことになり得ることを、実感したと思います。
それでも、ここではいつもみたいに「ごめんなさい」とは謝らず、黙った夏くんに、意思を感じる。

-津野晴明「海ちゃんと向き合おうとするのもわかるんですけど、今さら南雲さんと向き合おうっていうのは、綺麗事ですよね。死んだんだから。もう掘り返さないでください。」
-月岡夏「嫌です。」
-津野晴明「嫌です?」
-月岡夏「知りたいです。掘り返します。すみません。ごめんなさい。」
-津野晴明「比べるもんじゃないとかよく言いますけど、月岡さんよりも、僕の方が悲しい自信があります。」

「海のはじまり」第6話より

ここでの会話。
津野の意思に、夏も意思を示して向き合ったようなシーンでしたね。

自分が掘り返すことで、津野は悲しみを直視することになる。
それでも、夏が一人でじっくり考えて意思を固めた時に出るあの強さでの「嫌です」を言った夏に、ごめんなさいと言いつつ掘り返しますと言った覚悟みたいなものを感じました。
夏にとっては、津野の存在は、自分と水季をつなぐための一つの光のような存在でもあるから、悲しみを掘り返してしまうことは本意ではないし、知ることで自分だって無傷ではいられないけれど、それでも手繰り寄せたい、数少ない頼りですもんね。

前回、実家で海のことを打ち明けた日の夜、ゆき子と晩酌をしながら実の父親のことを少し聞きかけた時のシーンの感想でも少し書いたのですが、やっぱり夏くん、「もう後悔したくない」「もう躊躇したくない」みたいな意思が強くなってきているような気がします。

色々聞きたい事ばかりだったけれど、言葉を飲み込んで、水季には何を言っても無理だからと、水季と別れたこと。
「元気でね」と言って別れた水季が、母になり、病気になり、亡くなっていたこと。
自分がもっと関わっていたら、ちゃんと聞いていれば、ちゃんと言っていれば。
そんな大きな後悔がきっとあるでしょうから、もう繰り返したくない、今目の前にいる人にちゃんと向き合いたいという強い思いによって、自分を奮い立たせて動いているように感じます。

そこに、夏くんのもともと持っている、「決めつけない」というスタンス、勝手にわかったふりをせずに不器用なまでに相手にちゃんと確認をする、というスタンスが乗っかっていて。
悲しいなら泣きなよと海ちゃんに悲しみを吐き出させたり、じっくり向き合って弥生さんの本音を引き出したり、一歩間違えれば相手をすごく傷つけてしまうような危うさはありつつも、夏くんのそういうスタンスによって、そばにいる人たちは、自分と向き合う苦しみを経て一歩進めるようなところがあるんですよね。
津野くんも、そんな風になっていくんじゃないでしょうか。
なってほしいです。

ふわふわ

自宅のソファーで見つかった海のお気に入りのボンボンを、海に付けてあげようとする津野。
夏が今朝してあげた三つ編みを津野がほどいて、手慣れた様子で髪をほぐして、ひとつに結んで、ボンボンを付けてあげます。
三つ編みをほどいてしまうことに対して夏を気遣った海に、「やってもらいな」と言ってあげた夏ですが、津野と海の様子を静かに見つめている表情には、夏なりのいろいろな複雑な想いが感じられました。
でも、夏はもう、そういうの全部背負って、向き合っていくしかないもんね。
頑張れ、夏くん。

津野くんはやっぱりきっと、海をあずかった時に髪を乾かしてあげたり結んであげたりしたことがあるんじゃないかな。
海ちゃんも慣れた様子で津野くんに髪の毛を任せていて、そういう時間の積み重ねを想像させるシーンでした。
しかし、自分の娘を津野に預けるって、水季、相当津野を信頼していますよね。
水季と津野の時間も、もう少し回想シーンで観たいですね。きっと出てくるでしょう。

