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#39 念願の海外赴任が叶う

本日、日本を発ちマレーシアへ入国した。遊びで来たいところであったが、全くそんなことはなく、仕事が目的である。

今回は僕の夢であった海外勤務が叶う日ということで、朝早くから空港まで家族が見送りに来てくれた。そこで父親から手紙を渡されたので(僕の父は何かの節目によく手紙をくれる)、マレーシアへ向かう飛行機の中でゆっくり、そしてじっくりと読んだ。

それで、何というか、父親の想いを素直に受け止めて、シンプルに泣けてきたので、スマホのメモ帳を立ち上げてこの日記を書くに至っている。

ここ最近は、僕の友人に子供が生まれたりだとか、親戚のお婆さんが亡くなったりだとか、「人の命」というテーマに触れることが個人的に多くなり、感傷的になりやすくなってきたのだろうか。僕ももうアラサーだから涙脆くなっているのも仕方ないか。

それはさておき、僕がこの世に生まれてからもうすぐ29年が経とうとしているわけだが、それと同時に僕の父親が「僕の父親」として生きるのも29年になる。父親は高卒で、昭和の頃からサラリーマンひと筋で猛烈に働き、僕や姉、そして母親を養ってきた。

僕が大学受験に臨んだときは、「俺は何もしてやれなくてもどかしいが、全力で応援しているぞ」と声をかけてくれ、それ以上は何も言わない。今回も同じことを言ってくれて、さらに手紙にも似たようなことが書いてあった。大学受験のときの僕はその期待に答えられなかったが、今回は答えられるように頑張りたいと思う。今回の仕事には合格も不合格もないけど。

そんなふうに、大企業で働く僕に多大なる期待を込めつつも、僕が仕事のストレスで潰れてしまったときは「別に辞めてもいいんだぞ」と優しく声をかけてくれた。そして今日、手紙を読んでいる中でそんな父親の顔が浮かび、29年間の想いや受け取ってきた愛情を再認識したのである。

ちなみにこの文章を書いている今も涙がちょちょぎれている。

僕にもいつか子供ができたら、尊敬できる僕の父親のようになりたいし、そうなれるように努力しなければなと。1年後、日本に帰ってくる頃にはひと回りもふた回りも大きな漢になっていたいなと。いや、「なっていたい(希望的観測)」ではなく「なるんだ(決意)」だな。

人生において決意することほどムダなことはない、と思いつつ、飛行機の中でただ1人、決意の炎を滾らせているのであった。

以上

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