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OFFICE TOSHIKI NASU/白と黒に分ける意識について

こんにちは。
連休最終日です。
幼馴染が神戸から車で帰ってきていたので食事をしたのですが、食事を終えてから12時間かけて帰っていきました。
帰り際に缶コーヒーと水を渡したものの眠気さましのガムを渡さなかったことを後悔しています。
今朝、無事に家に着いたと連絡があったのですがようやく安心できました。

さて、本日も記事を紹介していきたいと思いますが。
いま私は易について勉強をしています。
学び始めたのは今から2年前。
麻布十番にある和方鍼灸鍼立関墨荘堂の関先生から大阪の蒼流庵先生を紹介していただきました。
3年目ですが正直なところまだまだ難しいです。
当初は賽を振っていましたが、いまはメドハギを使いおこなっています。
様々な発見があるので楽しいものの自分のなかに落とし込むには時間がかかっています。

このようなものにもやはりセンスというものもあると思いますが、どうしても日常的な価値観で考えると分からなくなってしまいます。

教員課程に進んだ時に学科長が「西洋医学は枠組みがあるけれど、東洋医学には枠組みがない」と話していましたが、枠組みのない学びは確かに難しく、西洋医学は枠組みがあるから分かりやすい。

目に見えるものは分かりやすいけれど、目に見えないものは分かりにくいのです。
けれど東洋医学が対象としている気というものは目に見えません。

私たちはその曖昧なものを全身を診ることで理解するのですが、実際のところ、鍼灸師によって答えは変わります。
そのため私たちの中でも東洋医学が苦手な人がいます。
つまり自分に落とし込むことが難しいのです。
「先生はこういっていたけれど、私にはそう見えなかった」というとように。

先ほどの易の講義でも「どういう意味ですか?」という質問をされている方がいましたがそれは解釈のレベルになります。

「お腹が減ったら食べてよい」と言われたとして、誰かはお腹が減ったら食べる。そして誰かは具体的に何時になったら食べて良いのか質問をする。

私は10年以上付き人をしましたがこれはセンスなのだと思いました。
察知力といったらよいのか、汲み取る力というのでしょうか。

言葉は悪いけれどセンスのない鍼灸師はたくさんいます。
しかしこればかりは学校で身につくものではないし、持って生まれたものや幼少期からの感性だと思うのです。

ただ感性といって偏ればスピリチュアル思考が強くなるし、合理性に偏れば目に見えるものしか理解されないし。
バランス感覚が優れた鍼灸師を見つけることは容易ではありません。

なぜこのような話をするかというと、鍼灸には流派というものがある以前に志向というものがあると思うのです。
例えば「凝り」「瘀血」「冷え」が絶対悪のように扱う施術者がいます。
しかしそれでは偏りが出てしまう。

筋肉が凝っていたら筋弛緩剤があって、痛みがあれば鎮痛剤があって、発熱していたら解熱剤がある。
でもそのような対処療法で病気は治るのでしょうか?

私はこの考え一辺倒にすることに違和感があって、なぜ発症原因を考えないのかと思うのです。
つまり罪を犯した人は刑務所に入れてしまえば解決するという考えと、街づくりから見直すことでは意味が異なります。

中医学ではこのことを扶正祛邪(ふせいきょじゃ)と邪正一如いうのですが、凝りは凝らなければいけない理由があり、瘀血もそこに滞る理由があり、冷えも冷えてしまう理由がある。

これを何かが悪いというふうに捉えるのではなく、それが生じた理由を考えないと繰り返します。
だから本質をみずに治療をおこなうのであれば対症療法になってしまう。

日常というものは人との関わりのなかで起こっていますから、ほとんどが合理的なものではありません。
実際には非合理ですよね。
それが日本人が本来もつものですから、何でも善と悪に分けてしまうのでは歪が生じます。

人には良いところも悪いところもある。
ガンを見つけたら切除してしまえば治るのか?
発熱した時に解熱すれば治るのか?
ワクチンを打てば感染はしないのか?

何かを正すために失われるものもあるから、そうならないように気を付けることが必要なのではないでしょうか。

数値にならないものや画像にあらわれないものがあっても、あなたが今感じている感覚は正しいものです。
なぜなら心身一如、心と体は1つだから。

この社会を生きていくにはセンスが必要かもしれません。
それは頭で考えるのではなく心で感じることです。
心はとても曖昧なものだけれど。

物質的にではなく精神的に選択する。
子供の頃、そんな風にしていませんでしたか?
誰の目も意識せずに本能のままに。

私はこの場所で本能的に感じて欲しいと思っています。
1回の治療で何かが変わることはないけれど、日常に独りになる時間を作るという意味をもたせたら人生に大きな変化をもたらすと思うのです。

だからあえて曖昧な場所でよいのではないかと。
疲れを癒す、頭を休める、治療を受ける、眠るでも。


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