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OFFICE TOSHIKI NASU/一般化の誤謬について

こんにちは
GWもあと1日ですね。
私は仕事を入れているので、その合間に記事を書いています。
こうして毎日続けると慣れてくるものです。

窓を開けているとバスの音が聞こえてきますが、風や空気の感じが初夏へ移り変わっていることがわかります。
夏が始まりましたね。

さて、今日も前回の記事の続きから始めたいと思います。

最近、限られた方の記事やラジオから学ぶ機会が増えているのですが、その中でも山口周さんの投稿は発見が多いです。
今回は山口さんがポストしていた一般化の誤謬という言葉の意味を紹介します。

このブログを読まれていて鍼灸師なのに鍼灸について一言も書いていないことに気づかれた方はいますでしょうか?
なぜ書いていないのか。
その理由を今回の記事に込めています。

InstagramやTwitterなどのSNS、ホームページを見ていると気虚・気滞・瘀血・血虚などの言葉を目にします。
そして「肩こりには〇〇」というようにツボの発信されていますよね。

しかし、実際には一括りにはできません。
「お隣の国の方たちはこうだ!」とか「血液型で〇型の人はこうだ!」とか「〇〇座の人だから〇〇でしょ?」とか、果たしてそうでしょうか?

でも人は「たまたま」を「そもそも」と解釈して分かったつもりになってしまうもの。

正直なところ20年臨床をやっていても分からないことだらけです。
東洋医学は経験医学だからある程度の傾向はあります。けれど私たちは中国人ではなく日本人です。そして生活様式も異なります。

昔は多くの人が農耕民族だったのに、いまは多くの人が携帯電話を使いパソコンで仕事をしています。そして馬や牛ではなく自転車や車に乗って移動しますから、昔の書物を読み漁って「〇〇である」という考えに偏って解釈することは難しいものがあるのです。

それなのに「女性は7の倍数で〇〇」「あなたは虚証です」「肩こりには〇〇です」といった情報を目にします。

山口さんはこのことを統計学の世界で最も初歩的なミスの1つと言っています。

多くのことは分からないなかで仮説をたてて純度を上げていく。
それはとても曖昧なものであって、でも曖昧にさせないために様々な情報から真偽を確かめていく必要があるのです。
だから私は鍼灸が効くか効かないか質問を受けると「分かりません」と答えます。

なぜなら断言できるほどあなたの情報をもっていないから。

そのために私は初見時にあなたと沢山話しをします。
一般化の誤謬をしないように。
そして深く考えます。
あなただけの答えを導くために。

時代と逆行している気もするけれど、丁寧さというものは失いたくないと思うのです。

友人からは「この時代にビジネスをするには顧客が求めているものを理解しなければならない」と教えてもらったのですが、私は多数の人が良いというものが本当に良いのか疑問を抱くのです。

日本人アーティストが韓国のアーティストと同じような髪型や服装をする。
すれ違う高校生もみんな同じ髪型とメイク。
誰かと同じは安心できるし落ち着くけれど、そのことに違和感を抱く人や自分を表現したいという人の場所としても、この場所があれば良いと思っています。

1つのベッドでの営業は効率が悪いと言われるけど、この時代だからこそ人と向き合う時間や一人になる時間があって良いのではないかと。

心の寂しさを埋めるために誰かと繋がることも。
一人の時間をつくって孤独を愉しむことも。
私はここにOFFICEを構える意味を治療院に重きを置いているわけではなく、場所として意味を持たせたかった理由はそいういった社会との繋がりや孤独を選択する場所にしたかったからでした。

だから曖昧でよいと思うのです。

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