夏が不器用に結んだ三つ編みが、ほどかれて、津野がぱぱっと仕上げたひとつ結びになる。
でも、夏がした三つ編みの名残で、髪の毛はふわふわ。
ほどかれたけど、残ってる。
なくなったけど、ちゃんとある。
いなくなったけど、ずっといる。
前回からモチーフになっている「髪」が、いろいろなものに通じます。

この後の帰り道、津野が結んでくれた髪の毛を嬉しそうに見せる海。
よかったねと笑う夏ですが、海に「夏くんが結んでくれたからふわふわ」と言われて、「うん」と心から笑った夏くん。
ここで女の子が言うべき台詞として100点満点の台詞を言った海ちゃん、さすが、デキる子です。
もちろん海ちゃんには小賢しさのようなものはなくて。
大人が大人の事情でこんがらがらせた気持ちやしがらみを、子どもの無邪気さがすっと晴れ渡らせていく。
別に誰が三つ編みをしようが編み込みをしようがひとつ結びにしようが、どうでもよくて、海ちゃんが幸せなら、それでいいんですよね。
みんなの願いは共通している。
水季が残したつながりによって、海ちゃんがいることで、つながり直していく大人たち。
「選べなかったつながりは、まだ途切れていない」のサブタイトルを思い出します。


待つ

南雲家を訪ねて来た夏の母・ゆき子、水季の遺影に手を合わせます。

-南雲朱音「水季と会ったことは?」
-月岡ゆき子「いえ。すみません、あの子、全然そういう話してくれないから。」
-南雲朱音「男の子なんてそんなものですよ。あ、あの、よくわからないんですけど。男の子育てた事ないから。すみません、想像で物を言って。」
-月岡ゆき子「いえ。女の子、羨ましいです。お母さんに恋愛の話とかしてくれたんじゃないですか?」
-南雲朱音「全然全然。もう水季は全然。」
-月岡ゆき子「ごめんなさい、女の子育てたことないくせに偏見で話しちゃって。」
-南雲朱音「お互い様ですから。」

「海のはじまり」第6話より

もしも、の話は無いけれど。
でも、もしも、水季と夏が結婚していたとしたら、南雲家と月岡家、繋がっていたんですよね。
今、水季がいないけれど、遺影の前でつながる二つの家族。
「わかった気になってはいけない」という、一貫してこの物語に流れているひとつのテーマが感じられるような台詞でした。

「言葉にはならないけど、色々と考えてくれてるみたいです。私たちは、待とうと思っています。」
そう言った朱音。
「ありがとうございます」とゆき子。

わかった気になって物を言ってしまうというこの直前の会話に対して、朱音さんのこの台詞。
まだ夏と過ごした時間は長いとは言えないけれど、少しずつ夏のことを理解してきた朱音さんがちゃんといて、夏のこと、少しずつちゃんとわかってきている。
多分、言葉にするのが遅いことで、何も考えずぼやっとしているように捉えられてしまうことも多いであろう夏。
短気でせっかちな朱音さんにとっては、不安になったりイラっとするところもきっとあるとは思うのですが、朱音さんがちゃんと夏を見てくれていること、わかってくれていること、わかろうとしてくれていること、その上で待つと言ってくれていること、それに対する、ゆき子の「ありがとうございます」の一言には、重みと深みがありました。

この後、ゆき子が車で帰る道の途中、歩道橋を降りてくる夏と海の姿を見つけます。
海が夏に手を差し出して、夏がその手をとって、自分が車道側にまわって、歩いて行く二人。
その姿を見たゆき子は、少し涙ぐんで笑います。
心配しつつも、夏が夏なりにちゃんと向き合って考えていることはきっとゆき子さんもわかっていて。
朱音さんが言ってくれたように、自分も、今は、待とう。
息子への信頼と、心配と、エールと、愛情、親心。
一瞬の表情でしたが、あたたかいものを感じるシーンでした。

