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ニベアと歯磨き粉と、先生と

副担任が死んでしまった。

先生が赴任して3ヶ月。学祭を前にした、土砂降り雷雨の蒸し暑い夏の日だった。 

臨時全校集会が開かれ、全校生徒が体育館に集まった。雨と人口密度のせいで館内が蒸し暑い。ザワザワが静まって、校長先生の口が開く。

そして聞かされる副担任の死。
館内が一瞬で冷えるのを感じた。
いや、立ち込めていた熱が、考えるのをやめたのを感じた。

わあっ、と後ろから泣き出す声。
崩れ落ちる子。
実感が湧かなくて、なんとも言えない顔をしている子。 
私は、その中のどれだっただろう。
ただ呆然と、先生の記憶を掘り起こして、
ただ呆然と、校長先生の言葉を反芻して、
「人生何あるかわからないな」なんて
俯瞰的に考えていた。

自分のクラスに戻ってきて、じわじわと、校長先生の言葉が現実じみてきた。
「他人に求める前に、まず自分に求める」をモットーに生きていた先生。
授業も、ゆっくりと、細かく説明してくれた。
がむしゃらに、でもひたむきに生きた人生をよく語ってくれた。
自分が間違えていた時は、清々しいほどすぐに謝るし、言葉遣いがとても丁寧で、職員室に生徒を呼ぶ時なんて「職員室までお越しください」なんて丁寧に言っちゃう。
マスクをしたまま温泉に入り、マスクをべしょべしょにするのを何回かしちゃう。
ニベアと歯磨き粉を間違えて、歯磨き粉を顔に塗りたくっちゃう。
生ビールを「やんちゃ水」って言っちゃう。
毎日毎日お弁当を作ってインスタに載せちゃう。
お茶目に駄洒落も言っちゃう。
授業の終わりの度に「今日も頑張りましたね。お疲れ様です。終わります!」と元気な笑顔で言ってくれる。
何なら始まる時に「よし、今日も頑張りましょう」なんて明るく言ってくれる。

今日も頑張らないで、ぼちぼち頑張りましょう
 
なんて言っていた先生が、いなくなってしまった。生きる、死ぬ、なんてものの実感は無くて、わかることは「もう会えないんだな」ということ。すぐそばに居た、太陽みたいな笑顔はもう見れなくて、もう会えないんだなということ。このご時世、お葬式にも行けないだろうな。次に見れるとしたら、骨壷かお墓かなぁ、なんて色々考えたら、急に悲しくなってきて、じんわりと涙が出てきた。
周りの皆も、黙り込みながら、涙を浮かべていた。だが、人間十人十色。笑う奴も居た。ネタにする奴も居た。それすらもう、俯瞰して見ていた。ただただ、なんだかもう切なくて悲しくて、いつの間にか泣いていた。
泣き崩れた子は過呼吸起こして保健室に運ばれた。学祭準備中だった教室が、重く感じる。放課後だって、学祭準備が待っている。

「先生も、皆が悲しい気持ち、せつない気持ち、嫌な気持ちで学祭を迎えるのを望んでないだろうから、すぐに前を向けとは言わないし、辛い気持ちに蓋をしないでほしいけど、どうか、楽しくね、学祭を迎えて欲しい」

「先生、この学校に来れてよかったって。そう言ってたからさ、先生のこと、忘れないであげようね」

担任が涙混じりに言った。よく覚えていないけど、こんなことを言っていた。
くよくよめげていては仕方が無い、ので、深いため息をついて、私は学級旗の作業に取り掛かった。

クラスみんなを描いた学級旗。原案を担当した。そこには副担任もしっかり居た。見せれずじまいで先生は、いなくなってしまった。
どうせなら、見せたかったなあと、ぼんやり思う。

「どうせなら、見せたかったよねえ」

私が呟くと、学級旗を取り囲んでいる数人から「そうだねえ」と返ってくる。「どんなリアクションしただろうね」「ねー」と小さな会話も。

「学級旗部門で優勝して、天国目掛けて広げるか。一番の供え物だ」

なんとなく、優勝したら、嫌でも先生に届くかなあと思って呟いた。
「もう優勝確定だよ」と友達が微かに笑う。

準備期間のほぼを学級旗に費やした。ギリギリまで粘って描いた学級旗は、高いクオリティのものとなった。

これが優勝できても、できなくても、きっと先生は、案外そばで見守ってくれてただろう。優勝できた時には太陽が燃え盛るような笑みで笑うだろうし、できなくても、結局太陽のような笑みで笑ってくれるだろう。

お葬式には、私たちはいけなさそうなので、せめてもの気持ちで、職員室の先生の机に花を置かせてもらうことにした。クラスメイト達が花を買ってきてくれた。たまたま職員室に行く機会があって、そのついでに花を見た。寂しい机の上に、立派な大きい花々が飾られている。一つの花瓶に入りきらなかったのか、二つぐらいある。なんだか、賑やかな机だった。

先生と最後に交わした言葉を、覚えていない。
体調を崩してしばらく休んだまま、いなくなってしまった。
最後なんて一切思っていないから、いたって普通だったと思う。
普通に、「眠いなあ」なんておもいながら授業を受けて、普通に、挨拶をして、普通に、なんかしらの会話をした程度。
でも、こんなに簡単にいなくなられたら、もうちょっと真面目に受ければよかったなとか、もうちょっとお話すればよかったなとか、いろいろ思えてくる。
やっぱり、人間って傍にいるうちは何だって、大切さを忘れていて、いなくなってからその大切さに気付くんだなあと、つくづく思う。
失ってから気づくものは大きい。しばらく心にぽっかり穴が開く。それがすぐに埋まることはないし、けれども、案外、寂しさは薄れてしまう。
とりあえず、下を向かないで、前を向く。上は向かない。ただ、前を向く。
先生が少なからず残してくれたものを、忘れない。たまに後ろを向いて、それを拾い集めては前を向く。そして、歩く。
そうやって、それとなく、自分の気持ちを整理していこうと思う。

案外、そこら辺にいるかもしれないしね。一足先に他の先生より学級旗を見てくれてるかもしれないし、しっかり机の上の花をめでてるかもしれないし、ニベアを歯磨き粉と間違えてるかもしれない。そして、タハーッと笑ってるかもしれない。果たして、そっちの世界に歯磨き粉も、ニベアもあるのかどうかわからないけど。
やけに蒸し暑かったあの日を、中々忘れられないだろう。毎年毎年、夏が来る度に思い出すだろう。蒸し暑さが続く中、ぼんやりとしながらアイスを食べた。こころなしか、アイスも溶けるのが遅かった。











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