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ドラマ【不適切にもほどがある!】名台詞集

2024年1月期TBS金曜ドラマ「不適切にもほどがある!」より、心に残った台詞をまとめました。


●作品情報

公式サイト


●名言集

第1話

何て言えばよかったの?

「頑張れって言われて会社休んじゃう部下が同情されてさ、頑張れって言った彼が責められるって、なんか間違ってないかい?だったら彼は何て言えばよかったの?」

「不適切にもほどがある!」第1話 - 小川市郎

秋津が頑張れと声をかけた職場の後輩が、それをハラスメントだと受け止めて会社を休んだ。
そのエピソードを聞いていた市郎が問いかけた言葉です。
色々と配慮しなければならないことはあるし、気を付けなければならないことは分かっている。
でも、じゃあ、どうすればよかったのか。
何て言ったらよかったのか。何が正解だったのか。誰にとっての正解なのか。
考えさせられる台詞です。

こんな未来のために

「こんな未来のために、こんな時代にするために、俺たち頑張って働いてるわけじゃねえよ。」

「不適切にもほどがある!」第1話 - 小川市郎

昭和から2024年にタイムスリップしてきた市郎が、今の時代を知って嘆いた言葉です。
一概に昔が良くて今が悪いとは言えないけれど、願っていた未来が、創ってきたはずの未来が、生きづらい未来になっていたら、虚しい。
私たちの先にある未来は、どうなっているのでしょうか。

関わり合って強くなるのが人間じゃねえの?

「期待して、期待に応えてさ、叱られて、励まされて、頑張って、そうやって関わり合って強くなるのが人間じゃねえの?」

「不適切にもほどがある!」第1話 - 小川市郎

関わり合って強くなる。
人が人と関わるのは、傷つけ合うためでも、比べ合うためでもない。
一緒に強く生きていくために、手を取り合うのが社会であるはずです。

幸せだって言いづらい社会

「結婚だけが幸せじゃないってあんた言ったけど、じゃあ結婚しました幸せですって言っちゃいけないってこと?我慢しなくていいだろう。幸せだって言いづらい社会、なんかおかしくないかい?」

「不適切にもほどがある!」第1話 - 小川市郎

誰かの個性や幸せを尊重することで、誰かのそれに圧をかけてしまう。
そんなことが、まだまだ世の中にはたくさんある。
どれが良いかを選ぶことは、どれが悪いかを決めることではないはず。
多様性は、あることを尊重すること。

話し合ったという履歴は残る

話し合いましょう
拳と拳で
話し合いましょう
拳と拳で
たとえ分かり合えなくても
話し合ったという履歴は残る

「不適切にもほどがある!」第1話 - 小川市郎/秋津

劇中のミュージカルパートで歌われた曲の歌詞です。
話し合ったって分かり合えないことはある。
けれど、話し合わなければ、分かり合えないかどうかもわからない。
話し合えば、話したけれど分からなかったという履歴が残る。
話し合いさえもしないこととは、大きく違う。

言ってくれないとわからない

「それは、言ってくれないとわからない。」

「不適切にもほどがある!」第1話 - 秋津

ハラスメントを主張していた後輩に秋津がかけた言葉です。
本当はこうして欲しかった。
本当はこう思っていた。
察してくれるのを待っているだけでは、伝わらないことがある。
言わなければ伝わらない。
当たり前のことに気付かされる台詞でした。

それが組織

そうねいつだって君は正しい
だけど正しいことが正しいとは限らないわ
それが組織
どんな正義も振りかざしたら圧になる
それが組織

「不適切にもほどがある!」第1話 - 田代

劇中のミュージカルパートで歌われた曲の歌詞です。
組織に属して働くすべての人にとって、頷いたり、心がざわついたり、印象に残った言葉だったのではないでしょうか。


第2話

一人で抱え込んだ方が楽

「一人で抱え込んだ方が楽ですよね。」

「不適切にもほどがある!」第2話 - 秋津

仕事を新人や同僚に任せるよりも自分でやってしまった方がよい、というか環境的に自分でやるしかない。
そんな中、一人で抱えないでねと周りからは言われる。
そんな状況を嘆く渚に共感するように秋津が呟いた一言です。