検診と心配

三谷の誕生日祝いにと、二人でオシャレなレストランで高いワインを飲む弥生。
今後こういう時間を取るのが難しくなるかもと言う弥生。
少しずつ、母親になる前にしておきたいことをしているのでしょうか。

「彩子、27になったんだよね。病院怖いって言ってたけど、検診、ちゃんと行きなね。元気でいて。」と弥生。

「彩子」と名前で呼ぶって結構親しい後輩だと思います。
若くして娘を残して亡くなった水季のこともあり、大切な人には健康でいてほしいという思いを強くしたであろう弥生。
生方さんが、この作品で伝えたい事のひとつに、「がん検診に行って欲しい」ということを挙げられていました。
それがはっきりと言葉にされたこのシーン。
失ったものは戻らないとよく言うし、それは本当にそうで、でも、そこから気付きを得た者たちが、それに向き合って行動を起こすことにはとても意味がありますよね。
現実においても、この作品を観た視聴者が、自分もちゃんと受けようとか、あの人に受けてほしいとか、そう思って行動に移せたら、それだけでも本当に、意味のある物語だと思います。

一方月岡家では、大和が弥生さんの様子を、ゆき子が南雲家の様子を報告し合っています。

-月岡和哉「どうなの?」
-月岡ゆき子「心配。」
-月岡和哉「そうだよね。」
-月岡ゆき子「娘さん亡くすのも、恋人に子どもがいるって発覚するのも、大丈夫なわけないじゃない。」
-月岡和哉「そうだね。急に7歳の子の親になるのもね。」
-月岡ゆき子「心配。」

「海のはじまり」第6話より

ね。私も心配。

和哉さんとゆき子さんの、このなんというか、当事者すぎない立場というか、色々心配だけれど今は見守るしかない歯がゆさというか。
きっとこの立場だからこその物の見え方とか支え方ってきっとあって、それが夏や弥生にとっても大きな助けになるはず。
具体的に何かアクションを起こさなくとも、「心配」をしてくれる人がそばにいてくれることって、それだけでも心強いですよね。
それぞれが、それぞれの想いで、手探りの未来に向かっていくような、第6話です。


向き不向きと練習

南雲家にて、パジャマのボタンを自分で留めるけれど1個ズレてしまってやり直す海、それを見守っている夏、そんな二人を眺めている朱音。

-南雲朱音「イライラしないのね。」
-月岡夏「何にですか?」
-南雲朱音「子どものペースに合わせたり待ったりすること。なんか平然としてるから。」
-月岡夏「ああ…すみません。」
-南雲朱音「ん?」
-月岡夏「人に合わせちゃうんです。自分で決めるの苦手で。昔からずっとそうで。待つのも、待ってないで自分から動けって仕事でもよく怒られたり。あと、自由すぎるのも苦手で。ある程度やること決められてるほうが楽に思っちゃうというか。」
-南雲朱音「子育てに向いてるのかもね。」
-月岡夏「それはないと思いますけど。」
-南雲朱音「いいことよ。人に合わせられるってすごいことよ。でもまあ、今はここだし、仕事に行く日の朝二人きりとか、いざとなったら月岡さんでもイライラするのかもね。」
-月岡夏「…それも、練習出来たらしたいです。」

「海のはじまり」第6話より

また出て来た、向き不向きの話でした。
職場で夏に「自分から動け」と叱る藤井さんの姿が目に浮かびました(笑)

「いいことよ。人に合わせられるってすごいことよ。」
これは夏が水季と出会った時に水季に言われた言葉ですよね。
これを水季に言われた時点で、私はもう夏は恋に落ちていたと勝手に確信しています。
朱音と水季の繋がりも感じるし、水季と夏の繋がりも感じられるシーンでした。

最後、「それも練習したい」と夏が言った時の朱音さんの表情。
何かはっとしたような感じで、夏が父親をやろうとしている覚悟を感じ取ったような感じもありつつ、もしそうなれば、夏と海がこの家からいなくなるのかと、それを想像したような感じもあったように思います。

