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『村に火をつけ、白痴になれ/伊藤野枝伝』栗原康 

『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』
栗原康 (岩波現代文庫)

アナキスト、伊藤野枝。
平塚らいてうの「青鞜」に参加して記事を書き、女性の地位向上と社会の変革を無座主運動に身を投じ、関東大震災直後、大杉栄と甥とともにあっけなく国家に惨殺されました。

昔、実家の本棚にあった瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』を読み、聡明で官能的で、妊娠するたびに体調がますますよくなる野枝を怪物のようだと思った覚えがあります。

それから数十年を経て出会った本書では、アナキストの学者であり作家の栗原康がメガホンを握って、声のかぎりに野枝を応援しています。これが面白すぎてページをめくる手が止まりませんでした。大戦間の日本の雰囲気を知るためにも、強くお勧めします。

さて、野枝はやっぱり怪獣でした。
子どものときからやりたいことしかやらない。絶対に言うことを聞かない。周りに迷惑をかけても大丈夫、何なら迷惑をかけた人たちに平気で頼って歩く。好きな男ができたら即いっしょになる。自分の幸せの追求が一番。
しかも旬のおいしいものを食べたがる口の肥えた良家のお嬢さまで、労働者運動にたずさわりつつも風呂屋をゆったりと使って女工の反感を買うきれい好きさん。セオリーとしては支援する労働者であろうとも、相手の嫌なところは嫌と言い切れる。おもねっていない。

野枝は、社会体制におけるあらゆる習慣や規則をナンセンスとし、それを打破することに命を懸けています。当時だけでなく今もなお、ないものとされている女のリビドーだって全開。だから結婚とか家庭もぶっ壊す対象。なのに大杉栄とはちゃっかり家庭のようなものを築き、男のために料理したりお茶を出したりする。そしてときどき、あれ、アタシ何してるんだろう?って反省したりします。

いろいろ矛盾はあるしハチャメチャなのだけど、窮状にあるときは親せきや友人が野枝を助けていました。じつは無政府主義者が生きていくのに不可欠なのがこの「助け合い」なのです。

親戚のおじさんや妹や母親に対する、物質面での甘えぶりは目に余る…というか野枝の家族は大変だったのだなと思ってしまうくらいです。
それでも周りがつい助けてしまうらしいのはなぜか。
それは野枝がエネルギーに満ちた愛らしい獣のような女で、堂々と無力な赤ん坊のようになって他人に頼っていたからだと思います。大杉栄と一緒に写っている写真を見ても、ふたりとも眼力のある美しい面構え。好きなことだけしている人間が全身で表現している幸せ感は、周囲に伝染するものです。

思想以上に、人を動かすのは人間としての魅力です。とくにアナキストでいるためには、たくましさだけでなく、チャーミングで子どものような純粋さがないと難しい気がします。メディアで見た栗原康さんがまさにそうでした。心配になるほど正直で純粋で、周りの人にいじられてニコニコ笑いながら、ダメぶりを嬉しそうに語る優男。老若男女問わず愛される人間だという印象。過激なことを言ってもみんなに耳を傾けてもらえ、稼がなくても誰かが助けてくれるのです、こういう人は。

というわけでアナキストへの門は狭く、わたしは体制に不信感を抱きながらも体制に守ってもらう人間として凡庸な生活を送っています。

文体は雄叫び系ですが、註も参考文献も年譜はとてもためになります。文庫本あとがきもブレイディみかこさんの解説も泣ける。繰り返しますが強くお勧めします。

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