それじゃだめだって、わかってる。
でも現実があって、やらなければならない仕事がある。
そんな中でもどかしく過ごす人々には刺さる言葉だったと思います。

俺に出来ること

「あんたが今して欲しいことが、俺に出来ることだよ。」

「不適切にもほどがある!」第2話 - 小川市郎

仕事、育児。さまざまなことに追われて、ひとりで抱えようとして抱えきれなくなりかけた渚に、市郎がかけた言葉です。

助けてほしいけど、してほしいことは、してもらえない。
何かしようかって言うけど、求めていることは、あなたには出来ない。
そんな中でどんどん孤独に、ひとりになりつつあった渚に、市郎が当たり前のようにかけた言葉。
自分に出来ることの中から選んで何かを渡すのではなく、あなたが求めることを、あなたが必要とすることを、してあげたい。
そのシンプルな思いが、人を救います。

働き方改革

「社員のやる気を削ぐのが、働き方改革ですか?」

「不適切にもほどがある!」第2話 - 犬島渚

働き方改革。
どうしても、残業管理やペーパーレス化、時短勤務など、制度的なものばかりが先に整えられていく。
一方で、ひとりひとりにとって異なるやりがいやモチベーション、コミュニケーションや評価軸は、置いてけぼりになる。
時代感が反映された台詞でした。

正しいだけで心が無い

「あんたは正しいだけで心が無い。」

「不適切にもほどがある!」第2話 - 犬島渚

いつも他人事のように正論ばかり言う夫に渚が言った言葉です。
正しさは、いつだって正しい。
でも、すべてではない。
人を動かすのは、正しさだけではありません。

不向きだと思うんならやってよ

「不向きだけどやんなきゃだし、やりたいし。不向きだと思うんならやってよ、出来ることじゃなくて、やってほしいことを。」

「不適切にもほどがある!」第2話 - 犬島渚

渚に対して「お前に子育ては不向きだ」と言い放った夫に、渚が言った言葉です。

向いてるとか向いてないとかそんなことを考える余地もなく、やらなければならなかった。
それは夫だって同じはずなのに、彼は自分に出来ることだけを選んで、他人事のように正論を口にする。
じゃあやってよ。
あなたに出来ることじゃなく、してほしいことを、必要なことをやってよ。
渚の感情が溢れたこの場面は、響くものがありました。

第3話

そんなのどっちにも失礼だよ

「いくら好きでも、死んでる人と生きてる人は対等じゃないし、比べたら失礼。そんなのどっちにも失礼だよ。」

「不適切にもほどがある!」第3話 - 小川純子

新しい恋に出会いながらも亡き妻を想う父・市郎に対して、娘の純子が背中を押すために言った言葉です。
「その人は生きていて、手を繋いだり抱き合ったり出来るんでしょ?」という問いかけもありました。
今いない人を想いながら、目の前にいる人を想う。
それはずるさでも弱さでもない。
そのふたりを比べたり天秤にかけるのは失礼だし、申し訳ないと思う必要はない。
「対等じゃない」の一言が、私には、「どちらも大切」だと聞こえました。

みんな娘だと思えばいい

みんな娘だと思えばいい
娘に言わないことは言わない
娘にしないことはしない
娘が悲しむことはしない
娘が喜ぶことをする
それが俺たちのガイドライン

「不適切にもほどがある!」第3話 - 小川市郎

劇中のミュージカルパートで歌われた曲の歌詞です。
女性へのハラスメントについての市郎の気付きです。
性別というよりも、みんなが誰かの大切な人なのだということ。
自分にとっての大切な人と接するように、誰かの大切な人にも接することが出来たらいい。
そんなメッセージでした。

第4話

キョンキョンが女だから応援してるわけじゃねえよ?

「俺たちはさ、キョンキョンが好きだから応援してるんであって、キョンキョンが女だから応援してるわけじゃねえよ?」

「不適切にもほどがある!」第4話 - 小川市郎

ジェンダーの話になった時の市郎の言葉です。
様々な事柄に配慮すること、それは一人一人を尊重するためには必要なことで、考え続けていかなければならないことだと思います。
だけど時にはシンプルな気持ちに立ち返ってみることも必要で。
ただ、好きだから。
ただ、大切だから。
そんな風に相手を思う気持ちこそ、私たちが根底に抱くべきものだと思います。