娘を亡くしてままならない中、目の前にいる娘から託された海を守って、育てて、夏が現れて、朱音さんにとって、娘を亡くした悲しみというのは他の何によっても埋められるものではないけれど、海や夏の存在がどこかで良い意味で気を逸らしてくれるところがあると思います。
もし夏と海が南雲家ではない場所で一緒に暮らすことになれば、関係性が途絶えることはなくとも、物理的な距離は出来て、少しごまかされていた寂しさを感じてしまいそうですね。

また、もし本当に夏の家で海と二人で暮らす練習をするとなったら、海ちゃん自身の環境変化がかなり大きいから心配な要素は増えますよね。
そういえば、直近では学校の転校の問題もあります。

少しずつ時間をかけて、慣れて、考えていけばいい。
そう思う反面、決めなければならないことってたくさんあって。
夏休み、夏くんのパパ研修、と、なんだかちょっと非日常感がある中で忘れていましたが、家族みんなで考えなければならないこと、たくさんある。
ここでの朱音さんの表情が気になったシーンでした。


拗ねる夏

弥生の家で、パッチワーク的な裁縫作業をする弥生と並んで話す夏。
ゆき子に言われたことなどを報告する夏。

-月岡夏「隠したのは、恥ずかしいとか悪いことだって、どっかで思ってたからだと思う。」
-百瀬弥生「私も母親と相手にしか言わなかったよ。会社は仮病で休んで、バレるの怖いからちょっと離れた病院行ったの。」
-月岡夏「そうなんだ。」
-百瀬弥生「水季さんはすごいよ。そういう決断、全部一人でして。ほんとすごい。私には出来なかった。」
-月岡夏「…後悔してるの?」
-百瀬弥生「後悔ともちょっと違うんだよね。あのタイミングであの状況でこの性格だから、産んでたとしても、一人で全部完璧にやろうとして、結果自滅してく未来が見えてる。」
-月岡夏「弥生さんは…」
-百瀬弥生「そうなりそうでしょ?」
-月岡夏「抱え込むから。」
-百瀬弥生「だから、産まなかったのが間違いとは思ってないの。正解とも言えないけど。子どもがいたら今の生活はないし、それは否定したくないんだよね。」
-月岡夏「うん。」

「海のはじまり」第6話より

ソファから降りて、床に座る弥生と同じ高さに下がって、「後悔してるの?」と聞いた夏。
弥生に寄り添おうとする誠実さが感じられるし、自分の知らないところで大きな物を抱え込んでいた弥生に対して、自分が支えたいとか、もっと弥生の力になりたいという想いが強まったからこそ、言葉を飲み込まずに「後悔してるの?」と聞くことが出来たのだと思います。
弥生さんもとても素直に穏やかに話しているようで。
弥生さんが素直になれてから、この二人のつながりも確かに深まっているようで、以前はあんなに苦しかったこの二人のシーンが、今では穏やかな癒しの時間です。
二人、絶対必要とし合っていて、いいコンビなんだけどな。
幸せでいてほしいなと願うばかりです。

この後、もし子どもがいたら付き合ってないと言われた夏がちょっと拗ねるところ、ええ、可愛かったです。
まんまと可愛いと思いましたよ。
めちゃめちゃ可愛かったですよ。
夏くんが可愛いのか目黒さんが可愛いのかもうわかりません。

好きにはなってたと思うけどね~と言われた時のコロっと嬉しそうに変わる夏くんの表情も、ええ、はい、可愛かったですよ。
ちょっと、この二人の出会いから付き合うまでと今現在の些細な幸せシーンだけを詰め込んだスピンオフって、どなたにお願いすれば観れますか?

