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【読書記録】Doppelganger : a trip into the mirror world / Naomi Klein

Doppelganger : a trip into the mirror world(ドッペルゲンガー:鏡の国への旅)
Naomi Klein(ナオミ・クライン)著
Knopf Canada刊

(自己の拡張+アテンションエコノミー+キャンセルカルチャー)×(COVID+アンチ科学)=ドッペルゲンガー@鏡の国 
↑勝手に直観的に作った式なのであまり信用なさいませんように。

『ショック・ドクトリン』の著者として知られるナオミ・クラインは、ここ十年以上、「もうひとりのナオミ」つまりナオミ・ウルフとしばしば混同されてきました。ふたりは名前だけでなく、ユダヤ人女性・リベラル左派・フェミニストという共通点を持っていたから。間違えられるだけならまだしも、コロナ禍という未曽有の事態を迎えた時期に、ウルフが異様な言動をとるようになって、しばしばそれが自分の言説だと誤解されたクラインは困惑します。ウルフは自分の論文中の誤謬がおこしたスキャンダルによって左派の言論ステージから干されて(deplatformed)以降、ワクチン否定説や陰謀説を真剣に論じるいわゆるトンデモ学者になっていました。そしてリベラル活動家でありベストセラー作家のクラインとは真逆の主張を、オルトテックを中心に発信し続けています。

クラインは全然中身が違うにもかかわらず自分と混同され続けるウルフを、歪んだ鏡に映るみずからの分身「ドッペルゲンガー」のようなものだと解釈。そしてフィリップ・ロスの『Operation Shylock』をはじめとするドッペルゲンガーを扱った文学作品を詳しく研究し、ドッペルゲンガー表象が引き起こすカオスの分析を試みます。一体、自分(とその分身)に、そして世界に何が起きているのか、と。

この本は、オルタナ右翼になってしまったナオミ・ウルフを批判するものではありません。むしろ、ウルフを「鏡の世界Mirror World」へ案内してくれる白ウサギとして、そのあとを追ってみた、そんな作品です。

鏡の世界は、私たちの世界の投影でもあり、同時に「陰謀論の世界」でもあるそうです。
ソーシャルネットワーキングから姿を消したように思われている人びとの多くは、じつは消えたのではなく、鏡の世界のプラットフォーム、つまりオルトテック(Twitter出禁になったらGettr。以下同様に、Youtube→Rumble、インスタ→Parler、など)から発信し続けている。鏡の世界は、異様なほど私たちの世界にそっくりだが、その姿は歪んでいる--。コロナ禍、クラインの周りでも、家族や友人が鏡の世界に行ってしまった、急に話がまったく(かみ)合わなくなったという声が増えます。最近日本でも話題になっているらしい高齢者を中心としたネトウヨ化のことを思い出してしまった。「あなたたちは騙されている。目を覚ませ!」と陰謀論や過激な政治理論を視聴者に繰り返し吹き込む人びとがいるのですね。
クラインによれば、こうした世界に住む人びとは、Fact(事実)でなくFeeling(感覚)で物事を判断したがります。ポピュリズムの言説同様、スティーブ・バノン(ドナルド・トランプの元戦略官)をはじめとする鏡の国のリーダーの物言いは、耳へ心地よく、腑に落ちやすく、自分の頭で考えない人やなんでも他人のせいにしたい人を簡単に操ります。
クラインも憧れていた、輝かしいフェミニストであったナオミ・ウルフはなぜ、バノンとのコラボに代表されるような、鏡の国での活動を続けるのでしょう。答えは簡単。失われた注目や尊敬や人気が回復され、お金やパワーが再び手に入るからです。

鏡を見れば自分の姿が映っているように、鏡の国で起こっていることを見れば、自分たちに足りていない点が見えてきます。鏡の国の言説に救いを求める人びとの多くは、巨大企業や財界や知識人が支配する現実の世界で、自分たちは落ちこぼれているという怒りと反感を持っている。たとえばコロナ禍では、ワクチンをはじめとする予防対策についての、非科学的な情報やデマを拡散した「鏡の国」の人たちや、トランプ支持者が多いといわれるラストベルトの貧しい白人たちがそのよい例でしょう。しかしこのとき、リベラルやプログレッシブの人びとは、批判や現状追認以上のことを積極的におこなってきただろうか、鏡の国の住人の行動は私たちにとっての警鐘として受け止めなければならない、というのがクラインの主張でもあります。