第5話

楽しみだ

「そう。そっか。よかった。ちゃんと打ち解けて、仲直りして、酒飲んだり、孫抱っこしたり、そういうの一通りあるんだこれから。楽しみだ。」

「不適切にもほどがある!」第5話 - 小川市郎

自分の人生の最期について聞かされた市郎が、悲しみや絶望よりも、これから訪れると知らされた喜びに目を向けて言った言葉です。
天災は、たとえ未来を知っていたとしても、人間の力では避けられないもの。
誰を恨んでも、自分を責めても、時は戻せず、事実は変わらない。
けれど、悲しかった結末ではなく、幸せだった日々に目を向ける。
その喜びを、素直に噛み締める。
そんな風に咄嗟に心が動いた市郎の、人間力の深さに、胸を打たれるシーンでした。
未来が楽しみなのは、タイムマシーンがあるからでも、スマートフォンがあるからでもなく、大切な人との愛おしい日常があるからかもしれません。

第7話

とっちらかってていいんじゃないかね

「いつか終わる。ドラマも人生も。だからそのギリギリ手前までとっちらかってていいんじゃないかね。最終回が決まってないなんてさ、最高じゃん。俺に言わせりゃ最高だよ。」

「不適切にもほどがある!」第7話 - 小川市郎

結末が決まっている人生を娘と歩む市郎が、ストーリーについて悩む脚本家にかけた言葉です。
人生なんてドラマのように10話程度じゃ描ききれない、終われないものだし、ドラマも人生もいつか必ず終わるもの。
決められた結末に向けて進む物語かもしれないけれど、いつだって生きられるのは今だけ。
綺麗な終わり方よりも、どう生きるかが、価値になる。

ないと終わるんだ

「あれがないと終わるんだ。」

「不適切にもほどがある!」第7話 - 小川純子

スマホを失くすと誰とも連絡もとれず、支払いも出来ず、何も出来ず「終わる」ということを知った純子が呟いた言葉です。
そこには何の揶揄もなく、スマホには本当に大切なすべてが詰まっているのだと知り納得し心配しての言葉でした。

スマホ依存を否定するのでなく、大切なものの重みが時代を超えて理解されたように描かれた脚本。
時代とともに変わったのは、その大切なものをちゃんと大切にするという想いの強さだけかもしれません。

第8話

テレビが向き合う相手は視聴者じゃない

-栗田一也「わかったでしょう。もはやテレビが向き合う相手は視聴者じゃない。見てない連中なんです。」
-小川市郎「どうやって向き合う?だって見てないんだよ?」
-栗田一也「だから不毛なの。見る人はまだ好意的。見ないで文句言う人間には最初から悪意しかない。これがバッシングの実態です。」

「不適切にもほどがある!」第8話 - 小川市郎/栗田一也

不倫でバッシングされたアナウンサーの起用を巡って世間から向けられるバッシング。
それに対する会話の中での台詞です。
制作サイドの想いも入った強烈なメッセージでした。

歳とるの嫌じゃなくなった

「楽しみ。歳とるの嫌じゃなくなった。どんな人と知り合って、どんな仕事して、結婚するとかしないとか、わかんないけど、全部楽しみたいから、今勉強するの。」

「不適切にもほどがある!」第8話 - 小川純子

未来に行った純子が、自分が生きるであろう未来に目を輝かせ、言った言葉です。
物語の中では純子の人生の長さが決まっていたため、とても切なく胸をきゅっと掴まれる台詞でした。

未来は見えないものだけれど、でももしもこの物語のように過去から未来へと人が行き来できるようになった時、その目に映る未来がキラキラしたものであるように、私達は今をつくることができたらと思う。
どの時代にも、その時代なりの良さと悪さがあって、でも、過去から見た今が、いつも、生きてみたい未来であったら嬉しいし、そう思ってもらえるような未来をつくれたらと思う。

未来は明るい。楽しみだ。
そう思いながら生きることが出来たら、人はもっと自由で、輝いて、前を向いて過ごせると思います。

最高じゃん

「1人1台電話持って、写真も撮れて、音楽も聴けて、電車も乗れて、こういうのもあって、ポチってしたら欲しいもん家に届いて、最高じゃん。不満がないからツッパリ絶滅したのかな?」

「不適切にもほどがある!」第8話 - 小川純子

純子から見た未来、私達の今に対する言葉です。
隣の芝は青く見えるし、ないものねだりはいつの時代にだってあって。
でも、こんな純粋な台詞に、今の時代の良いところを素直に受け入れることも必要だと思いました。
すべて、その技術やツールが日常に登場した時は、すごい未来がきたとわくわくしましたよね。
それがいつしか当たり前になって、不便さに目を向けるようになる。
人間はそういうものなのかもしれません。

