摂食障害【拒食症】
決意が固まると同時によくない発想が浮かんだ。
「食べても飲み込まなければいいんだ。」
咀嚼して味わって、吐き出せばいい。
味わっているなら飲み込む必要はない。
この行為に【チューイング】という名前があるとも知らず、いいアイディアとすら思った。
そこからみるみる痩せていった。
毎日、毎週、体重が減ったのを覚えている。
スーパーで安売りの菓子パンやスイーツを大量に購入し咀嚼する。脳は勘違いして少しの間満腹に感じるもののすぐに空腹と気づく。またスーパーへ駆け込む。
一人暮らしをしているせいであっという間にお金は無くなり、夜職を始めた。
平日は事務職をこなし、週末は夜職。
痩せる為に何キロも歩いた。
スタイルがいいねと褒められたり、顔の整った人に声をかけられたり、送っていくよ?と呼び止められる。
周囲の反応の変化に「ほら、結局見た目。痩身が全て。」と身をもって実感し、痩せた喜びで疲労を感じずハイになり、自己肯定感が満たされた。
最終的には1日300〜450キロカロリーで生活し、昼の事務職では周囲の人から心配され、夜職も初めは明るい接客でお客さんもついたのに、笑う気力がなくなりクレームも増えた。
40キロを切った頃、実家に帰省した。
些細なことで義父と母が口論を始めて、わたしは一言口を挟んだ。
逆鱗に触れたかのように義父が「お前は関係ねえだろ!」と睨みつけて怒鳴り散らした。
「そんな言い方しないで!」
母はわたしを庇い、怖くて悲しくてポロポロと涙を流すわたしに走り寄って抱き締めてくれた。
その瞬間、わたしの背骨も腕もガリガリになっていることにショックを受けて息を呑んだ。
「こんなに痩せて。」
泣きながら身体をさすってくれた。
限界だった。
助けて欲しかった。
頭が回らず交通事故を2回起こした。
「仕事辞めよう。一人暮らしもやめよう。」
「うん。」
母にようやく伝えられた。
ただ、そう簡単にはいかなかった。
そもそも治したい、食べれるようになりたいとは思っていない。
病院に行けば入院になるかも知れない、食事管理や注射で太ってしまう。
幼少期、思春期に欲しかった愛情を取り戻すように幼児退行して母に甘え、このままでいたい、心配されたいと強く思った。
脳みそ深くに根を張った思考はなかなか変わることは無い。
決められたメニュー、決められたグラム、決められた時間が少しでも狂うとパニックを起こし、母が飲み物を一滴でも溢すと声を荒げた。
自分の食事量に安心したくて家族には沢山食べて欲しかった。
眠れずに、運動強迫で毎日朝4〜5時から公園をぐるぐるとウォーキングした。
1番楽しいはずの20歳。
当初の理想も目標ももうわからなかった。
着たい服も着れた、細くてきれいとうらやましがられた、男性から声がかかった。
今ではそれを通り越してただただ太る恐怖に支配されている。
このとき、消費カロリーという概念もなく食べた分だけ太ると思い込んでいた。
数ヶ月経ち、地元でお祭りがあった。
兄が仲間とお神輿を担ぐらしく、母に誘われ夜のお祭りに足を運んだ。
久々に外に出た。
ずらりと並ぶ屋台と提灯、がやがやとした人混み、人の話し声、流れ続ける音楽。
神経質に過ごす日々とは違う、非現実的な雰囲気に気が紛れた。
中学時代の同級生と鉢合わせた。
学年イチの問題児だった彼は、わたしの姿を見て文字通り言葉を失い、"ドン引き"という表現がぴったりの表情だった。
痩せすぎてうまく笑えず、小さな声しか出せず適当に挨拶して別れた。
兄には合間を縫って会うことができ、母と3人で記念撮影をした。
ベビーカステラの屋台を見て「おいしそう。」と呟くと、母は「買ってみる?」と買ってくれた。
食べるわけがないと知っているのに。
もったいないだけなのに。
お祭りを純粋に楽しむ”普通”の親子みたいに。
食べたい、食べれないを繰り返しながら一通り周るとお祭りの時間も終わりに近づき、屋台は次々と畳み始めた。
帰り際、イカ焼きの屋台を通るとまた「おいしそう。」と声が漏れた。
「食べる?」
「食べない。いらない。」
「食べれなかったらお母さんが食べるよ。」
屋台は今にも閉まりそうでもじもじ悩んでいると母はお店の人に声をかけてさっさと購入してくれた。
「おいしそう。」純粋にそう思えた。
お腹が空いた。
「食べる?」
「うん。」
頷き、ごく自然な流れでぱくりと口にできた。
談笑しながら、その場を楽しみ好きなものを食べる。
そんな、多くの人が当たり前にしていることがわたしと母にとっては大きな奇跡以外のなにものでもない、一生忘れない瞬間だった。
固形物を飲み込んだのも、カロリーではなく食べたい気持ちで選んだのもいつ振りかわからなかった。
ボロボロと涙が溢れて止まらず、母も同じく泣いていた。
「おいしいね。」
と涙を流し笑って食べた。
本当においしかった。嬉しかった。
帰りの電車ではじめに買ったベビーカステラも食べた。
「ゆっくり味わって食べてね。」
母もうれしそうに笑った。
最寄り駅に着くとコンビニに寄り、一生飲めないと思って紙パックのいちごオレを買ってもらった。
お腹も心も満たされて幸せだった。
これでもう大丈夫。やっと光が見えた。そう思った。
そう思っていたけれど、待ってたのは、より辛い過食症との闘いだった。
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