「鏡の国」の住民が没頭する「陰謀“論”」。しかし私たちが真に追求すべきは、真の「陰謀」なのです。政府や大富豪が互いの既得権益を守るために一般市民の知らないところで画策している「陰謀」の存在は、誰でもうすうす知っているでしょう。彼らによってシステム化された世界経済には、多くの犠牲者がいることも。クラインは世界のこの部分を「影の国Shadow Lands」と呼びます。
経済成長と効率第一主義の政策を支える、鉱山、工場、屠殺場、運送、ごみ処理場。グローバルサウスの各地にあるファストファッションの工場や中国の奥地にあるスマートフォンの部品工場で起きている悲惨な出来事。オイルリッチなアラブ諸国の出稼ぎ労働者、米国の片田舎の工場で働く休憩時間ももらえない女性労働者。こうした犠牲は、繁栄を享受する世界からは見えないように巧妙に隠されています。
ブラック工場、石油流出、イラク侵攻、リーマンショックだけではない、プーチン政権を生んだのは誕生しようとしていたロシアの民主主義の芽を巧妙に摘み取ったのも、米国政府。そして世界システムの最大の犠牲者は難民です。
これらの出来事が起こるように調整した張本人たちは誰も罰せられてはいません。それどころか名声や富を享受しています。
「影の国」こそ、資本主義社会に跋扈する大物たちによる真の陰謀が生み出した、もっとも糾弾すべき現象です。しかしわれこそが被害者だと思っている「鏡の国」の住民は、見当違いの陰謀論にかまけて、「影の国」の元凶である巨大なシステムの欺瞞へ目を向けたりはしません。権力者の思うつぼです。

クラインが挙げた身近なドッペルゲンガー現象のひとつは、カナダで起こりました。2021年5月、先住民の虐待の歴史に憤慨したトラック運転手たちが「先住民の子どもたちのジェノサイドに謝罪を」とトラックデモを決行。8カ月後、ワクチン陰謀説やトランプを支持するトラック運転手たちが、マスクやワクチンは「俺たちの子どものジェノサイドだ」としてオタワで抗議のトラックデモを長期間続行。無私の人権擁護運動と自分さえよければよい派が同じジェノサイドという言葉を使う。歪んでいるのはどちらか。そしてそれはなぜなのか。

ナチズムもまた、ヨーロッパの社会構造や精神風土を移す歪んだ鏡だったと考えられそうです。シオニストやイスラエルを建国したユダヤ人たちは、みずからのドッペルゲンガーである「新しいユダヤ人」によって、反ユダヤ主義に銃口を突きつけます。イスラエル国家は同時に、ヨーロッパのナショナリズムや国粋主義の分身でもある。
ナチスも一部のユダヤ人も、国際社会から破門・追放され、自分たちの鏡の国を創りあげることで、もと居た世界のドッペルゲンガーとなったのです。

deplatforming(言論の場からの追放)によってウルフはオルトテックに自分の居場所を見つけ、ナチスやイスラエル国家(の極右派)がヨーロッパでの居場所をなくして(excommunication)、ヨーロッパの歪んだ鏡としてのハリネズミ国家を形成していきました。このことを観察する私たちは、「否認」と「忌避」に基づいて成り立つ鏡の国は、非難すべき対象ではなく、私たち自身の分身(もうひとつの自己)であり、反省の材料を提供しているのだということを肝に銘じておかなければならないのです。

deplatforming(言論の場からの追放)と、歴史上の追放・破門(excommunication)の相似が、とても興味深いです。クラインは左派リベラリストとしての立ち位置から、鏡の国の人びとによる主張をもちろん認めがたいものとしつつ、分身が自分自身でもあるということを認識しているので、自分や自分の理論を振り返り反省するために使いたいとしている。最終章で、若き日のウルフとの交流についても書かれていて、それが私には公平に思われとてもよいと思った。

この本とほぼ同時に『The case against perfection』(M.サンデル)と『鈴木邦男の愛国問答』を読んでいました。3冊とも、社会の諸問題の根源には「selfの拡張」があることを指摘しているように思います。SNS、アバター、ブランド、自分の子ども、など、自己、自分の生活、そしてその延長にあるものすべてを、完全にコントロールし完璧な姿にしたいと願うのは、人間の病かそれとも宿命か? これを読書のテーマのひとつとして、さらに面白い本を読んでいきたいと思います。

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