ちゃんと未来についていけてた

「親父、すごいのね。あんなに怒りっぽくてオナラ臭くてCCBとチェッカーズの見分けもつかないじじいがさ、ちゃんと未来についていけてた。それどころか未来人に頼りにされてた。私も頑張るんだ。」

「不適切にもほどがある!」第8話 - 小川純子

未来に馴染み活躍する父・市郎を思った純子の言葉です。
市郎は、今の時代を受け入れてついていこうと必死に過ごしているすべての人に重なる部分があって。
進化していくテクノロジー、変わっていく価値観、次々移り変わる流行、日々変化する様々なことに迎合しながら生きていく、それは、世代や性別を問わず、誰にとっても少なからず負担感があるもので。
でも、それでもそうやって人は一生懸命生きている。
何かを否定したり、比べたり、嘆いたり、拒否したり、そんなことが大切な場面もあるかもしれないけれど、肯定して、尊重して、良さを見つけて、受け入れていく、そんなことが必要な場面は山ほどあって。
それが出来るかどうかで、生きやすさが変わる。
結局世の中は自分次第ですね。
 

寛容じゃないよそんなの

「1回だよ?たった1回踏み外した人間がさ、もといた場所に戻ることすら許されない社会なんて、おかしいだろ絶対。あれだよ、寛容じゃないよそんなの。」

「不適切にもほどがある!」第8話 - 小川市郎

これに関しては内容や立場にもよるものかもしれません。
でも、何に許されなければならないのか、が、ブレてしまっている世の中は、とても窮屈で息苦しい。
騒ぐ世間を鎮めるための罰なのか、その人自身の更生のための罰なのか。
見失ってはいけないのはそこで、そこだけで本当は良いのかもしれませんね。

第9話

助けを求めないと働けないワーママです

「私は成功者でもなんでもないし、今も闘ってて、負けてばっかで、誰かに助けを求めないと働けないワーママです。仕事が好きで、息子が好きで、今はそれしか誇れないけど、杉山ちゃんがママになる頃には、何かの役に立てたらいいなって。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 犬島渚

子育てをしながら働く自分の存在をプレッシャーに感じていたという妊活中の後輩に対して、渚が送った言葉です。

女性同士だからこそ、ギクシャクしてしまう関係性もある。
どちらにも悪意がなくとも、傷つけ合ってしまうこともある。
それぞれの立場に、それぞれの悩みがあって、それぞれがただ必死に過ごしている。
でも、女性だからこそ出来ることもある。
渚のように、もがいて苦しみながら前例をつくってくれる人のおかげで、道がひらけていくこともある。
みんな、敵同士ではない。
一緒にもがいて、戦っているんですよね。

思い出せないもんね

「いつ誰に変わっちゃうか分からないのが芸能界だからね。いや渋谷とかさ、いきなり新しいビル出来ててびっくりしちゃうけど、じゃあ前に何があったんだっつったら思い出せないもんね。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 八嶋智人

芸能界に限らず、人とか、物とかって、そんなもの。
私がいなければまわらない、なんて思っても、仕事はまわっていくし、まわすもの。
そんなものだけれど、誰かにとっては、忘れられない人で、埋められない物も、必ずあります。
 

うるさかったな、人が

「なんか全体的にうるさかったな、人が。駅でもスーパーでもみんな無駄な事喋るから。今はほら、これ(イヤフォン)で、これ(マスク)だし。分からないことは人に聞かず検索するから静かだよね。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 向坂サカエ

昭和にタイムスリップした感想を話したサカエの言葉です。
どちらがいいとか、悪いとか、そういうことではないけれど、人と人との距離感や関わり方が、大きく変わったことを思わされます。

細かく分類して解決した気になってるだけ

「認定して終わりじゃしょうがないと思うけどね。これはパワハラとか、パワハラじゃなくてモラハラとか、細かく分類して解決した気になってるだけなんじゃないの。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 小川市郎

過去にみんなが我慢したりやり過ごしたり鈍感にならなければ自分を守れなかったこと。
それに、明確な基準を設けて、向き合っていくことは、必要だと思う。
だけど、本質は、認定することでも、処分することでもなくて。
やっている風になっていないか。
それで片付けてしまっていないか。
自分自身で問い続けなければいけません。

