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【5月21日】シャルマン火打スキー場との出会い ① ≪きっかけはアメリカ≫

この記事は『名取崇史スノーボードリノベーションサークル』内で発行している記事を元にしています。
※記事の内容は引用やシェア・口外禁止です。


昨日はスキー場の事を少し書きましたけど。私は過去にスキー場で働いていた事があるので、スキー場に関しても思う事があり。それに、スキー場もメーカーもお店も、全て経験しているからこそ、みんなが協力してウィンター業界を盛り上げていかなといけないと強く思っています。

それで今日はまた過去の話しになるんですけど。そう言えば、これまで散々「スキー場で働いていた」と言ってきましたけど。そもそもなぜ私がスキー場で働く事になったのか、そのきっかけなどを一度もブログでも書いた事ないなと思いまして。せっかくなので、今日はその辺のお話しをしようと思います。
ちょっとこれを話すには高校生まで話しが戻りますので、また少し長くなるかもしれませんけどよろしくお願いします。


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◆ 高校卒業後
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高校2年生の冬にスノーボードを初めて経験したというお話は、過去にした事があったと思います。それで、高校3年生の秋まではサッカー漬けの毎日でしたが、残念ながら高校サッカー全国大会に出場が出来ず。それまでサッカーしかやってこなかった私は進路の事など一切考えていなかったので、進学も就職も何も決まらないままそのまま卒業したという事も「自伝」の前編で書きました。(後編はいつ書くんでしょう?笑)

なので、ちょっと後編みたいな話になるんですけど。
高校卒業するまでの、3年生の冬休み、春休みにはサッカー部の仲間中心に何人かスノーボードを始めたんですよね。それでみんなで鈍行列車に乗って、近場で言えば「わかぶな高原スキー場」にはよく行ったし、湯沢方面や、その時できたばかりのARAIスキー場なんかも楽しくてよく行ってました。(新潟に住んでいるという事をお忘れなく)

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