見出し画像

OFFICE TOSHIKI NASU/「あいまい」への理解からはじまる

こんにちは。
昨日は一日雨でしたね。
日中に治療院の更新手続きがあったのですが、その後に友人からの依頼でアクアラインを通って千葉まで行きました。
車内で今後について色々な話をしていたのですが、彼のお父さんの脳梗塞後のリハビリをオンラインで出来ないか?ということについて話をしていました。これが形になればご家族の役にたてると思うのですが。

さて、今日は前回は目にみえない体の変化を感じるという記事の続きを書きますね。

ちょうど2年前。
豊洲で鮪を扱う友人と虎ノ門の治療院について話していた時のこと。
彼に「鍼灸の効果は不透明だ」といわれました。
そのことに対して腹立たしいということはなく、妙に納得してしまったのです。

確かに不透明ですよね。
店で鮪を扱っている友人は鮪を売ることが仕事ですから、それはとても分かりやすいけれど鍼灸院は鍼灸を売る道具屋ではありません。

何を売るかと言えば技術になります。
ただ、それは目にみえるものではありません。
そうなると確かに不透明です。

このことについて書かれた資料を本棚から取り出して読み直してみました。
内容は物理学者 竹谷三男氏による科学的認識三段階論です。

科学的認識の段階は以下のようにまとめられています。
現象論的レベル:個別的客観性
実体論的レベル:特殊な法則性
本質論的レベル:普遍性・法則

きっと「鍼灸の効果は不透明だ」という意味は本質論的レベルでメカニズムを理解したい方であり普遍性や法則を求めるということです。

例えば、生卵は茹でれば茹卵へ変化する。
卵の熱凝固温度は加熱の温度や加熱速度によって異なります。
卵黄は65℃前後から始まり75℃以上で完全に凝固して、卵白は60℃前後から凝固が始まり80℃以上で完全に凝固します。
これが普遍性・法則ですよね。

実際には殻の中は目に見えているわけではないのですが、誰かが可視化した結果を普遍性・法則として理解したものだと思います。

ただし、卵を茹でれば茹卵になるけれど鍋の中で卵がどのように動くのかは分かりません。
そして、鍋の中で割れたり、うまく殻を剥けないとイライラする。
それはなぜか。
理由は想像していた結果ではないから。

以前、駅員さんが電車が40秒遅れたためにクレームの電話を受けたという話を聞きましたが、40秒もなのか、40秒しかなのか、そのことによる意味の大きさは人それぞれ異なります。

ですが電車が定刻に到着発車するということを普遍的に理解しているのは個人の考えですよね。

人というものが介入するということは複雑ですから、必ず一定の答えになるということはあり得ないのです。ですから予想するということはあくまでも予測でしかありません。

だから認識するものにズレが生じることを知っていた方が良いでしょう。
目には見えない変化はとてもあいまいなものです。
そのあいまいへの理解がいまの時代に必要なのだと思います。

もちろん鍼灸治療をおこなううえでは、私は純度を高めることを重要視しています。なぜならプロですから一定のパフォーマンスを提供する義務があるからです。

そのために主観的ではなく客観的に物事を捉える習慣をもつように努めています。

とはいえ、この「ではなければならない」という自分の定義が自分を傷つけるということを次回は紹介していきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?