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今まで目で補って会話していたと気づいた日。

みんながマスクを使い始めた弊害に今頃気づく。

その日、私はなんの事はない荷物の店頭受け取りですっかり困ってしまった。
対応してくれているスタッフさんの話していることが全く聞き取れない。

不思議そうにしているその年配のスタッフさんは、何かを大声で説明しながら端末を私に差し出すのだが、内容がわからない。
その仕草と端末を差し出す様子で、なにかしらのコードを読み取るから出せと言ってるようだが、尋ねるとどうにも違った。

どんどん早口になり声が大きくなるスタッフさんの話し声に耳を傾けるのだが、何を喋っているのかわからない。
荷物の番号を伝えて受け取る手続きをしたいのだが、何か違うのだろうか。

そうか、いつもは口の動きを見て聴き取れていない部分を補っていたのだ、とその時初めて気づいた。
マスクをしているスタッフさんの口や顔の筋肉の動きは見えず、私には不明瞭な何かの音としか認識できない声が、会話を停滞させていた。

自らの耳を指さし、首を振るジェスチャーをして見せた。
聞き取りに難がある事に気づいて欲しかった。

スタッフさんは眉を顰め、更に大きな声で「スーウージーよ、数字!!」と言っていた。私が最初に伝えようとしていた荷物の番号だ。
普段会わない人の声は音にしか聞こえないのだと、今更ながらショックだった。その後も早口で何かを言ってるのが気になって尋ねるのだがわからない、を繰り返した。
話しの内容がわからないのでスマートフォンの画面を指さし、ここに番号があることを示したが、まだ何か喋っている。
これでは受け取れないのだろうか?
何度も聞き返した結果、その番号を読み上げてと言っているようだった。

こちらから話す口調で、難聴とは気づいて貰えなかったようだ。
『ゆっくり小声で話してくれたら聞こえます』
と伝えたが、スタッフさんの口調は変わらなかった。
以前、補聴器を扱ってる眼鏡店で教えて貰った「聴力が低くなると声がデカるなりますからね」はコレか?と困惑した。

ほどなくして荷物は出て来たが、またスタッフさんの喋りは聴き取れない。
聴こえないと首を振ると、今度は両手で四角を作って私に見せて何か言っている。音程とジェスチャーでそれが「身分証明」だと言っているのがわかった。
何も店頭受け取りが初めてではないので、一連の確認作業は知っているから想像は出来る。けど、聴き取れないとこんなに捗らないものかと我ながら驚いた。

相手が要求するタイミングでそれを行うことができなかった。

日常生活に支障が出るレベルの聴力の高さ。

自分はちょっと変わった難聴持ちだ。
聴力が高いせいで音が歪むと説明された。その耳が原因の神経症状を出さない為に耳を極力守るようアドバイスを受けた。
確かに大きな音は苦手だ。
その神経症状に悩まされての受診だった。
いずれ聴力はみんな落ちるのだから心配しなくても今だけよと言われたが、そう簡単に私の聴力は落ちなかった。
おかげで聴き取れない言葉が多々ある。
特に高音がよく聴こえているそうで、声が高かったり大きかったり、話すテンポが早かったりすると、その内容が聴き取れない。
音程はよくわかるので、話の流れや音の抑揚で言葉を推測することはできる。身振り手振りや顔の動きで判断していたことに気づいたのは、つい最近だった。

子どもの頃はそれを知らなくて、会話に随分苦労していたのを覚えている。
親はそれを気づかずに「話が通じない子ども」だと思い込んでいて、何度も何を聞いていたのだと怒鳴られたものだった。必死に聴いていたのだが聴き取れなかったし、子どもだからまだこれからきっと聴こえるようになるのだと思っていた。
語彙が未だ少ない子どもの頃は推測が難しい苦労があったし、今より音が歪んでいたのだと思う。
今ですら平均的な子どもの以上の聴力があるのだから。

全ての言葉が聴き取れないのではなく、部分的に聞こえなくなるのも、今尚悩ましい。

素っ気ない周囲の反応。

私が聴き取れずにいる事を伝えてもう一度その内容の説明を求める時、相手の反応は様々だ。

・そんなにペラペラ話せているのに何故こっちの話は聴き取れないの?と訝しがる。
・今さっきまで聞こえていたのに何を言っているのか?と怒鳴られる。
(※この反応が一番多い。身近な人ならともかくセールスの電話でキレられたこともある。)
・補聴器も付けていないのに難聴?とジロジロ見られる。
・突然傍に来て大声で話し掛けられる。
・話をそこで終わらせられる。

相手を不快にさせる意図で「聴こえない」と伝えているわけではないのだが、伝わらない。大抵は二言目に「マジで?嘘やろ??」と言われるのだ。
大抵の人は、自分の望む反応を相手が見せなかったら、そこに興味を失うようだ。

人との会話は苦にならないが、聞き取るのはとてつもなく労力が要る。

思いがけない言葉の贈り物。

難聴だと伝えると素っ気ない態度ばかり取られていたある日。

家族連れで来店したお客さんの注文が聴き取れなかった。
聴力が高いせいで難聴だということを伝えて失礼ながらもう一度注文を伺いたいと伝えたところ、そのご家族の中のおばあさんが『あなた、とてもよく聴こえる補聴器をずっと付けてる状態なのね。わかるわ、私ね、補聴器を最近作って初めて使ったのよ。そうしたら物凄く聴こえがよくて疲れてしまって、すぐ外したのよ。あなたのは外せないものね。いいのよ。』と声を掛けてくれた。
そんな言葉を掛けられたことはそれまで一度としてなかった。
仕事で応対中なのだからと、目に滲むモノを見られまいと堪えた。

その後も、作業療法士だと言うご夫婦の方が来店しお話をしていたら、耳がよく聴こえる事の不便さや症状を全て網羅していて驚かされた。その耳の人はね、大変なのよと。大事になさってくださいねと掛けられてた何気ない言葉に、胸が熱くなった。

各所の窓口でなにかしらの手続きの時も、聞こえないことを正直に伝えると「これぐらいゆっくりなら聞こえますか?」と協力してくれる人がぽつぽつと増えた。
本当にありがたいといつも思う。

病院を紹介してくれた常連さんにも感謝している。
神経症状が出始めてから、先ずどの科を受診していいものか判らず、偶然来店中の常連さんが医療関係だった縁で総合診療を紹介して貰った。
そこで症状について相談したところ、耳の精密検査を受けてと紹介状を貰った。そして検査をして聴力が人と違うことを知ることになった。

沢山の人に助けて貰って、私は聴き取れなくてもなんとかやれている。
今回のスタッフさんが最終的にジェスチャーで伝えてくれたように、これからも助けて貰って過ごすのだと思う。
最初は理解されず怪訝な顔をされたり素っ気なくされても、それが起こり得る当たり前の反応だし、最終的には殆どの人が身振り手振りを交えて伝わる話し方をしてくれる。

そのありがたさを決して忘れない。

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