俺の娘を社会の基準で分類するな

「そんなんだからってどんなだ。あんたに娘の何が分かる。渚はパワハラなんかしてない。絶対にしてない。もし仮に万が一ワンチャンそうだったとしても、俺にとってはたった1人の大事な娘だ。34年間見てきた。ほんの一部分だけ見て切り取り、パワハラだなんて決めつけるな。俺の娘を社会の基準で分類するな。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 犬島ゆずる

パワハラをしたとされ休職中の渚が、近所に噂されて気まずい思いをしていた時に、父親のゆずるが叫んだ言葉です。
何か起きた時に、その出来事、その一言、その一瞬だけが切り取られて、決めつけられてしまうことがある。
どうしたって許されない過ちはあるし、時間は戻せないし、意図せずとも誰かを傷つけしまったのなら、その事実には向き合わなければならないけれど、人はその出来事、その一言、その一瞬だけで語れるものではない。
知ったつもりになって語ってしまうこともまた、誰かへの攻撃になり得るものです。

ここにいるみんな、繋がってる

-向坂サカエ「でも、ここにいるみんな、純子ちゃんと繋がってる。」
-小川市郎「俺の娘で」
-犬島渚「私のお母さんで」
-井上昌和「僕の先輩で」
-犬島ゆずる「私の妻、ですもんね。」

「不適切にもほどがある!」第9話 - 小川市郎/向坂サカエ/犬島渚/井上昌和/犬島ゆずる

純子の墓前で交わされた台詞です。

人には色々な側面があって、みんなが誰かにとっての誰かで、ちゃんと繋がっている。
色々な顔があって、関係があって、生きるってそういうことかもしれません。
私が知っているあの人は、その人のすべてではないし、誰かが知っている私も、私のすべてではない。
だから、その人のことを誰かと語り合ったり、想い合ったりする時間は、新鮮で、愛おしいもの。
純子の墓前でのこの台詞は、とてもあたたかく、愛おしいものでした。


第10話(最終話)

自分のことしか考えられない時ってあるよ

「自分のことしか考えられない時ってあるよ誰でも。そういう時、他人の言葉とか態度とか、ガラスの破片みたいに刺さっちゃうんだよね。落ち着いて考えたら渚がそんなつもりで言ったんじゃないって絶対わかるもん。だからその子、今頃後悔してる。引っ込みつかないだけで、謝りたいって思ってるよ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川純子

無意識に放った言葉がハラスメントだと捉えられ悩む渚に、純子がかけた言葉です。
渚がいちばん言ってほしかった言葉を、いちばん言ってほしかった人の声で聞くことが出来た瞬間でした。

誰にも迷惑かけてないのに

「個人の趣味だろ?誰にも迷惑かけてないのに寄ってたかって。大問題だぞ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川市郎

趣味の女装が知られて騒ぎ立てられ辞職に追い込まれた校長を思い、市郎が言った言葉です。
大切な事はなんなのか、考えさせられます。

あの子たちが30年40年後の未来をつくるんだよ

「人間なんだよ教師も生徒も。腹を割って?縦や横の繋がり?強制参加の飲み会で何言ってんだよ。こんなの同調圧力じゃねえか。生徒はひとりひとり違うんすよ。どっかで聞いた精神論に当てはめてそれで終わりでいいの?あの子たちが30年40年後の未来をつくるんだよ。ちゃんとやろうよ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川市郎

令和の時代を自分の目で見て確かめた後に昭和に戻ってきた市郎が、同僚の教師たちの会話に我慢ならず言った言葉です。
市郎が教師である設定の意味をとても感じた場面でした。

未来は勝手にやってくるものでも、誰かがつくるものでもない。
まさに今を生きる人たちがつくるもの。
未来を生きて動かす子供たちと、その子供たちの価値観やを形成する大人たちが、つくるもの。
「時代」なんてものはただの言葉で、そんなものはどこにもなくて、あるのはただ、それぞれの今を生きる人たち。
その人たちが、いつかの未来を、いつかの過去を、つくっている。
だから、ちゃんとしようよ。
とても心に響いた台詞でした。

そんなことしなくていいんだ

「そんなことしなくていいんだ。女だからって、若いからって、そんなポジションに甘んじなくていい。気持ち悪いやつには気持ち悪いって言ってやれ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川市郎