海ちゃんを迎えに行った帰り、ホームで電車を待つ間にベンチで寝てしまった海と、海を挟んで座る夏と弥生。
「水季さん、最初は産まないつもりだったんだよね?なんで産むことにしたのか聞いた?」と弥生。
「やっぱり産むって急に言い出したらしい」と夏。
水季さんらしいねと笑う弥生。
「俺もなんか、らしいなって思っちゃって。きっかけとか無いんだと思う。」と夏。
でもよかったねと言う弥生と、うんと頷く夏。
よかったよかったと、眠る海の髪の毛を撫でる弥生。
この後の展開を知った上でこのシーンを見返すと、もう弥生さんを見ているだけで涙が溢れてきます。
弥生さん、あなたが今穏やかな笑顔で「よかったよかった」と髪の毛を撫でているその命に、あなたはすごく大きな関りをもっていたんだよ。
全然部外者じゃなかったんだよ。号泣。

弥生の願い

水季が中絶のために病院を訪れた日の回想シーン。
夏にサインをもらった同意書と、朱音が記した自分の母子手帳、この2つを握りしめている水季。
ふと目に留まった病院に置かれていた「ご意見ノート」を、ぱらぱらと開きます。

この病院を訪れた女性たち、主に出産を経た女性たちが書き残していった言葉たち。
「母子共に健康でした」「産声を上げた瞬間、ママになった!無事生まれた!と大号泣しました」
産んだ喜びに溢れるコメントの中で、目に留まったのは、この病院で中絶手術を受けた弥生が書き残した言葉でした。

「妊娠9週で中絶しました。強い罪悪感に襲われています。彼がああしてくれたら、母がこう言ってくれたらと、罪悪感を他人のせいにしてしまい、そんな自分にまた落ち込みます。まるで自分が望んだように振る舞っていただけで、実際は、他人にすべてを委ねていました。人に与えられたものを欲しかったものだと思い込むのが、私は得意すぎました。後悔とは少し違う。でも、同じ状況の人に、同じ気持ちになってほしくありません。他人に優しくなりすぎず、物分かりのいい人間を演じず、ちょっとズルをしてでも、自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います。」

「海のはじまり」第6話より


会社にバレないように少し離れた場所にある病院で手術を受けた弥生。
水季と同じこの場所で、弥生は同じ頃、中絶手術を経験していました。
きっと、弥生がこのノートを開いた時も、そこにはたくさんの産みの喜びにあふれるメッセージが書き残されていたはずで。
手術をした後にノートにコメントする余裕がある人ってきっと少ないし、書けないですよね。
でも、あえてペンを取って、これを読むかもしれない「あなた」という誰かのために、気持ちを記した弥生。
当時の弥生が、ここにしか気持ちを吐き出せなかったのかと思うととても苦しいですが、水季はこの弥生のメッセージを読み、涙を流します。
そして、持ってきたものの、中を読んだら堕ろせなくなると思い読めずにいた朱音の母子手帳を読み、手術は受けず、産むことを決めました。

「読んだら堕ろすの無理ってなる気がして、まだ中見てないんですけど、でも、読んで、それで決めます。人のせいにしたくない。あんまりないんだけどな、人に影響されること。」

場面は現在に切り替わり、南雲家にやってきた弥生が、海に編み込みをしてあげているシーン。
嬉しそうに「弥生ちゃんありがと」と言った海。
弥生のおかげで産むことを決めた水季、その水季が産んだ命・海が、弥生に「ありがとう」って言う。

水季は病院で弥生のコメントを読んだ後、病院のスタッフに「この人が来たら伝えてください」と何かを託していましたが、弥生がこの病院をもう訪れていなければ、そのことってきっと本人には伝わっていなくて。
この時に水季が言いたかったことが、「ありがとう」だったかもしれませんね。
弥生がいなければここにいなかったかもしれない海が、水季が伝えられなかった「ありがとう」を運んで、いま、弥生に届ける。
この3つの命のつながりが美しすぎて、涙が止まりませんでした。
結構今まででいちばんと言っていいくらい、ドラマチックで、本当に美しいシーンでした。

