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空を航る - イラン編① -

午前2時。飛行機が降り立った。

トランジットのマレーシアで買った濃紺のスカーフを頭に巻いて、席を立つ。
意外と刺激的なにおいはしないな。そんなことを考えながら歩いていると、他の客達はあっという間にいなくなり、気付けば、ロビーに残っていたのは1人だった。

まだ深夜。この時間に外に出るのは怖い。
ホテルを取っても、そこに向かうのすら怖かった私は、空港内のベンチで外が明るくなるのを待った。

深夜4時。銀色の部屋は祈祷用。

午前6時。ようやく出国ゲートを抜けた。
中の静けさとは対照的に、空港ロビーは多くの人で賑わっている。「タクシー?タクシー?」と声をかけられるが、首を横に振りながら駆け抜け、まずは足早に両替所に向かう。

両替所に並んだところでハッと気付く。レートを見るが、まったくわからないのだ!
ペルシャ数字。いままでの旅行で数字が読めなった経験はなかったから、気付かなかった。失敗した…。

少し焦るが、事前の調べで決めておいた分のアメリカドルを出す。
「イランリヤル、プリーズ。」女性はこちらを見ることもなくお金を受け取り、淡々と手を動かす。機械がガチャガチャー…と音を立てて、お札を吐き出す。
音が止むと、びっくりするほど分厚い札束を差し出された。こんな分厚さ、ドラマでしか見たことない。100万円でももうちょっと薄いんじゃないだろうか?

唖然としていると、びりびりっと機械からちぎったレシートにサインを求められる。我に返り、急いでサインをする。後ろに人も並んでいるのに、確認なんて出来そうにない。お金を折り曲げ、自分のポーチにさっと隠し入れる。

一旦ベンチに座り、ぼーっとする。大した額ではないはずだが、大金を手に入れてしまったようだ。

日も出てきた。とりあえずテヘラン市内に移動しよう。
歩いていれば声を掛けられるはずだ。出口付近に向かうと、思った通り1人の男性が声を掛けてくる。悪い人じゃない気がした。

「タクシー?」
「うん、いくら?」
スマホの電卓画面で数字を打って見せてくれる。事前に調べた情報と大差なかった。
「リヤル?」
通貨はリヤルだが、1番数の小さい紙幣が10,000リヤルとゼロの多くなるイランでは、トマンという単位も生活で使われている。10リヤル=1トマン。単位を確認しておかないと、あとで10倍の値段で吹っかけられてしまうのだ。
「リヤル。リヤル。」真剣な目つきで男性が頷く。
「オッケー、レッツゴー。」
私がそういうと、男性は笑顔になり手招きをした。背中を追いかけていく。

空港のスロープを降りていく。どんどんと下に降りていく。
タクシー乗り場のある階も通りすぎてしまったようだが、どこに向かっているんだろうか?周囲の人も少なくなり、不安になる。
途中、知り合いであろう別の男性とすれ違い、会話をしているが当然ペルシャ語。まったくわからない。少し距離を取りながら追いかける。

すると、駐車場に到着した。タクシー会社に勤めている運転手ではなく、プライベートでタクシーサービスをしているようだった。
不安な気持ちも少しあったが、悪い人ではなさそうだ。値段も確認したし大丈夫だろう。そう思い、彼に着いていく。

「これかっこいいよね。欲しいんだ。」

彼が白い車を指差した。四角くごつい車体にはLAND CRUISERの文字。
ランクル。車に詳しくない私でも、名前と、なんとなく高いことは知っていた。
イラン人も、ランクルをかっこいいと思うんだな。買うのに何年かかるんだろう。そんなことをぼんやり思った。

バックパックは後ろの座席に乗せ、助手席へ座る。走り始めて少し経つと、周りにはすぐに何もなくなった。砂の街を走っていく。

ふと彼がラジオのスイッチを押す。まったくわからぬ言葉で、陽気な音楽が流れてくる。アラビアっぽさが出ているから不思議だ。

車のダッシュボードには、数珠っぽいネックレスやらキーホールダーがじゃらじゃらとぶら下げられていたが、その中に1枚の写真があった。
「これ、あなたの家族?」
「そうなんだ。2ヶ月前に女の子が産まれたんだ!」
ニコニコと嬉しそうだ。
「すごくかわいいんだ。かわいくて、もう仕事なんてやめて今すぐ帰りたいくらいだよ。」
本当に嬉しそうに話すから、思わずこちらも笑ってしまう。
「元気に育つといいね。」
イランでも、家族を大切に想う気持ちは一緒だ。

それからはお互い話さず、ラジオの音楽だけがただひたすら流れていた。大した話はしていないけれど、不思議と不安や怖さは消えていた。
土っぽい風景を見ながら、自分がいまイランにいることを頭に理解させていく。気がつくと、遠くにモスクが出てきた。
昇ったばかりの朝日を背にしたモスクは、とても美しかった。

モスクも通り過ぎ、1時間程走るとテヘラン中心部に着いた。駅と市場があるようだ。人がたくさん出ている。

よし、いくぞ。気合いを入れ直す。
まずはタクシーのお金を払おう。スマホの電卓で数字を見せながら、かばんに手を突っ込み、大量の札束からこそこそとお金を抜き取る。
「はい。」
すると、いやいやいやと首を振りながら
「ゼロが1つ足りないよ!」
そう言いながら手を伸ばし、スマホの電卓に0を加える。
「リヤルって言ったじゃん!」
「え?言ってないよ。」
突然の裏切り。いいパパだと思ってたのに!!!怒りが湧いてくる。
「なんで?!」
そう言われても、という顔をしながら首をすくめる彼。
とりあえず最初に言われていた金額を押しつける。
「これじゃ足りないよ!オムツすら買えない!」
「知らんわ!」思わず日本語で返す。
彼は意味がわからない、最悪だという顔をしている。

ふっかけるにしても、10倍はやりすぎだ。だけど彼と、彼の子供が気になる。このまま逃げるのも気分が悪い。どうしようかと考えた私は、仕方なくもう1度カバンに手を突っ込み、同じ金額を取り出す。
投げつけるようにハイッと彼の膝の上にお金を置くと、彼がお金を集めて数えている間に、急いで後部座席のバックパックを取る。

「それでも多く払ったんだから十分でしょ!じゃあね!」
助手席の窓越しに叫び、走って離れる。人混みに入ってしまえば逃げられる。

一度振り返ったが、彼は車から出てくることもなく、車をUターンさせ去っていった。初っ端から最悪だ...。今後に若干の不安を覚えつつも、ため息をつきながら市場へと向かった。

彼が悪い人ではなかったと知るのは、まだ先の話。ランクルを見るたびに、彼を思い出すのはもっと先の話。

こうして、私のイラン旅は始まった。

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