政治はトランプ化しているのか

日曜日にフランス大統領選挙があるというので、水曜日、フランスのテレビでは、ルペン氏とマクロン氏の、生放送の討論会が放映された。

政治討論とはいえ、ひどいものだった。マクロン氏は、テーマにそって、政策を述べようとしているのだが、ルペン氏はもっぱら揚げ足取りや、マクロン氏の政策ではなく人物に対する批難に徹していた。

「史上最悪の政治討論」と言われたアメリカ大統領選挙を思い出した。

フランスのおもしろいところは、政治に対して理性的に取り組もうとしている点だ。翌日のニュースでは、ルペン氏が、統計の数字を引用して批難した部分をすべてチェックして、その数字がうそであることを述べていた。

昔、大阪で横山ノックが知事に立候補していたとき、「いい人だから」といって、ノックに投票するといっていた同僚を思い出す。私は、いい人だろうと悪い人だろうと、ちゃんと正しい政策を実行してくれればいい、そもそも、そのひとがいい人かなんて知らないでしょ、といった考えなのだが、特にその人には言わなかった。政治に対する考えかたは人それぞれである。

でも、日本はあまりにも感情のみで政治を判断することが多いように思われる。日本で、政治家が落選や失脚するのは、政策がまずいから、政治家としてちゃんと仕事をしないから、という理由ではなく、女性スキャンダルや献金問題など、極めて個人的な事情によるものだ。

トランプ氏を支持しているのは、かつての中間層だ。グローバル化で、富はごく一部の人に集中し、失業や収入減といった不満が政治不信を招き、その一部の人は、保護貿易など自国の利益を優先する政治家を支持するようになる。

フランスにおいても同じようなことが言える。フランスでも、旧植民地の外国人がフランス人となり、中間層である白人を中心に失業といった問題に不満を抱いている人がいる。ルペン氏は、外国人大嫌いで、外人は出ていけ。EUはやめる。自国の利益を保護する、という思想の人なので、アメリカと同じくグローバル化による貧困のあおりを受けている人たちから支持を受けている。

でも、不満があるのはフランス国民やアメリカ国民だけではない。グローバル化によって、多くの人々が見えない形で貧困化していて、世界中で(日本も含めて)もやもやとした不満を持っている人が多いのだ。なぜもやもやなのかというと、不満をぶつける対象が見えないからだ。封建社会では、富と権力は貴族や王族、教会といった目に見えるものだったのでわかりやすいからだ。

しかし、リベラリズムにおいては話がややこしい。何かに成功して富を得るというアメリカンドリームはリベラルな社会にこそ成り立つのである。自由主義(リベラリズム)においては、自由に競争するのはいいことだ、なので、その結果の貧富の差に文句がいえなくなる。だから、世界的に起こっている、富の集中といった現象に、不満の矛先を失っている。というよりも、その不満は、自国を守るというナショナリズムに向かうのだ。

政治に対する不満というのは、感情ではなく、政策に対するものとか理性でもって成り立つものだが、グローバル化による貧困や、富の集中というのは、理屈でもって不満を表明することができない。

世界の政治が、感情に向かうのはこういったわけなのだ。


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