いいように扱われる若い女性教員に対して市郎がかけた言葉です。
「若い」や「女」で括られる形に自分を当てはめなくていい。
ひとりひとり違う。
あなたはあなたなんだから、嫌なことは嫌と言っていい。

直接会うよりずっと暴力

「こんなの直接会うよりずっと暴力。言葉の暴力です。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 向坂サカエ

渚の後輩社員が渚についての悪口をSNSに書き込んでいるのを目にし、サカエが言った言葉です。
言葉の暴力。
相手が目の前にいると言えないことを、SNSでは簡単に発信してしまう。
その言葉が、誰かにとっての刃になる。
気持ちを吐き出すべき場所は、そこではない。

寛容が足りないんだよ

-小川市郎「昭和も令和も生きづらいってことでいいかな?」
-向坂サカエ「生きづらい。どっちも。そして寛容じゃない。」
-小川市郎「その通り。寛容と大雑把は違うんだよ。」
-向坂サカエ「腫れ物に触るのも違いますよね。」
-小川市郎「無礼講とか飲みニケーションとか最悪だよ。」
-向坂サカエ「どんな仕打ちにあったって、吐き気がするなんて人が人に対して使っていい言葉じゃないでしょう。」
-小川市郎「その通り!」
-向坂サカエ「スマホじゃないでしょ私達。片っぽがアップデート出来てないとしても、もう片っぽが寛容になればまだまだ付き合えるでしょう。」
-小川市郎「寛容だよ、寛容が足りないんだよ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川市郎/向坂サカエ

昭和に戻った市郎と令和に戻ったサカエの会話です。
それぞれの時代に、それぞれの良さと問題がある。
どの時代だって生きづらい。
その生きづらさをつくっているものは、なんなのか。
そのひとつが、寛容さの不足。
「寛容さ」は、どちらかが我慢して何かを許すというよりも、まず尊重すること、認めること。
そこから、どう歩み寄っていくか、向き合って考えること。
別々の道を、別々の時代を生きてきた人間同士の関わりにとって、とても重要なことです。
どちらかが諦めてしまえば、コミュニケーションはとれなくなる。
諦めないこと、理解すること、寛容し合って、一緒に生きていくこと。
面倒だけど、そうやって向き合っていくことが、生きていくということかもしれません。

もうちょっと辛抱すればたくさん出来るから

「行けよ学校。学校なんてさ、自分と気の合わないやつがこの世界には存在するってことを勉強する場所だけどさ、3年かけて自分以外は頭おかしいってことを確認する場所だけどさ、その中で1人か2人友達が見つかれば、他は死ぬまで会わなくていいやつらだから。俺は左高くんに会えてよかったし、それは学校のおかげだし。気が合うやつとは繋がれて、合わないやつとは関わらなくて済む便利なもの、もうちょっと辛抱すればたくさん出来るからさ。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 向坂キヨシ

キヨシが昭和の時代に出会った不登校の同級生・左高にかけた言葉です。
この言葉を受け、同級生は変わっていきました。
今の自分が生きている世界が世の中のすべてではないし、時代も環境も、変わっていく。
きっともう少し呼吸が楽になる時が、来る。
SNSやさまざまなツールは、使い方ひとつで誰かや自分にさえ向く刃になるけれど、気の合う人と繋がり自分の居場所を見つけられるものでもあります。
使い方次第で、向き合い方次第で、世界はどんどん生きやすくなる。

お前らの未来はおもしれえから

「みんな卒業おめでとう。こんな時代に生まれてお前ら可哀想だな。どこ行ってもタバコ臭えし、連帯責任だって引っぱたかれて、やっと卒業だ。でも安心しろ、お前らの未来はおもしれえから。俺みたいな不適切な暴力教師がいなくなるし、こうツルっとしたのでUber呼んだら家でビッグマック食える。そんな時代でも大人は子どもに、こんな時代に生まれて可哀想だなって言うんだよ。そんな大人の話は聞かなくて結構。代わりに今日は特別に、お前らにだ、遠い遠い未来の音楽聴かせてやるから。」

「不適切にもほどがある!」第10話 - 小川市郎

市郎が生徒達に卒業にあたりかけた言葉です。
最終話のラストに、この物語のテーマが集約された台詞でした。




以上、ドラマ「不適切にもほどがある!」の名台詞集でした。

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