終わらないつながり

第6話ラスト。冒頭にあった水季と朱音の向き不向きの会話の続きです。

-南雲水季「お母さんは?お母さん向いてた?子育て。」
-南雲朱音「向いてるわけないでしょ。短気でせっかちなんだから。」
-南雲水季「自覚あんだ。すごいね、向いてないことこんなに長く続けて。」
-南雲朱音「続けるしかないわよ。産んだら最後、子どもに振り回される人生が始まるんだから。」
-南雲水季「いつ終わるの?お嫁いくまで?死ぬまで?」
-南雲朱音「死んでも終わんないわよ。お母さんどうせ先に死ぬけど、それでも水季のお母さん続けなきゃいけないんだもん。」
-南雲水季「それは大変だね。」
-南雲朱音「あんたほんと他人の影響受けなさすぎ。普通もうちょっと気持ちが揺らいだりするでしょ。」
-南雲水季「そんなことないと思うけどね。堕ろすのやめたりしたし。」
-南雲朱音「何かあって産むことにしたの?」
-南雲水季「ん?やっぱ産もうって思っただけ。神のお告げ?」
-南雲朱音「あっそう。」

「海のはじまり」第6話より

愛おしそうにお腹を触りながら、「どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います。」と独り言のように呟く水季。
この言葉、水季が海に対しても願った言葉のように聞こえます。
自分で決めることにこだわってきた水季。
亡くなる前に、海をこんな風に育ててほしいと朱音に託した言葉も、これに通じるものでしたね。
水季は海の母子手帳に、夏とサインをした中絶の同意書を、そのことを忘れないようにと挟んでいました。
一度はそうしようとしてしまったことを忘れないため、のほかに、もしかしたら、その選択をした人(弥生)が伝えてくれた想いも忘れたくなくて、それでとっておいたのかもしれませんね。

その水季の独り言がモノローグになって、こぼさないようにお茶を運ぶ海を穏やかな笑顔で見守る夏と弥生、弥生の笑顔にフォーカスされて終わった第6話。
この終わり方、本当にあたたかくて、美しくて、愛おしくて、水季の独り言は、弥生と海の、そして夏の幸せを願った言葉のように聞こえて、本当に美しい素敵なシーンでした。
弥生さん、あなたが願った誰かの幸せが、ちゃんとあったし、今目の前にもちゃんとあるんだよ。
決して弥生が知ることはない、というのも、良い。
このドラマチックさがなんだか本当に見事で、でも素直に受け取ることが出来るメッセージで、胸が満たされるような感覚でした。
この、弥生が願った幸せが、巡り巡って弥生の幸せにもつながっていきますように。

何を選択しても、幸せのため。
あなたの幸せを願います。

なんかもう、この物語が伝えようとしてくれるものが集約されているような第6話でした。

朱音と水季の親子の会話のシーン、この時はまさか水季が亡くなる未来は二人とも想像していなかったけれど、「死んでも終わんない」は、水季が亡くなった後も朱音は水季の母親であり、水季は朱音の娘であること、同じように、水季は海の母親であり、海は水季の娘であること、そこに終わりはないこと、水季が今いなくても、確かにいて、終わったわけじゃないということを伝える台詞でした。
「いるよ。いるから大丈夫。」
第1話のいちばん初めのシーンで、不安げな海に水季が言った言葉です。
このシーンに物語のすべてがある気がする、と当時書いたあのシーン。
そこに行き着いたような第6話でした。

水季が出産を決意するにあたり、実は大きく関わっていた弥生と朱音。
弥生は水季と直接的には会っていないし、朱音もこんな風にはぐらかされて、水季が産むことを決めた理由を直接聞いたことはなかった。
もう二人には、いや、もうこの登場人物たちの誰一人も、この水季の本音や経緯を知る術がないから、その事実は誰にも届かない。
今すぐ教えてあげたいくらいだけれど、誰にも知られることはないんですよね。
でも、彼女たちの選択のひとつひとつが、してきた経験のひとつひとつが、書き記してきた言葉のひとつひとつが、誰かに影響を与え、命を繋いでいったこと、そのことを穏やかに伝えてくれるシーンでした。

もう、本人の口からは聞けない。
どんなに想像したって、真相はわからない。
だからこそ、今目の前にいて話すことが出来るうちにちゃんと本人に聞いておくことや言っておくことがいかに大切かということも、一方では伝えてくれている作品だと思います。
あの時言っておけばよかった、聞いておけばよかった、そういう思いは水季も抱えながら亡くなっていたと思いますし、極論やっぱり、いつ何が起こるかってわからないから、どんな可能性だって背負っている私たちは、そんな虚しさを繰り返さないためにも、大切なものや大切な人とは、きちんと向き合いたいものですよね。

一方で、言えなくても、聞けなくても、伝わらなくても、誰にも届かないだろうと思っていたとしても、自分だけの物語だと思っていたとしても、みんなどこかで重なって、繋がってる、ということも感じさせられました。
バトンって、命って、誰かが誰かに「はい、どうぞ」って託すものでもなければ、「はい、わかりました」と受け取って始まるものでもなく、人と人が重なったり繋がったりしながら、少しずつ紡がれていくものなんだなということも感じました。
なんというか、きっと実はすごく当たり前のことなんですけど、私たちが自分のものだと思って生きている人生って、今までいた人、今いる人、この先にいる人、全員でつないでいる「命」なんだなって、なんだかそんな壮大なことを思いました。

選んだものだけじゃなく、選べなかったものや、選ばなかったもの、そのすべてが、どこかで重なったりつながったりしながら、つづいていく。
「無駄なことなんてひとつもない」とか言ってしまうと急に薄っぺらいし、味わわなくて済む苦しみがあるなら味わわないに越したことはないけれど、でも、全部ちゃんとつながって、つづいていくんですよね。
いつどこで誰が始めたとか、終わったとか、そんな明確に点で区切れるようなものではない、それでいいし、誰にも影響を与えない人なんていないし、誰にも影響を受けない命なんて存在しないんですよね。

自分が幸せになるために意思をもってする選択。
それが人生をつくるし、その意思が偽りのない自分の意思であればあるほど、自分の人生に責任を持って向き合うことが出来る。
でも、その意思には、たくさんの命がかかわっていて、実は影響を受けたり影響したりしていて、そうやってつながってつづいていく。
なんだろう、ちょっと語彙力が足りな過ぎて上手く言えないのですが…
こんなにも壮大なすごいことを、こんなにもシンプルに、でもドラマチックに、ドストレートに響かせてくれる、そんなすごい作品を今私たちは観ているんだなと、感動しました。

この物語、どこまで描かれるのかわからないけれど、なんだかもう、夏が父親をやるとか、弥生が母親をやるとか、そういうことに結論が出なくても良い気分です。
第1話放送からの実際の時の流れと物語の進み具合もリンクしているので、急に「◯年後…」の未来とかも描かれない気がする。
ある程度のところ、その先を感じさせるところまで描いて、具体的な答えまでは、もしかしたら提示されないかもしれませんね。
もちろんどんな選択をするかは気になるけれど、どっちでも正解だし、それぞれが自分の幸せのために意思で選択をして、そして幸せになってくれれば、それでいい。
他人がとやかく言えることではないし、ただみんなの幸せを願ってる。
なんかもう、それだけです。
私は胸がいっぱいです。

もちろん来週も、その次も、楽しみですが、なんだかもう、どうなっても、幸せでいてくれればそれでいいです。
考察とか邪推せず、ただただ、それぞれの姿を受け止めてゆきたいですね。
はあ。「海のはじまり」、人生に深く刻まれるドラマです。